第19話 死骸の森のアンデッドさん
前回までのあら筋!
フィリアメイラのスカートは二重だから、ちょっとくらいならめくっても大丈夫だぞ!
レシアス砦北門を抜けて、二人のエルフはひたすら北上する。
ディアボロスであるリゼルが支配地を変更したためか、あるいは魔神イブルニグスに追いやられてしまったか、いずれにせよ――。
――オオオオォォォォーーーーーーーーーーーーーーーッ!!
魔物の咆哮、轟く。
獅子の頭に蛇の尾、山羊の角を持った巨大な獣が大地を蹴った。本能のままに獣の咆哮を上げながら、牙を剥いて。
足を止めずに走り続ける二人のエルフへと。
――ガアアアアァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!
「ぬっ!!」
しかし。受け止める。
漢は己の体躯の数倍はあろうかというキマイラの上下の牙を、無謀にも両手でつかんで。腕のあらゆる筋肉を、ビキビキと膨れ上げさせながら。
「なんだァ、貴様は?」
走りながらだというのに、漢は両足を軸にして筋骨逞しきその肉体を回転させ、勢いのままにキマイラの巨体を適当にぶん投げた。
「邪魔だぞ?」
並外れた体躯、並外れた筋肉に、並外れた体幹。どれほど体勢を崩そうとも、彼の体幹が崩れることはない。
空中で数回転しながらキマイラは同族の別個体を巻き込み、背中から大地にドシャァっと落ちて滑った。
――グガァッ!?
その横を暴風のごとき勢いで漢が駆け抜けていく。
倒れたキマイラになど、一瞥すらくれずだ。
獲物を逃がすまいとして、なおも顔を上げたキマイラの鼻先を、今度は疾風のような勢いで走り込んできた少女が躊躇いもなく踏んづけて走り抜けていった。
「ごめんなさぁ~いっ」
二頭のキマイラが立ち上がる頃には、もうその姿はすっかり消えている。
まるで風の中で垣間見た幻のように。
「多いですね。さっきから魔物だらけ。まだ人間領域のエルザラーム地方なのに」
「それだけライゲンディール地方に近づいているということだ。おれたちはリディス山脈の最西端に位置する死の森からライゲンディール入りを果たす」
死の森。
森に降り注ぐ恵みの雨を名に冠するレインフォレストとは、正反対の嫌な名前だ。
「死の森って、セイさんが二百年もバカみたいに筋トレをしてたっていう……?」
「そうだ。リディス山脈が翼ある種族にしか越えられん以上、ライゲンディール地方へと至る唯一の道だ。あと、バカではないぞ。筋トレは脳の活性化にもつながるからなっ。ハーッハッハ!」
「……活性化の方向性よ……」
リディス山脈はアズメリア大陸を南北に分断している山脈だ。
それより北を魔族領域、南を人間領域と呼ぶ。
細かい分類を言えば、人間領域はさらに中央に位置するレダ砂漠を東西に分けて、東が亜人領域、西が人間領域となっているが、人類王と亜人王には軋轢もなく、極めて良好な関係を築けていることから、まとめて人間領域と呼称されることが多い。
だが、終わる。その安全な領域も、いよいよ。
道無き草原の果て。草木は枯れ始め、緑色の大地は褪せた茶褐色へと変化し、魔のものの臭気が漂い始めるのだ。
誠一郎は、すれ違いざまに棍棒を振り下ろすトロールの足をスライディングしながらつかみ、己の倍以上はある巨体を片腕で振り上げて大地へと叩きつけ、まるで何事もなかったかのように走り続ける。
その視線の先はもう――。
「死の森だ」
枯れた森。枯れているのに深い森。生命の息吹が極めて少ない森。茶褐色の森。
草原と森の境界線を越える。二人のエルフが。
それはつまり、人間領域から魔族領域へと踏み入ったことを意味していた。
死の森には、若葉はもちろん枯れ葉すらない。風雨によって折れた細い枝がいくつか落ちているけれど、そのほとんどが風化してすでに渇いた砂塵と化している。
ゆえに、森でありながら砂上を走っているようなものだ。しかも平地とは違い、砂の中に岩石が埋まっているものだから、ひどく走りづらい。
遅れないようにしなきゃ――!
迷わず前をいく漢の背中を追って、フィリアメイラは足を速める。風化しかけた倒木を蹴って手をつきながら岩を乗り越え、ひたすら誠一郎の後を追う。
「思ったより静かなんですね」
「ん? ああ」
もっと魔物が出るものだと思っていた。
魔族領域の大半は魔物の巣窟だ。魔族の支配魔法を受けた魔物でさえ、有事以外の際には野放しにされている。
だが、ここはどうだ。
生命の息吹がほとんど感じられない。
死の森に踏み入って見た生物といえば、本当にごくわずかな植物であるとか、砂漠地方に棲んでいるような砂漠蛇や砂蜥蜴だけで。
「油断するなよ、メイラ。この森に潜む魔物は気配をつかめん」
「へ?」
「視力筋はもちろん、嗅覚筋や聴覚筋を意識して研ぎ澄ませておくのだ。常にな」
そんな筋肉はない。少なくとも、わたしには。
走りながら誠一郎が空を見上げた。
深い森であるとはいえ、ほとんどが枯れ木。葉が生い茂っているわけではないため、吹き抜けのように空が見える。
夕暮れ時の、赤く滲んだ空が。
「そろそろ出てくるな」
誠一郎がそうつぶやいた瞬間だった。
ぼこり、砂だったものが盛り上がる。そこから突き抜けたものが人体の手であると認識した瞬間、フィリアメイラは自身の喉から息のような悲鳴が漏れるのを感じて足を止めていた。
「ひ……っ!?」
手だ。ただし、虫に食われて腐っている。
ゾゾゾワっと、背筋に悪寒が走った。
数歩後ずさり、両手を握りしめて口元を隠す
匂い。いや、臭い。吐き気がする。
これ、死臭……?
「セ、セセセイさぁん!!」
「む? どうした?」
シュタタタタと走っていた誠一郎が引き返してきて、フィリアメイラの側で止まった。いや、止まっていない。太ももを交互に高く上げ、腕は大きく振ったままだ。
「足を止めてはトレーニングにならんぞー! フハハハハ!」
「アレ! アレアレアレアレアレェェェェェ!」
――ア……アァァ……アァァァァ……。
地面から草木のように生えた手が大地をつかんだ直後、ぼこり、と顔面が生えた。
皮膚爛れ、頬は裂けて口内が覗いていて、泥土に汚れ混濁した瞳で二人のエルフを見て。緩慢な動作で這い出してくる。
――アアアァァァァ……アァァァァァ……。
最初の右手、次に虫に食われて腐り果てた頭部、そして裂けた右肩、左腕、さらに――。
誠一郎がシュタタタタとそれに走り寄り、右足を持ち上げる。
「ぁと~~~~~~~うっ!」
――アァァァァ……ァン……♥
ずどん、ぐちゃり。
一片の容赦もなく、左肩まで見せたそれの頭部を踏んづけて、誠一郎が再び土の中へと押し戻した。その後、丹念に砂だか土だかで埋めて踏み固める。
そうしてフィリアメイラへと振り返って。
「気のせいだァ!」
「や、いましたって! 今セイさん、なんか埋めたでしょ!? ゾンビ的な何かを!」
「むぅ。やはり死人系列の魔物は女子には不人気か……。可愛くないしな……」
何言ってんのっ!? てか、アンデッド!?
ゾクゥ……。
「え、ええ、聞いてないですっ!」
「死の森だと言っただろう。ここの主な魔物構成は、大半がアンデッドだぞ。リビングデッドにスケルトン、ドラウグル。ゾンビを主食とするグールも数多く潜んでいるし、厄介なところでは上位魔族のレヴァナントなどもいる」
ああ、それで気配がつかめないんだぁ。死んじゃってるから。みんな死んでるから。
嗅覚や聴覚に頼れっていうのは、魔物がほとんどアンデッドだからだったのね。
心の底からっ、いぃぃぃ~~~~~~やぁぁぁぁぁ~~~~~~~~~~~っ!!
「あと、これはやかましいだけで無害だが、ファントムとかいう愉快なやつもいるぞ」
前世の言葉でいうと幽霊、亡霊、悪霊だ。一番最悪の相手だ。
そんなのを深夜に見てしまったら、卒倒してしまう。
「ひっ!? 無害なわけないじゃないですかっ!」
「やれやれ、やはりメイラは脳筋だな。シン筋グを鍛えるのだ」
うまいこと言ったつもりになってる可愛らしいドヤ顔に、今ばかりは殺意が湧いた。
「いいか? なんと、ファントムたちは魔物に分類されているにもかかわらず、殴りかかってこないのだ!」
びゅうと風が吹いた。
沈黙が耳に痛い。
続く言葉を待っていたフィリアメイラが、諦めて口を開く。
「それがっ!? それが何なんですかっ!?」
「やつらは存在自体が透過しているからな。こちらも殴れないが、殴られることもない。だとするならば、無害以外の何者でもないだろう?」
超理論が飛び出してきた!
「で、でも、ファントムに足首をつかまれたって証言をする人もいるんですよ!? つかまれたときの手形が残ってたりするって話も結構あるじゃないですかっ!」
誠一郎が可愛らしく首をかしげた。
「ならばぶん殴ればいいではないか。向こうがこちらの肉体をつかめるのであれば、こちらからもあちらの肉体をぶん殴れるはずだ。――つまりィ~? お待ちかねのォ~? 筋肉の出番だァァ!」
うーわー……話通じなさそう。
殴れるやつは怖くないって? 人はそれを脳筋思考と呼ぶのだと思いますが!? なんでわたし、こんな人に脳筋扱いされてるの?
「まあ、安心するがいい。おれの知るファントムってやつは、ただただ人様の耳元で生前の恨み辛みを吐くだけ吐いて、朝にはちゃんと消えているやつらばかりだ。こちらが気にしなければ人畜無害。むしろ門限をキチンと守るあたりなど、ファントムは律儀な魔物だ。そう――」
誠一郎が気障にウィンクをしながら悪戯な笑みを浮かべ、フィリアメイラを指さす。
「――昔のキミと違ってな? はーっはっはっは!」
「子供の頃の素行が悪くてすみませんねっ!?」
レインフォレストに壊滅的被害を出してしまった過去に、軽くへこむ。
当時はレインフォレストの外の世界をどうしても見たかっただけで……ってかそんなこと今は心底どうでもいいわっ!!
フィリアメイラが表情を引き締めた。
「帰りましょう、セイさん。今すぐに。アンデッドが大量に出てくる前に引き返して、他の道を探すのです」
誠一郎がビッと親指を立てる。
「無理だ。リディス山脈はレッドドラゴンの背中にでも乗せてもらえん限りは越えられんからな」
「何を良い笑顔で言ってるんですかっ!! ドラゴンこそ物理的にぶん殴って無理矢理背中に乗っかってやればいいんですよ!」
「いや、あのな、ドラゴンは神格生物で――」
「――うるさいですっ! こっちはアンデッドですよ!? くっさいし、ぐちょぐちょだし、虫とか体内に入っててすんごい気持ち悪いじゃないですかっ!!」
誠一郎の大きな手が、メイラの肩へとのせられる。
そうして、おもむろに首を振って。
「メイラ、見かけで人を判断してはいけない。筋肉とは博愛だ。大胸筋の最奥部に優しき心を持つのだ」
「アンデッドはもう人じゃないでしょ!? 筋肉どころか腐肉ですし! てか、あいつら、本能でしか動いてないから命ほしさに生物をなんでも食べちゃうんですよ!? どうせ食べたって生き返れないのに!」
おそらくこれが、死の森の死の森たる所以だ。
この森のアンデッドたちは、森の魔物も動物も食い尽くし、そして植物までも食べ始めた。だから森が死んだのだ。
最初はたぶん、大きな戦場でもあったのだろう。
「囓られちゃいますよっ、わたしたちも! セイさんの大切な筋肉もね!」
「おれの筋肉を囓る? 歯がへし折れてしまうぞ?」
誠一郎が左右の眉の高さを変えつつ、首をかしげる。
その仕草が可愛らしく見えてしまう自分が腹立たしい。
「むう。まあいずれにせよ、アンデッドなどというものは、やつらが動かなくなるまでぶん殴ればいいだけではないか。どうせもう死んでいるのだから遠慮はいらんぞ。――そうだっ、むしろ日頃の鬱憤を晴らすチャンスだっ! 四方八方に八つ当たりだ!」
この謎の勢いよ……。
「さっきの博愛精神は筋繊維の隙間にでも呑まれて潰れたの!?」
「おおっ、うまいこと言うな。今のは百点だぞ! フゥーハハハハハ!」
「………………皮肉が通じないわ……」
というか。
わたしの鬱憤を晴らすには、もうあなたを蹴るしかないのでは。蹴ってうまく気絶させられたら死の森から運び出せるかも。
や、無理か。無敵だもん、この人。
「それに戦闘はトレーニングにもなるぞ! おれも当初は無限に湧き出てくるアンデッドを相手に鍛えたからなっ! 楽しめ、筋トレを! ハハハ、マッスル! ハハハ、マッソイ!」
「だいぶおかしいですよ!? それもう筋トレの範疇超えちゃってますからね!?」
そうこう言っている間に次々と死の森表層の砂が盛り上がり、むくり、むくりと、アンデッド系列の魔物が起き上がり始めていた。
「と、とにかく帰りましょう! そうだ! 航路! 航路が残ってます!」
「とてつもなく遠回りではないか。……いや、それ以前にもう手遅れのようだぞ」
そうして、二人のエルフは囲まれる。
大量のアンデッドに。
アンデッド見てたら腹が減ってきたな
(´・ω・) n
⌒`γ´⌒`ヽ( E)
( .人 .人 γ /
=(こ/こ/ `^´
)に/こ(




