第30話 ほぼ八つ当たり
前回までのあら筋!
レーヴかわいそう。
その施設はパラメラ砦の北壁からも眺めることができた。
それほどの距離はない。当然だ。施設を取り仕切るゴーレム使いレーヴは、パラメラ砦の責任者なのだから、砦から離れた位置に研究所を構えるわけがない。
言葉もなく、示し合わせることさえなく。
二人のエルフは同時に北壁から飛び降りる。轟々と吹き荒ぶ風の中で大地へと足をつけた瞬間、その姿は掻き消されたかのような速度で、すでに走り出していた。
暴風と疾風のように。
だが、いくらも行かぬうちに。
二人の左右、そして後方に影がついた。
「どうやらおれたちは歓迎されているようだ」
「そのようですね。エルフを相手に隠密のつもりかしら。足音が丸聞こえだわ」
どうやら先ほど見逃したレーヴの刺客が、すでに動いていたらしい。
思った以上に素早い対応だ。
超高速で駆ける二人のエルフへと、闇夜から飛び出したフード付きのローブをまとういくつもの影が襲いかかる。
鋼鉄の爪を、あるいは白刃を煌めかせ、エルフの頸を掻き斬るべく。
けれども二人のエルフは動じない。疾走速度を緩めないどころか、視線すら向けぬままに。
誠一郎は手の指を開き、鋼鉄の爪と正確無比に交叉させながら受け止める。
「見えているぞ」
「――ッ!?」
むろん、それにとどまることはない。
ローブの影が漢エルフから離れようとして身を翻した瞬間にはもう、己の指をたたみ、その手を握りつぶしながら腕を振り上げ、影を大地へと叩きつけていた。
「邪魔をするな」
「がふ……ッ」
併走する少女もまた、振り下ろされた白刃を持つ手を蹴り上げて、影の頸へと肉感的な足を絡め、大地へと蹴り落とす。
「やあっ!」
「……ッ」
その二人へと向けて、影は次々と飛びかかった。
速度をさらに上げて振り切りたいところではあるが、残念ながらレーヴのゴーレム研究施設はもう目と鼻の先だ。
「やむを得ん。殲滅するか」
「はい」
同時に足を止め、二人のエルフが攻撃に転じた。
フィリアメイラは獣のような噛みつきを跳躍で躱し、空中で身を翻してワーウルフの灰色の後頭部を蹴り飛ばす。
「ハァ!」
「ガアッ!?」
顔面で大地を滑ったワーウルフは、その一蹴りだけで昏倒した。
それを皮切りにして、次々と影が襲いかかる。闇に紛れているため、ほとんどの種族も数もわからないけれど、それでも。
エルフ女子、白い歯を剥いて嗤う。
漲る。血流が筋肉を後押しする。
肉体が熱い。負ける気がしないわ。
横薙ぎに払われた剣閃を素早く屈んで躱し、首から上のない鎧を蹴り砕く。
砕けた鎧を中空でつかみ取り、側方低位置から迫っていた小さな影へと叩きつけ、怯ませた瞬間に蹴り上げる。
「ふ……ッ」
吐き出された炎をかいくぐり、ローキックで足を払って倒れたトカゲのような頭を蹴り抜く。その足を下ろすよりも早く突き出された拳を足裏で受け止め、その腕へと駆け上がって顔面を蹴る。
四体――!
だが、影は次々と闇夜から湧き出す。
蹴れども蹴れども。
放たれた魔法――土の棘の側面を蹴って散らし、魔法を放った魔族へと高速で迫ってその鳩尾へと膝を突き入れる。
「ぐぇ……」
口から吐き出された魔法使いの胃液を避けて、背後から突き出された蛇女の氷の剣を全身を傾けることでやり過ごし、その脇腹を蹴って吹っ飛ばす。
外眼筋を鍛えたおかげで、中途半端な魔法などまるで止まって見える。簡単に避けられる。
なるほど、筋肉さえあれば魔法など不要かもしれない。もっとも、セイさんのようにその身で受けても平気というわけではないけれど。
六体――!
善戦するフィリアメイラへと向けて、五体のトロール級、すなわち並外れた巨体を持つ魔族らが隙間なく肩を並べ、まるで荒れ狂う濁流のように迫った。
――グガアアアアァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!
地響きを立て、咆哮を上げ、凶悪な牙と爪を剥きながら。
かつての自分ならば、恐怖で全身が凍っていただろう。
けれども。心に筋肉を得た今ならば。
「――っ」
大丈夫、躱せる――!
しかし回避のために後方へと飛び退ったフィリアメイラの眼前に、逞しき漢の僧帽筋が映った。エルフ女子と身を入れ替えるように、漢エルフが前に立ったのだ。
「セイさ――!?」
「時間が惜しい。楽しんでいるところを悪いが、介入させてもらう」
視線を散らせば、誠一郎へと向かっていた魔族らは、すでに死屍累々と大地に横たわっていた。その数は二十を超えている。
だが、この巨大魔族たちの突撃は。この突撃だけは、いくら類い稀なる筋肉を持つ漢でも、正面から受け止めるにはあまりに無謀と言わざるを得ない。
前世の言葉で言うならば、物理的に不可能なのだ。
「ダメ、避けてください!」
「必要ない。また少しキミに、深淵を魅せてやろう」
次の瞬間、濁流はフィリアメイラを庇うように立ちはだかった誠一郎を呑み込む。夜空を斬り裂くような鋭利な衝突音が周辺に響いた。
ひとたまりもないだろう。並の大男程度では。
ましてやこのエルフの質量は、優れた筋肉を含めてさえ一体のトロールにも遙かに劣る中肉中背。物理的に受け止めることなど絶対に不可能なはずだ。
「……」
だが、フィリアメイラは奇跡を見た。
漢エルフはそのままに、巨大魔族五体だけが空を舞っていたのだ。
エルフ女子、呆然と口を開けて。
漢はただ、大胸筋の前でクロスさせていた豪腕を広げただけ。トロール級五体の魔族との衝突の瞬間に、二本の腕を広げただけだ。
なのに、次の瞬間には、五体の魔族はあらぬ体勢で夜空を舞っていた。吹っ飛ばされていた。轢き殺す、あるいは挽き潰すつもりで迫り来ていた魔族だけが、無様に。
すさまじい地響きをたて、魔族らは背中から、あるいは頭部から大地へと落ちる。
「ふん、半端物風情が徒党を組んだところで無駄だ。鍛え上げられた、おれの筋肉の前ではな」
ただ、一言。
怒れるエルフはそこに立っていた。すべての力学をあざ笑うかのように、己の全身の筋肉を膨らませ、そこに立ち続けていたのだ。
わずかすら、後退することなく。
たじろぐ。闇から湧き出る魔族らが。ほんの一瞬、躊躇った。
動きを止めた。味方であるフィリアメイラでさえもだ。あまりの威圧に、その深淵に、全身が痺れた。
圧倒的。ここに存在する者はみな、見誤ったのだ。
この怪物エルフが二百と五十年を費やして育ててきた、筋肉というものを。
誠一郎は左脚を深く踏み込み、体勢を低くして右手を拳へと固めていた。眼前には、この拳が届く範囲には、敵など一体すらいないというのに。
「……最初に忠告はしたぞ。邪魔をするなとな。おれは今、機嫌が悪い」
直後、エルフの放った拳は大地を掻いた。
低く、低く、深く、深く。トロール級五体の突撃よりも激しい地響きを起こしながら。己の豪腕の肘筋すらも大地に埋めるほどに、低く、深く。
「ぬぅぅぅぅ――ッ」
地響き。否、そうではない。そんな生ぬるいものではなかった。
地響きはやがて地割れを生む。悲鳴を上げた大地をも引き裂いて。
誠一郎は埋めてしまった豪腕を、大地を掬い上げる形で振り上げる。大地ごと、そこに埋まっている無数の石礫ごとだ。
「――らああぁぁぁぁぁッ!!」
アッパーカット。
前世の言葉でならば、その一言で済むだろう。ただし、拳は大地に潜行するほどにまで引き絞られた、居合い剣術にも似た必殺の一撃だ。
すなわち、刃は拳、鞘は大地。無手の剣術。
掘り出された石礫は土属性魔法に勝るとも劣らぬ威力の弾丸と化し、前方の闇夜に展開していた魔族集団へと襲いかかった。
その行く末を見届けることなく、誠一郎は魔族らに背中を向ける。
「時間を食った。進もう」
「は……あ……」
開いた口がふさがらない。
底知れぬ力。これが筋肉の深淵。
頼もしくもあり、自身がそこに近づくことへの恐ろしさもある。けれど、武器も魔法も筋肉も、すべての力は扱う人次第。
大丈夫。わたしは大丈夫だ。
たとえ深淵に沈もうとも、この人とともに歩む限り、わたしは道を誤ったりはしない。
血飛沫と悲鳴を背中で聞き流し、誠一郎は歩き出す。
適当にばらまかれたに等しい礫だ。おそらくは無傷の魔族も少なくはないだろう。にもかかわらず、魔族の集団にはもう二人のエルフへと襲いかかってくる気配はなかった。
殺気の代わりにあったものは、畏怖。
恐れたのだ。拳をただ一振りされただけで、脳に刻み込まれてしまった。
恐ろしい、と。
漢の持つ圧倒的なる破壊を生み出す力、すなわち筋肉が。
やがてエルフはたどり着く。
かつてはゴーレム研究の要で、現在では、ただの人体実験場と化してしまった研究施設へと。
その正面の鉄扉を、閂のかけられた鉄扉を、無造作なる拳の一撃のみでねじ曲げて――。
バッカも~ん!
貴様ごときが深淵を語るなど、百万頭筋は早いわ!
(`・ω・´) n
⌒`γ´⌒`ヽ( E)
( .人 .人 γ /
=(こ/こ/ `^´
)に/こ(




