第20話 嗅覚破壊
前回までのあら筋!
アンデッドさんちに突撃となりの晩ご飯!
結局こうなる。
右ハイキックで腐った肉体から腐った首を蹴っ飛ばし、「あー」だの「うー」だのうなりながら突き出された腐った両手をかいくぐり、ローキックで腐った足をぶち折って転ばせる。
「くっさ……っ!」
「心配するな、メイラ! 朝まで耐えれば小川で筋肉を洗えるぞ!」
「もー! 全身洗いたいですっ!」
もうオーバースカートは腐肉と謎汁でぐちょぐちょだ。泣きたい。
迫るリビングデッドの腹部を前蹴りで突き放し、背後から噛みつこうとしてきたスケルトンの背骨を背面蹴りでへし折る。
北へと移動をしながらだ。
「すりゃあああ!」
「せぃ!」
大半のアンデッドは強くない。決して強くはないのだ。
少なくとも五十年間に及ぶ筋トレを終えたフィリアメイラにとって、リビングデッドやスケルトン風情は何百体いようとも敵ではない。
ましてや誠一郎にとっては、生い茂った草木を手で押しのける程度のもの。
が――例外がいる。
――オオォォ……ァァァ……。
「ああぁぁぁ、来てます! やっぱりついて来てますよぉ!?」
「ぬう。アンデッドはしつこいからな」
腐ってパンッパンに腫れ、黒ずんだ球体のような胴体部になってしまっている一体。
リビングデッドではない。スケルトンでもない。ドラウグルだ。
――アァァァ……オォォ……。
例に漏れず、膨らんだ巨体に反してドラウグルも強い魔物ではない。肉が腐っている以上、肉体の脆さは確定している。
だが、そう、だが。問題はそこではない。
臭い。とにかく臭い。側に寄られるだけで目眩を引き起こし、嘔吐しそうになるほどに。
そいつが腐肉に埋もれそうな短い足で、一生懸命に追いかけてくるのだ。
二人して鼻をつまみながら、どうにかドラウグルから距離を取ろうと北へ向かう。
「フ、ずいぶんと懐かれたものだ」
「勘弁してほしいです~……」
倒すのは簡単だ。ドラウグルは、ただ単に年月を経ただけのリビングデッドでしかない。
だが倒した瞬間に腹を破裂させ、とてつもなく臭い汁を四方八方にまき散らす。数十歩の距離を保っていて、腹もまだ破れていない状況でも、この臭いだ。
至近距離で破裂などされようものなら、自分がどうなるかわからない。
なにせ、小動物や植物などは、その汁を浴びただけで死に至る。人間であっても、心臓の弱いものはショック死することもあるらしい。もはや毒である。
これにはさすがの誠一郎も逃げるしかない。筋肉で臭いは防げないのだから。
「昔、ドラウグルの汁が髪についたときは、おれは三日三晩寝込んだ。寝込んだというより、生きる気力を失った。あまりの悪臭にショックで無気力になってな。ただ虚ろな濁った瞳で寝転んだまま、早く寿命が訪れればいいのになーとか考えてしまっていた」
ウルトラネガティブ!
「洗っても落ちないんですか?」
「ああ。頭皮がめくれるまで洗った小川は汚染され、下流では魚が腹を見せて浮かんだものだ。髪を切って短髪にすることで事なきを得たが、正直二度とごめんだな。以来、おれはエルフでありながら短髪を保つようにしている」
「いやぁぁぁ……」
フィリアメイラが走りながら――襲い来るアンデッドを蹴り倒しながら、半べそ顔で自身の緑髪を慌てて一つ結びにした。
並み居るアンデッドたちを張り倒し、ぶっ潰し、ヨタヨタとついてくるドラウグルからとにかく距離を取ろうとするも、アンデッドの数はあまりに多く、岩場の上に砂が積もっているという極めて悪い足場もあって、思うように走れない。
「メイラ、右だ!」
「わかってます!」
スケルトンの錆びて朽ちた剣を上体を反らせて躱し、背骨をつかんで引き抜き、骨がバラけたところで投げ捨てる。
リビングデッドのグチョグチョ感やドラウグルの悪臭に比べれば、スケルトンの優しさが骨身にしみる。骨だけに。
何せ普通の攻撃しかしてこないし、蹴っても殴っても汁を飛ばさないのだから。
骸骨が愛しく思えてきたわ……。かわいい……。
前方のリビングデッドをラリアットで吹っ飛ばし、誠一郎が苦々しげにつぶやく。
「もう少し距離さえ取れれば、処理は簡単なのだが……」
「どうやるんですっ!?」
「遠距離から腹を狙って石をぶつける。爆発四散で四方八方に汁が飛び散るから、相当な距離が必要だ。成人の走る歩幅で最低でも二百歩はほしい」
メイラはドロップキックでリビングデッドの首を破砕し、途方に暮れた。
前方、右方、左方、後方、くまなくアンデッドがうじゃうじゃと湧いている。数えるのもバカバカしいほどの数だ。
しかも時間が経てば経つほどに、増していっているのだ。
おそらく死の森に埋まっていたすべてのアンデッドが、久しくやってきた二人の生者、エルフの匂いに集まってきているのだろう。
そもそも二百歩の距離が取れたとして、ドラウグルに石をぶつけようにも、二人とドラウグルの間にも無数のアンデッドが湧く。いくら的が大きくとも、すべてのアンデッドを避ける魔球でも投げられない限りはドラウグルに直撃させることは難しいはずだ。
「せめて大樹でもあれば、わたしが上がって投げられるんですが」
「おれが住処にしていた洞窟の上は丘だが、なだらかだから登ってくる。狙撃には向かんな」
誠一郎はいつの間にかスケルトンから錆びた剣を奪い取って、力任せにアンデッドを叩き潰していた。
「セイさん、ずるいっ」
「別に渡してもいいが、メイラの細腕ではまともに振り回せないのではないか?」
「う……」
上半身は正直あまり鍛えていない。たぶん女の子よりは少し強い程度、もしくは一般的な成人男性と同等くらいだ。
刃が研がれているならともかく、あんな錆びたナマクラでは確かに使えそうにない。
「ひぃ~ん」
一体の巨大なリビングデッドが、フィリアメイラの頭を囓ろうと顎を下げる。
――ァァ……ァ……ママァ~……バブゥ……。
「誰がママよ! あんたどう見ても成人でしょうが!」
フィリアメイラは破れかぶれになって、目の前に迫ったリビングデッドの側頭部を蹴った。首がすっ飛び、腐った汁が飛散する。服に。
「うぇ~ん……」
そんな状態ではいくらも進めない。速度を出せなければ、ドラウグルはヨタヨタしながらも、どこまでもついてくる。
「ううむ。キリがないな。――そうだ。いいことを思いついたぞ、メイラ」
「なんッ、ですッ、かッ!?」
ハイキックで一体、ミドルキックで一体、ローキックで一体吹っ飛ばして、フィリアメイラは結局解けてしまった緑髪を降って振り返った。
「――へ? きゃぁ!!」
まさにその瞬間、逞しい腕に少女の全身は持ち上げられていた。
背中と足に手を入れられて――お姫様抱っこというやつで。
カ~~~っと、顔が発熱した。
こんなときなのに。
「え? え?」
抱えて逃げてくれるの……? だったら嬉しい……!
太もものあたりに添えられていた腕が動き、するりと足の隙間へと入ってきた。お尻の方から侵入した腕は、下腹部にそっと触れて。
「えぁ!? あ、や! あ、あたってますって――」
「着地は任せる」
「……」
……んん? なんて?
「投げるぞぉ!」
んんんんん!? わたしを!? また!? また投げるの!? わたしってそんなに投げやすいの!?
理解、うん、理解した! でも、ちょっと待って?
「あの、着地点に樹木とかあったら……?」
「どうせ枯れて脆くなっている。蹴っ倒せばいい。キミなら問題なくできる。己の筋肉に自信を持て!」
「いやでも――」
言うや否やフィリアメイラの全身はもう、ぐぐっと地面近くまで引かれていた。
んんんんんんんんんんんんんんんんんんんっ!? うそぉぉぉぉ~~~~~~っ!? 普通心の準備とかあるでしょっ!!
「待――っ」
「そおおおおおおぉぉぉぉっっっりゃあああああああぁぁぁぁぁぁ~~~~っ!!」
ぐんっ、と。
なんかもう、ぐんっ、としか言い様がなかった。
前世含め、かつて経験したことのない速度で北方上空へとぶん投げられた少女エルフは、空気の壁を幾層も頭部で突き破りながら離陸して。
「んににににににににににににににに……!」
風圧に拉げた顔で、涙は一瞬で風に散って。
次の瞬間には死の森の枯れた木々が直下に見え、それが超高速で視界の上から下へと流れていく。や、流れているのは、少女の方なのだけれど。
そして上昇から下降へと変じたとき、フィリアメイラはそれを身近に感じた。
死……。
とにかく頭から墜落するのだけはダメ! 足、足を前に出さないと!
風圧で軋む筋肉をフル稼働させ、少女は大陸にハイパー頭突きをかます体勢から、どうにかドロップキックを食らわせる体勢へと変化させ――。
「にぃぃぃああああぁぁぁぁぁ~~~~~~~~~っ!! っっっらああぁぁぁ~~~~~っ!!」
枯れた樹木を五本ばかり靴裏で蹴り抜き、大地を両足で掻いて数十歩分を滑り、ようやく止まっていた。
大量の汗と涙が全身からドバッ噴き出したのはその後のことだ。
「はっ……ふっ……はっ……ふう、ふうううううう……ふうう……」
かつてない心臓の暴れ方に、少女の両膝は揺れて折れ、ぺたりと尻餅をつく。
「い、生きてる~……」
生きてる。生きてるって素晴らしい。
それより、セイさん。わたしは脱出できたけれど、セイさんは? あんなアンデッドだらけの戦場に一人残ってどうする気なの!?
死ぬとは思えない。アンデッドごときなら何百体いようと、彼は必ず生きて戻る。
けれど、ドラウグルの汁はかぶってしまう。そんなことになったら、いくら彼でも愛せる自信はない。
「まさか、悪臭を帯びるのは自分だけでいいってこと……? わたしだけを逃がしてくれたの……? そんな……!」
いつの間にか暗くなっていた空に星々が浮かびあがり、筋肉エルフがニカッと笑いながら親指を立てる幻覚が見えた。
腰を抜かしている場合じゃない。
だめ。絶対だめ。
「戻らなきゃ……! 臭くなるときは一緒よ……!」
だってあなたは、死の瞬間までわたしに付き合ってくれたんだから!
一度の死ですら、わたしたちを分かつことはできなかったんだから!
覚悟を決めて立ち上がった瞬間――。
見上げた夜空の星の一つが、すさまじい嗤い声を上げながら高速で降ってきた。
「フハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!」
「へ……?」
「ど~~~~~~~~~~~~~~~~~~~んっ」
と思った瞬間にはもう、枯れた樹木をガード体勢の両腕でなぎ倒しながら着地し、すさまじい勢いで両足を滑らせて地面を掻き、少女エルフの側方を抜けて背後に立っていた。
「セ、セイさん?」
「うむ。どうやらうまくいったようだな」
この人、どういう跳躍力をしてるの……? わたしの脚力でも、こんな幅を跳び越えてくるなんてできないんですけど……。
「おっと、まだ安心するのは早いぞ。アンデッドは生者の匂いに惹かれてどこまでも追ってくるからな」
そうつぶやくと、誠一郎は足下から手頃な岩石を片手でつかみ上げ、掌の上で弄ぶようにポンポンと投げた。
「ま、こんなところか」
唖然呆然としているフィリアメイラを余所に、徐々に迫り来るアンデッドらの集団に目を細めて向け、口元に笑みを浮かべる。
「リビングデッドやスケルトンだけであれば、筋トレ代わりに一晩中戦ってやってもよかったのだが、ドラウグルがいてはな」
「……ドラウグルがいなくても嫌ですよ……」
とは言いつつも、ゾンビ的存在にも若干慣れてきてしまっている自分が腹立たしい。
枯れた樹木の隙間から、海のように広がるアンデッドの集団がじわじわと距離を詰めてくる。その中には一体だけ醜く丸く黒く膨らんだドラウグルがいて。
「もう今日は逃げましょうよ~……。やり方はアレですが、やっと距離が取れたんですからぁ~……」
「そうだな。長旅だった。明日のトレーニングは諦めて、休筋日とするか。やつらをとっちめてからな」
休筋日って……。
「無理ですって。ここから投げても、他のアンデッドに当たって落ちちゃいますよ」
「まあ、見ていろ」
右手に持った岩石を、フィリアメイラをぶん投げたときのように地面近くまで引く。
次の瞬間にはもう、誠一郎は岩石をアンデッドの海へと投げていた。
「そぉぉぅらああぁぁぁ!」
ただし、並外れた剛速球というやつを。
それは弧を描くこともなく、重力を無視して地面と水平の軌跡を残し、先頭のアンデッドの胴体部を貫通し、その次のアンデッドの頭部も貫通させ、さらに数十体を血肉の霧へと変化させて、群れの中心にいたドラウグルの腹を突き破って消えていった。
遠くの方で破裂音が聞こえた。
ドラウグルの強烈な腐臭で生者の匂いが隠されたのか、こちらに迷いなく歩き続けていたアンデッドたちの群れが一斉に方角を見失ったかのように、散り散りに進み出す。
考えられない……この人……。
「わかるか? これが筋肉の持つ筋力の力、すなわちパワーだ」
「筋肉の力か、筋力かのどっちかだけでいいと思います。パワーに至ってはいらない。説明が下手すぎる」
突っ込みにも動じず、無敵のエルフは振り返る。
親指を立て、いつものニカッとした笑みを浮かべながら。
「さて、今夜はおれの別荘に案内しよ――うッ、く、く、くっさ!」
「うぷっ!? こっち風下……!」
二人のエルフは両手で鼻と口を塞ぎながら、大慌てでその場から退避した。
やれやれ、まだまだ修行が足りんな!
上唇鼻翼挙筋を締めることにより、臭いもシャットアウトできるゾ!(できない)
( ´^ω^) n
⌒`γ´⌒`ヽ( E)
( .人 .人 γ /
=(こ/こ/ `^´
)に/こ(




