第24話 魅了されし者
前回までのあら筋!
自分を餌に、フィッシュオーーーーン!
朝。日の出とともに二人のエルフは走り出す。
朝食のシーサーペント肉を片手に、齧り付きながら東へと走る。日暮れまでに何としても死の森を抜けるためだ。
死の森の洞窟は、どちらかといえば西の海岸に近い位置にある。そこから東の草原まで抜けるには、通常、馬を使っても二日は必要となる。
もっとも、日暮れとともに大地より這い出るアンデッドに囲まれた時点で、馬は真っ先に襲われてしまうだろうけれど。
だがゆえに、二人のエルフは全力で疾走する。森を走る馬よりも速く。
ちなみに残ったシーサーペント肉は、海へと運ぶ時間がなかったために細切れにして、身体を洗ったあのせせらぎへと流した。
せせらぎの食物連鎖の中で、いずれは養分となって海へとたどり着くだろうとのこと。
「間に合いますかね?」
「どうだろうなあ。おれたちの足でも半日内に死の森を抜けるというのはかなり厳しい挑戦だ」
人間領域エルザラーム地方にあるストラ街道とは違って、ライゲンディール地方には都市同士を結ぶ街道というものがない。
大地は草原か、荒野か、森林か、山か、砂漠かの五択だ。
当然、どれであっても街道ほどの走りやすさはない。
いかに優れたマッスルランニングといえど、どうしても速度が乗らないのだ。馬は言わずもがな、この極めて屈強なる二人のエルフでさえも。
「アンデッド汁はもうかぶりたくないです」
「こればっかりは、おれもだ」
アンデッドが大量に潜んでいるおかげで、他の魔物がいないのは楽でありがたいことだけれども。
フィリアメイラは食べきったサーペントの骨を投げ捨てて、漢の背中を追う。
相変わらず速い。油断すれば簡単に引き離されそうになる。
岩を踏みしめ、枯れ木を避けて、足場の悪さもなんのその。半透明の薄衣の下で、筋肉が躍動しているのがわかる。
柔らかいのだ。意外なほどに、彼の筋肉は。
それが関節とともに足裏からの衝撃をすべて吸収するため、どのような足場であっても体幹を崩すことなく駆け抜ける。
だが、それでも遅れない。
エルフ女子は身軽さを利用し、漢とはまるで別の走り方をしながらも、ついていく。
昼時になっても足を止めることなく、ナップザックの中からあらかじめ用意しておいた食料を取り出して、走りながら食べる。
やがて太陽が傾く頃、霞む遠景にようやく森の終わりが見え始めたとき、不意にそれは二人のエルフと併走を始めた。
地を駆けるエルフとは違い、それは一蹴りで不自然なほどに空を舞う。中空で身をひねって枯れ枝を躱し、マントをたなびかせ、微かながらも死臭を漂わせて。
「セイさんっ」
「ああ。見つかってしまったか。魔族だな」
やがてその魔族は地を蹴り、枯れ枝を蹴り、ジグザクに飛行しながら、高速で走り続ける二人のエルフをも追い越して静かに大地へと降り立っていた。
エルフの足が、大地を引っ掻いて止まる。
二人の疾走を止めた人影は、右手でマントを広げながら恭しく頭を垂れた。
「私が攻撃へと転ずるより先に、自ら足を止めたのは賢明なる判断だ。歓迎しよう。支配地に迷い込みし哀れなる贄よ」
長い黒髪に、なだらかな弧を描く肉体。
男性の格好をしてはいるけれど、女だ。
「歓迎など不要だ。急いでいるものでな。そこを通してもらう」
一見すると人間のように見えなくもないが、鋭く長い牙に、不気味な赤一色の瞳。エルフほどではないけれど、耳も長い。
それだけで優れた魔法を使うとわかる。なぜなら長耳は、魔力増幅を生む器官なのだから。
何者なの……?
「気を抜くなよ、メイラ。上位魔族のレヴァナントだ。アンデッドの王とでも思っておけばいい。他のアンデッドとは違って屍肉は喰らわず、生者のみを喰らうグルメなやつよ」
心の中の疑問を読んだかのように、誠一郎がつぶやいた。
「アンデッドの……グルメ王……ですか」
そのグルメ情報は必要だったの? という疑問までは読んでくれない。
「戦うとなると時間がかかるし、少々面倒くさい。基本的に灰にするか首をすっぽ抜くか心臓を握りつぶしでもしない限り死なんからな」
フィリアメイラは少し考えて尋ねる。
「前世の吸血鬼伝説みたいなもの?」
「ああ、いや、そのものだ。ニンニクや十字架は意味をなさんがね。昔、ニンニクを生で貪り食っていた、くっさいレヴァナントを見たことがある」
グルメ王設定はどこいったの!?
「まったく、しばらく留守にしていた間に、このような輩まで棲み着いておったとはな」
アンデッドにしては、ずいぶんと小綺麗だ。
他のアンデッドのように肉体に爛れや欠損はないし、まるで人間の貴族のように服を着込んでいて、刺繍の入ったマントを背負っている。
それに、顔がひどく整っている。アンデッドというよりは、エルフ族のようだ。幼いようにも見えるのに、どこか危険な老獪さも感じさせる。
昔のリガルティアのようだ。決して後ではない。
ただ、眼球が真っ赤だから、何を考えているのかはもちろん、どこを見ているのかさえわからない。
「聞こえているのか、レヴァナントの女よ。おれはそこを通せと言ったのだが?」
「ああ、ああ、もちろん聞いていたとも。私に意見をする者など、この半世紀ばかり見なかったものでね。少し驚いていたところだ」
声も若く、瑞々しい。態度も友好的ではある。
不思議とそのミステリアスな存在に、心が惹かれてしまう。歓迎をしてくれるのであれば、寄り道をしてもかまわないのでは、と。
濁った瞳でそんなことを無意識に考えた瞬間、フィリアメイラの眼前で、誠一郎がパンと両手を勢いよく合わせて鳴らした。
「~~っ!?」
瞬間、フィリアメイラの意識は自我を取り戻した。
まるで思考にモヤがかかっていたかのようだ。なぜか自身でも理由がわからないまま、このレヴァナントを好意的に見ていた。
「あ、あれ? わたし――」
「魅了だ。レヴァナントは甘言で生者を誘い、贄とする。特に異性の初物がそうなりやすい」
「……わ、わたし……あ、異性だったら、セイさんはどうして魅了にかからなかったんですか?」
「心の筋肉だ。おれの心は筋肉の防波堤によって守られている。精神干渉魔法などという小賢しき手段が通用するものか。フゥーハハハハハ!」
「それ……」
それを一般的に脳筋と呼ぶのでは?
喉元まで出かかったフィリアメイラの言葉は、しかし寸前で呑み込まれた。
レヴァナントが血のような真っ赤な唇に指を這わせて、微かに口角を上げる。
「おや、これは残念だ。せっかく悦楽の中で切り刻み、逝かせてあげようと思っていたのだがね」
「そのような気遣いは無用だ。おれには貴様の魔法など一切効かん」
唇に這わせた指に舌を絡め、恣意的な笑みでレヴァナントの女がささやいた。
「……となると、殺し合うしかないのかな?」
「断る。女は殴らん主義でな。貴様がおれたちを見逃せばそれで済む話だ」
「すまないが、私は今とても空腹なのだよ。死の森に私を満たすだけの生者はいないからね」
空気がどっしりと重く変化した。
鋭利な冷気を放つレヴァナントの女と、轟炎のごとき体熱を放出し始めたエルフの漢が、一触即発でにらみ合う。
「セイさん。お腹が空いてイライラしているだけでしたら、シーサーペント肉をお裾分けしては――」
「もうないぞ。それに、レヴァナントは屍肉を食わん。面倒なことにな。その生態ゆえに上位魔族でありながら、他の魔族には避けられる傾向にある。大方、以前いた場所から追いやられて死の森に来ざるを得なかったといったところだろう」
アンデッドがいっぱい埋まってるから引っ越してきたわけじゃないんだ……。
そう聞くと、なんだか少し気の毒かも……。
「仕方がない。少し喰わせてやるか」
「へ? えっ!?」
く、喰わせるって!?
レヴァナントの女が、真っ赤な瞳を見開いた。
「……よいのか? エルフよ」
「貴様と殺し合っても時間がかかる。かつてレヴァナントの男と拳を交えたことがあったが、丸一週間戦った。眠いわ腹は減るわしつこいわで散々だった」
何その戦いぃぃ~……。
「や、でも喰わせるって、どうするんですかっ!? 髪とかで満足するんですか!?」
「ん? ああ。やつらは別に物理的に喰うわけではないからな。や、物理的にも食えるらしいが、それはただの嗜好であって、本当に必要なのは血肉ではない。生命力だ」
「生命力……?」
そう言って、誠一郎は無遠慮にレヴァナントの女へと近づいていく。威風堂々と大胸筋を張って、息すらかかりそうな距離で立ち止まって。
「さあ、レヴァナントのレヴァ子よ。好きなだけおれを喰え」
「……死ぬぞ、エルフよ」
「ふん。貴様ごとき貧弱なる魔族の腹を満たす程度のことで、筋肉の塊であるこのおれがくたばるわけがなかろうよ」
「物好きなやつめ。私を挑発するとは大した度胸だ」
レヴァ子の唇が誠一郎の唇へと近づく。
フィリアメイラの瞳が大きく見開かれた。
待って。待って。異性の初物が犠牲になりやすいって……まさか……まさかっ!
フィリアメイラの脳裏を、どピンク色のエロ妄想が駆け抜ける――!
「だ、ダメ! セイさん! いや、そんな!」
「クク、もう遅いぞ、小娘。この男は私がもらった。――吸収」
その直後、唇が触れ合う寸前、誠一郎の全身から白きモヤのようなものが噴出し始めた。モヤは誠一郎の唇を通して、レヴァ子の口内へとものすごい勢いで吸い込まれていく。
へ? えっ? ただの吸収魔法?
ああ、なぁ~んだ、よかったぁ! キスとかさらにその先かと思ったわ! これなら全然いいわ! って、死ぬ! セイさんが死んじゃう!
吸収魔法は一部の魔族だけが扱うことのできる、生命力を相手から奪い取るという極めて特異な魔法だ。人間であればわずか数秒で生命力を吸い尽くされ、さらに続ければ生命力の代償として命を持って行かれてしまう。
フィリアメイラは夢中で駆け抜け、跳躍した。
「この――ッ!」
オーバースカートから右足を振り上げ、誠一郎の頭上を越えてレヴァ子の頭部へと、渾身の力を込めて踵を落とす。
「――っ」
肉の弾けるすさまじい音が死の森に響いた。
しかしフィリアメイラの踵落としは、誠一郎自身の右手によってつかまれ、防がれていた。
「セイさん!?」
「心配するな。見ろ、レヴァ子のこの満足げな表情を」
「ぁ……ぁぁ……」
レヴァ子は両腕で自らの全身をかき抱き、頬を染めながら涙を流して震えていた。
どう見ても恍惚とした表情だ。
「な、なんという……美味……。まったりとしていてそれでいてしつこくなく、コクがあるのにキレもあって、渇いた細胞の一つ一つまでもが目を覚ますような潤いが、魂と魂の醸し出すハーモニーのように私の全身を満たしていくぅ~……」
き……気持ち悪いこと言い出したッ!?
着地したフィリアメイラは、誠一郎に視線を向ける。
「え、こ、これ。セイさん、何か魔法返しとかしました……?」
「何もしていないぞ。そもそも魔法など使えん。おれは生命力を分けてやっただけだ。それにしても、よほど腹が減っていたと見える。恐ろしい勢いで生命力を吸収されているのがわかる」
「だ、大丈夫なんですか? 死んじゃわないですか?」
「ああ。最初に言っただろう。この程度であれば問題ない。いや、問題はあるのだが……」
今も生命力は白きモヤとなってレヴァ子へと流れ続けている。だが、平然と立つのだ。このエルフは。このすさまじき生命力の塊、すなわち筋肉を持つ漢は。
「問題って……?」
「この勢いでは、おれの筋肉が減ってしまうかもしれん! ううむ、残り少ない脂肪と今朝方食ったサーペント肉だけで済むかと思ったのだが、思った以上に大食らいだな、この女め!」
「あぁ~……気持ちいい、美味しい……♥」
フィリアメイラは一瞬考えた後、心でガッツポーズを取っていた。
よっしゃ、頑張ってレヴァ子さん! セイさんから筋肉を減らして! 強制ダイエットよ!
しかし願い虚しく、誠一郎の筋肉が萎むより先に、レヴァ子の鼻からどぷりと血があふれ出る。
「あぁぁぁぁ~ん……滋養強壮が止まらない~……♥」
誠一郎が眉根を寄せて苦言を呈した。
「おい、貴様。おれから生命力を散々奪っておいて、自分の鼻から垂れ流すとは何事だ! もう十分に満たされたということだろう! いい加減やめんか!」
そう言って手を伸ばし、レヴァ子の鼻を指先でつまんだ。
「んぶっ! ぶはっ!? えぅ、げほ、ぐ……っ」
鼻と口から大量の血液をダクダクと溢れさせ、レヴァナントはようやく誠一郎から距離をとる。
激しく紅潮した頬を隠そうともせず、肩で荒い息をし、真っ赤な瞳を潤ませながら。
「あ、あの……」
「なんだ? もう用はなかろう。おれたちは行くぞ」
「お待ちになって、エルフの殿方様……。わ、私と結婚してくれませんか……?」
そして、オンナの顔になった。
やれやれ、また一人、女を筋肉でメロメロプーにしてしまったか……
∧_∧'"'"{ ̄` ̄ ̄`ヽ、.._
(・ω・ `)' ', 人 ゛ヽ、
ゝ`ニニ´,\ヽ. ノ´r‐''''ヽ、} ヽ
/', `ヽ_リ,__,,... ゝ- '´ ,ノヽ i }
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八 リ 〉 `ヽ`ー‐‐''''''''",,... -‐‐‐-.ノ / |
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