第2話 筋肉さえあれば㊦
前回までのあら筋!
筋肉さえあれば、通過列車を力尽くで停止させることができたはずだッ!
(違う)
「――う、あああぁぁぁぁぁぁッ!!」
………………。
…………。
……ハッ!?
毛布を突き飛ばして身を起こす。薄い胸に手を当てると、心臓がバクバクと跳ね回っていた。
寝汗ぐっしょりで、息も絶え絶えだ。
なんだか怖い夢を見た気がするけれど、思い出せないや。
「はぁ、はぁ……ふぅ~……」
木造のベッドから周囲を見回す。
本棚には何十冊もの魔術書が、几帳面に背表紙をそろえられて沢山並んでいる。そろそろ本棚を増やさないと、もう収まりきらなくなりつつあった。
木材だけで造られた、小さな家。
いつもの部屋。ぼくの部屋だ。いつも通り。何も違わない。
「うひゃあ~……。寝汗、ひどいや。毛布を洗おう」
持ち運びやすいように四つ折りにしてたたむ。
「よいしょっと」
屈んで持ち上げようとするけれど、これがなかなかに重い。
人間族だったらこれくらい簡単に持ち上げて歩けるらしいけれど、華奢な身体のぼくらエルフ族にとっては、こんなことでも結構な重労働なんだ。
ぼくは大樹の枝の上に建てられた小さな自分の家から出て、空を見上げた。
朝日の木漏れ日が、少し、眩しい。でも、うん。いい朝だ。
ハイエルフの集落――雨の森の朝の匂いは、大好きなんだ。
小鳥さんが鳴いている。
一羽がパタパタとぼくの肩に止まりにきた。青い翼の子だ。幸せ色で可愛い。
「やあ、小鳥さん。今日はいい天気だね」
ぴぃ。
返事をするように一声鳴くと、小鳥さんはすぐに飛び立っていった。
いつもの朝の挨拶だ。たまにお友達のリスくんを連れてくることもある。木の実をよくトレードしているのだとか。ふふ、微笑ましいね。
レインフォレストは、今日も快晴っ。
洗った毛布もよく乾くだろう。
「よし! 今日も一日、魔法の研究をがんばるぞー!」
レインフォレストは、円陣を描くように茂る五本の大樹を中心とした広く深い森だ。
ぼくらの住む家屋はすべて大樹の大きくて太い枝の上に建てられていて、五本の大樹はすべて枝から枝へと吊り橋で繋がれている。
樹上という高所に家を構えることで、外敵の侵入を避けているんだ。
なんたってぼくたちエルフ族は、野蛮な争いなんて好まない、清く、正しく、穏やかな、平和を愛する種族だからね。人間や魔族は怖い人たちばかりさ。
「よいしょ、よいしょ、毛布重いな」
ぼくの身体は華奢なエルフ族の中でも、特に小さくて細い。
人口わずか五十名ほどのレインフォレストにはエルフ女子たちも何人かいるけれど、彼女たちと比べてさえぼくは線が細いんだ。
女の子たちはぼくを見て「うらやましい」って言うけれど、正直なところ、母さんにはもう少し強いエルフに産んでほしかった……と、考えてしまうのは贅沢かな?
なぜならぼくには、他のエルフたちにはない強い魔力があるから。
エルフ族は成長とともに徐々に魔力が上昇していき、百歳を超える頃にはみんな、才能に恵まれた人間の大賢者と呼ばれる一握りの魔法使いでさえ到達できない域に達する。それは生きてさえいれば誰でもなんだ。
でもぼくは不思議なことに、産まれた瞬間から大賢者クラスの魔力を持っていた。
だからおそらく、百歳を超える頃には、ぼくはこの世界のあらゆる種族の誰も到達したことのない、古竜や魔王でさえも超越する魔法使いになるだろうって、長老たちは言ってくれている。
要するに、ぼく――つまり、レインフォレストのセイリーンは、将来を有望視されるエルフ族の神童扱いなんだ。
「うーん、洗濯小屋まで運ぶのは大変だし、もうここで洗っちゃうか~」
ぼくは水魔法で大気中の水分を球体状にして自分の頭の上に浮かべた。水の玉だ。無粋な詠唱なんて必要ない。ぼくがそう望めば、水はただ答えてくれるのだから。
魔法なんて、簡単簡単!
「よいしょっと」
そこに毛布を入れて、空に浮かべた水の玉を魔法でかき回す。
これで大体の汚れは落ちる。終わったら適当に風属性の魔法で水を切って、あとは大樹の細枝にかけておくだけで、夕方には太陽の香りのする毛布のできあがりさ。
今夜それで眠れると考えるだけで、幸せな気分になる。太陽の匂いは大好きさ。
「わあっ、セイリーン様の魔法だ~」
声に振り返ると、ぼくより十年ほど後に産まれたエルフ女子、フィリアメイラが毛布を持って立っていた。
ぼくの魔法を見て興奮したのか、ピコピコと可愛らしく長い耳を動かしている。小鳥さんの翼みたいだよ。可愛いなあ。
「おはよう、フィリアメイラ。今日はとてもいい天気だね。小鳥さんたちも元気に歌ってくれているよ」
「おはようございます、セイリーン様! すごいです、その魔法!」
深緑色の髪に、同じ色の瞳。
フィリアメイラは人なつっこくて活発な女の子で、冒険と称してレインフォレストの外に出ては長老たちに叱られている。
外は魔物や人間の奴隷商なんかがいっぱいいて、エルフにとってはとても危険だから。
「えへへ。照れるな。よかったらフィリアメイラのも洗ってあげる。ほら、貸して?」
「い、いいですよぉ。エルフ族全体の未来を双肩に背負うセイリーン様にそんなことさせられないもん。……長老様にまた叱られちゃうわ。わたしは洗濯小屋で洗いま~す」
そう言ってぺろっと舌を出し、肩をすくめて片目を閉じる。
可愛い仕草。少し気恥ずかしくなる。
「じゃ、また後でね! セイリーン様!」
「うん!」
フィリアメイラはぼくに手を振って、鼻歌交じりに大樹の洞にある階段を下って行った。
洗濯小屋は森のせせらぎにあるから、わざわざ大樹の下まで降りないといけないんだ。
「ぼくは気にしないのになぁ。長老様たちはあいかわらず過保護なんだから。今度強めに言っとかなきゃ」
ウォーターボールから毛布を取り出して、残った水の玉を大気中の水分へと戻す。あとは風魔法で毛布を乾かすだけだ。
生活のほとんどが魔法で事足りる。なんたってぼくは魔法の天才だからね。
「おっとっと……」
落ちてきた毛布を受け止めて、ぼくはつんのめる。
意外と重い。水を吸ったからだ。もしくは、ぼくが非力すぎるから。
とにかく、早く乾かして水分を抜かないと、重くて――。
「あら、あらららら!? おお? おおおおお!? あ、ちょ、ちょっ!」
細枝のような足がふらつく。ふらふら、ふらふら。
大樹の大枝の端で。遙か眼下の高さたるやもう。
毛布を一度置こうと思った瞬間にはもう遅かった。
「あ、あ、あ……っ、あ~~~~~~~~~~~~~~…………あンッ!!」
ぼくは、洞の階段を下るフィリアメイラよりも早く地面に頭から達し、真っ赤に染まった視界と薄れゆく意識の中で、大樹の洞から出てきたばかりの彼女の悲鳴を聞いていた。
………………。
…………。
……ハッ!?
「痛ぁッ!? っつ~~~~……かぁ~! 痛え……! ちくしょう……!」
ベッドから飛び起きて、おれは強烈な頭痛に顔をしかめた。
細く白い、女の子のような腕。おれの腕だ。耳を触れば長く尖っている。おれの、いや、ぼくの耳か。
んんんん? ぼく? 待て待て待ってくれ、頭を打って混乱しているのか?
おれは電車に肉片をぶちまけられて女子高生と死んだリーマンだ。そしてぼくは、エルフ族の神童と呼ばれる天才魔法使いで。
「ぼくは……おれは……誰だ……?」
額を押さえてうつむく。赤く染まった包帯がほどけかけていた。
どうやらそれを巻いてくれたらしいフィリアメイラが、部屋の隅で椅子に腰掛けたまま眠っている。
このエルフ女子がフィリアメイラであることはわかる。あの事故で助けられなかった女子高生にも、どこか似ているけれど。
「あぁ……」
頭を打って、前世の記憶でも蘇ったということか? アホ臭い想像だが、それが一番しっくりきてしまう。
そうか。おれはエルフに生まれ変わったのか。
誰もがうらやむ美しき姿の高位種族で、精霊の祝福を受けし穏やかなる森の民。人の王がどれほど望もうとも手に入らぬ永遠にも等しき長命を持ち、魔族のそれをも凌駕する天賦の魔法使いでもある。
だが。
だが、と。
ベッドから細く頼りない足をぺたりと木の床へと下ろす。
この細枝のような手足だけは、前世も今世も変わりゃしない。少々、幼くなってしまったようだけれど。
おれは頭を抱え込み、ため息をついていた。
「なんでだよ……。また痩せっぽちかよ……」
長命、美形、魔法の天才。
そのようなものになんの価値があるというのか。現世以上に貧弱な肉体になど、一体どれほどの意味があるというのか。
いらない。魔法や知識など。欲しいものはただ一つ。
筋肉だ!
おれはその願いに逆らう術を持たない。何せ叫ぶのだ。強烈な渇きを覚えて水を求めるように、頭の中で何度も何度も。
“筋肉”を求めろと。
「……いや、待て……。永遠の命……?」
刹那、天才的頭脳に閃光が走った気がした。
笑みがこぼれる。
できる、これならば。
「……くく、いいだろう。たとえ何百年、何千年かかろうとも続けてやる……」
筋トレを!
おれは足を引きずり、その日のうちにレインフォレストを去った。
そして、二〇〇年が経過した――。
反吐が出るようなファンシーな世界観はここまでだぞ☆
(´^ω^`) n
⌒`γ´⌒`ヽ( E)
( .人 .人 γ /
=(こ/こ/ `^´
)に/こ(
※第3話は本日0時くらいに投稿します。