第11話 心優しき悪魔
前回までのあら筋!
誠一郎の脳筋症状が次の段階に入ったぞ!
そこはまるで地獄のような地だった。
少なくともおれの記憶の中での日本や、転生してからのレインフォレストなどとはまるで違っていた。
アズメリア大陸、人間領域であるエルザラーム地方より遙か北方――。
ライゲンディールと呼ばれる地がある。そこは数多の手勢を抱える人類王の支配領域の外。天衣無縫に振る舞い混沌を好む亜人王の支配領域ですらない。
魔と魔とが覇権を巡って激しく血を染みこませ続けた、渇く事なき赤の大地。
かつて魔王と呼ばれた存在が支配していた、魔族領域だ。
レインフォレストを去って以降、人類領域での数年間の筋トレ期間を終えたおれは、さらなる筋肉を求めてライゲンディール地方へと足を踏み入れた。
そこはおれの想像を遙かに超えた地獄だった。
いくつもの勢力に分かたれた魔族が魔王の座を狙い、手勢と手勢をありとあらゆるところでぶつけ合っていたのだ。
毎日、雨のように血が降り注ぎ、どこにも安息の地などない。あったとしても、そこは魔族にはなれなかったなり損ない、魔物の巣窟だけだ。
魔王――。
かつてそう呼ばれたディアボロスが、人類王の派兵した勇者に討たれてから、およそ一千と二百年。その後継が決まらぬ限り、この地の争いが絶えることはない。
踏み入った当初は生き延びるだけで精一杯だった。
魔族同士の戦場にはとてもいられず、おれは知らずに魔物の巣窟へと足を踏み入れていた。何せ、戦場か巣窟かの二択だったからな。
魔族を相手に戦うよりは、魔物の方が幾分マシだった。
おれはそこで無我夢中になって生き延びた。
次から次へと襲いかかってくる魔物を、魔法以外のありとあらゆる手段を講じて張り倒し、力任せに皮を剥ぎ、肉を削いで喰らった。その肉を目当てに襲いかかってきた魔物も殺し、喰らえるものは喰らった。
いつ己が喰われる側に回るともしれない状況で数十年、おれは自らの筋肉だけを頼りにその地で生き続けた。
ようやっと、その巣窟での食物連鎖の頂点に立とうとしていた、そんなときだ。
魔物の巣窟だと思っていたその森に、魔族が攻め入ってきたのは。
ところでメイラは、魔族がどうやって己の手勢を増やしているか知っているか?
たとえば先ほどのサイクロプスのような、言語野すらろくに発達していない知能の低い魔物が、なぜ魔族におとなしく従っていると思う?
え? 筋肉草で餌付け? ハハハ、メイラは脳筋だなあ!
魔族は己の手勢を増やすため、自身の支配領域内に存在する巣窟に棲む魔物を、力で屈服させた後に魔法で服従制約を施し、己の手勢としているのだ。
巣窟自体は放っておいてもいくらでも発生するゆえ、支配領域がある限りは手勢に困ることはない。
ゆえに、当然のようにおれのいた巣窟に攻め入ってきた魔族は、自身の支配領域下で謎のエルフであるおれが、魔物の手勢を増やしていると勘違いをしていたんだ。
つまりその魔族の狙いは魔物ではなく、おれという異分子の排除、もしくは服従だった。
魔族の強さは異次元。もはや魔物どころではなかった。
魔法も筋力も野生の魔物とは桁違いだ。おれはあっという間に追い詰められた。そして、他の魔物同様に叩き伏せられ、魔法による服従制約をかけられて配下になることを強要された。
しかし制約とはいえたかだか魔法。
強靱なる心の筋肉で守られたおれの精神は屈服させられないと見るや、その魔族はおれへの興味そのものが失せたかのように、命を奪いにきた。
ハハ、心の筋肉といっても、心筋のことではないぞ? メイラは本当に脳筋だなあ。
すなわち、精神力のことだ!
俗に言うところの、くっ殺状態となったときだ。あいつが飛び込んできたのは。
ディアボロス。魔族の中の魔族。原始にして最も純粋なる魔、あるいは、悪。
それは、魔王となるべくして生まれた生命のうちの、一つだった。
おれを追い詰めていた魔族らは、あいつの姿を一目見るなり、這々の体で逃走を始めた。あいつは魔族たちを追い払いこそしたが、追わなかった。ただつまらなさそうに見送っただけだった。
おれはそいつに、なぜおれを助けたのかと問うた。
そいつはおれに、理由が必要かと問い返してきた。
惚れた。やつの筋肉に、おれは惚れてしまった。
おれはそいつに師事した。
毎日のようにそいつに鍛えられ、おれは着実に良質の筋肉をつけていった。
変わったやつだった。
ディアボロスもまた魔王となるため、勢力を増やし始めるやつが大半だ。
ただ、通常の魔族が魔物を使役するのとは違い、ディアボロスは魔物ではなく魔族をも支配し、手駒とすることができる。
けれどそいつは、誰も支配しようとはしなかった。
魔物も、魔族も。……いつも傍らにいた変わり者のエルフもだ。
以降、何度も魔族の襲撃を受けたが、そいつはやっぱり追い払うだけで、支配や服従といった言葉からは縁遠い生き方をしていた。
たった一体のディアボロスが、数百の魔族を蹂躙する様は、壮観という他なかった。
おれたちは同じ釜の生肉を喰らい、互いに研鑽を積んだ。とはいえ、ほとんどおれがあいつに鍛えてもらっていたようなものだ。
楽しかった。己の筋肉が段階を経て変わっていく様を、あいつは自身のことのように喜んでくれた。
何? ちょっとボーイズ・ラブっぽい? ハハハ、メイラは腐女子だな! だが、全力での筋肉のぶつけ合いは気持ちがいいぞ!
あいつはおれに多くのことを教えてくれた。
筋肉の効率的な付け方、筋肉の楽しい増やし方、筋肉の持つ優しさ、筋肉だけが放つ美しさ、筋肉がもたらす希望、筋肉との語らい方、筋肉と睡眠の深い関係に、筋肉に名称をつける意――え? 筋肉のことはもういい? 他のこと?
あ~、まあ、他にも、ほんとに些細で心底どうでもいいことだが、魔族領域にも他種族にとって比較的安全な都市が存在していることや、魔物のおいしい調理法、魔族勢力の分布図なども教えてくれたな。
心底どうでもいいことばかりだが。
だが――。
だが、おれがレインフォレストを旅立って百九十年が経過する頃、あいつはふいに姿を消した。なんの前触れもなく、おれの前から消えてしまったんだ。
師弟を超えた相棒だと思っていた……。
どれだけ大胸筋を分厚くしても、おれは胸にぽっかりと穴が空いた気分を拭えずにいた……。
おれは結局、あいつに一度も勝つことはできなかった。
おれは待った。あいつの帰りを。強くなったおれの筋肉を、あいつといた頃より遙かに逞しく成長したおれを見てほしかった。
だから待った。
あいつは帰ってこなかった……。
襲来する魔族を一人で撃退するのが習慣になった頃、おれはその巣窟を去ることにした。
おれたちが筋肉の巣としていた洞窟の岸壁に、やつへの置き手紙として、指先で文字を刻んで。
どうだ、ロマンチックだろう。
突き指? ハハ、岩壁程度で突き指なんてするわけないだろう。メイラは心配性だな。
言い訳はない。寂しかったのだ。
あいつとの数十年間が、力だけを求めていたおれの心を正常に引き戻してくれていた。
え? 全然正常じゃない? おれが? ハハハ、何の冗談だ!
とにかく、誰かとこうして話す喜びを、あいつはおれに思い出させてくれたんだ。
“己の筋肉とは、己のために存在するに非ず。他者のために在る。”
『筋肉経典』第一章第七項――。
そしておれはレインフォレストへと帰ってきた。
あの出逢いがなければ、おれは力だけを求める魔族のような生き方を無様にさらしていたかもしれん。あいつがいなければ、おれは考えることなき、ただの歩く筋肉の塊という哲学的な存在となっていただろう。
え? 今でも十分に脳筋? ハハハ、そのようなことはないぞ!
※
そこまで話し、誠一郎は静かなため息をついた。
「フ、情けない話だ」
「そんなことは……。そう……ですか。お手紙をくださったのは、セイさんのお師匠様だったのですね」
筋肉モリモリなら、たぶん男の人だ。よかった。
でも性的に交錯してたらどうしよう。
「師匠か。そうだな。そう呼んで相違なかろう。やつがおれに救いを求めているならば、おれはそれに応えねばならない。もっとも、相手は悪名高きディアボロス種。そのようなことを長老に話せば、このバッカモ~ンと叱られて押し入れに閉じ込められてしまう。だからここまで黙ってやってきたのだ」
金色の短髪を片手でガリガリ掻いて、誠一郎が苦々しい表情をした。
あ、この人、長老様の雷はまだ苦手なんだ。
まあ、力では遙かにセイさんの方が強いけれど、見かけだけならもう、リガルティア様はマウンテンゴリラ超えちゃってるからなあ。
相手のことを「うぬ」と呼んだり、自分のことを「我」とか言ったり。頭なんてモヒカンにしちゃったし、この前なんて何に使うのか知らないけど、奪った騎士の鎧から肩パッドだけ剥ぎ取ってたし。
神様、どうかセイさんまでゴリラに進化しませんように……。細マッチョとか贅沢は言いません。せめて進化後もただのマッチョでいてくれますように……。
マウンテンゴリラ程度で済むと思ってんの?
(´・ω・`) n
⌒`γ´⌒`ヽ( E)
( .人 .人 γ /
=(こ/こ/ `^´
)に/こ(