第10話 魔族侵攻
前回までのあら筋!
重度脳筋と軽度脳筋がサイクロプスをやっつけた!
カリカリ、カリカリ。
固く団子状に締められた結び目を、何度も爪で引っ掻く。しかしサイクロプスの怪力できつく縛り上げられた縄はなかなか解けない。
だが、大きな外傷が見当たらないところから察するに、縛られ引きずられていた人間たちは、どうやら全員無事のようだ。
「な……なんて人たちだ……。……サイクロプスをあんな簡単に追い払うなんて……」
「それも素手で! フル装備の騎士が十数名がかりでやっと倒せる魔族なのに!」
縄に縛られたまま、男たちが口々に二人のエルフを褒め称える。
もっとも、誠一郎は彼らの前で膝を折り、縛っている縄に指先を引っかけることに夢中だけれど。
「ぬ、ぐぐ、解けん。イライラしてきたぞ」
フィリアメイラもまた、その隣で両膝を折り、こちらは両手に顎をのせて様子を眺めていた。
「セイさんって不器用なままなんですね。昔から魔法以外はちょっとドジなところがありましたよね」
「まったくだ。だから己の筋力を見誤り、木枝から足など滑らせる」
誠一郎とは違って、フィリアメイラの表情は楽しげだ。
いつも筋肉自慢をしまくるエルフが、チマチマと指先を動かす様が、ちょっとばかり可愛らしく思えるからだ。
「ぬぐぁぁ、だめだっ! もういい! 面倒だ! ――ぬふぅぅぅぅ……――粉ッ!!」
結局、最終的には力任せに引きちぎり、縄の残骸を地面に叩きつける。
「フゥーハハハハ! 植物性の繊維質風情が逆らいおって、このおれの筋繊維の敵ではないわッ! たかが縄ごときが身の程を知れィ!」
プンスカ怒る愛しきエルフの姿に、思わず苦笑が漏れた。
「…………大人げないわ~……」
サイクロプスに引きずられていた人間は五名。意識があるのは、うち二名だけだ。
いずれも男性。気絶しているのは二人の女性と、一人の子供だった。
「あ、ありがとう。あんたたちは何者だい?」
口をつぐんだフィリアメイラを尻目に、誠一郎は瞳を細める。
エルフだと話せば、また追われる身にもなるかもしれない。だが、その程度のことは問題ではない。筋肉さえあれば、どのような困難にも立ち向かえるのだから。
「おれたちはレインフォレストのハイエルフだ」
「ハイエルフ!? ハイエルフだって!? レインフォレストのハイエルフは五十年ほど前に奴隷商に狩り尽くされて絶滅したと聞いていたが……」
誠一郎の横に立つ緑髪の少女エルフが小さくうなずいた。
「はい。いろいろありましたが、こうして細々と存えていたのです」
「細々? フ、筋繊維はこうして太く逞しくなったがなっ」
ちょっと黙ってて?
「そのようなことより、一体どうしたんですか? こんな街道沿いにサイクロプスが出現するなんて」
通常、人間たちが街道を敷く際には、魔物の住処になりやすい深い森などは避けて通すことがほとんどだ。レインフォレストの周囲に街道が存在しないのも、あの森には多少なりとも危険な魔物が存在しているからである。
とはいえ、あそこで魔物扱いされていた種族には、人を森で迷わせる妖精族や、縄張り意識の強いエルフ族も含まれてはいたけれど。
要するに、人間領域の街道沿いにサイクロプスのような凶暴な魔族や魔物が出現するなど、極めて珍しい事件だと言える。
何せ、大型の魔族や魔物が身を隠せるような森や、腹を満たせるほどの狩り場など、王都ストラシオンから国境都市ランデルトを繋ぐこのストリア街道には存在しないのだから。
男はもう一人の男と顔を見合わせてから視線を上げた。
「もしかして、あなた方はご存じないのですか?」
「何をです?」
「先日、ライゲンディール地方に棲まう魔族の一団が、人間領域であるエルザラーム地方に侵攻を開始したことです」
誠一郎の眉が跳ね上がる。
「なんだと? どういうことだ?」
もう一人の男が沈痛な面持ちで口を開けた。
「どうもこうもない。宣戦布告もないままに、魔族領域との境にあるレシアス砦が急襲され陥落したんだ。王都が今すぐに派兵したとしても、どれだけ急いだってレシアス砦にたどり着くまでに馬を使って十日はかかる。歩兵の速度に合わせればその三倍以上だ」
隣の男がうつむき、言葉を継いだ。
「当然、レシアス砦南方の都市ランデルトももう魔族に支配されてしまいました。私たちはランデルトの住人だったのです」
誠一郎がうめくようにつぶやく。
「その話を信じぬわけではないが、ストリア街道を北上している旅人の数は少なくはなかったぞ。おれたちはレインフォレストから西へと出て、ストリア街道に入って北上してきたから、彼らを見ている」
「わたしたち、いっぱい追い抜いて走ってきましたよね」
「郵便屋もいたな。ランデルトが封鎖状態であれば、彼らは向かわないはずだ」
男が勢いよく首を左右に振って叫んだ。
「だったら、やっぱり知らないんだよ、みんな! 魔族が南下してきていることを!」
「ランデルトを支配した魔族は、人間を一人も都市の外には出していない。そこから領主の密命を受けて脱走した私たちを除いてだ」
「私たちは王都ストラシオンにこの件を報せにいくために旅立ったのです。けれど、そんな状態のランデルトに家族は置いていけない。だから――……」
男が振り返った先には、気絶している女が二人と、小さな女の子がいる。
「なるほどな。家族連れでは追っ手、つまり先ほどのサイクロプスをまくことができなかったか」
「はい」
馬車も馬もない。次の宿場町につくまでは手配すらできない。その上で子供を連れた逃避行では、追いつかれて当然だ。ましてや歩幅の広いサイクロプスが追っ手ともなれば。
「あなた方はなぜ北へ? ランデルトはもう人間領域じゃない。引き返した方がいい。この先は街道であっても魔物の巣窟になっている」
「種族領域など知ったことではない。ただ進めと、おれの筋肉が叫んでいる限り、何者もおれの足を止めることはできないのだ」
ニッカリと良い笑顔を浮かべた誠一郎から視線を外し、二人の男が同時にフィリアメイラを見た。
フィリアメイラが慌てて通訳を開始する。
「あ、えっと。わたしたちなら大丈夫ですっていう意味です。もちろんこの人の頭も。これでも今日はまだ頭の調子はいい方なんですよ? ね?」
「フハハハハ、マッスル! フハハハハハハ、マッソイ!」
男らが戸惑うようにうなずいた。
フィリアメイラが男たちを促すように、背中を押す。
「事情はわかりました。でしたら、みなさんはもう行ってください。ここより南方には、まだ魔物たちも出現していませんから、比較的安全だと思います。この先の宿場町に泊まっている旅人たちにも、ちゃんと魔族の侵攻のことを伝えてくださいね。早めの避難を心がけて」
「わかりました。本当にありがとうございます」
「いいえ、どういたしまして」
男が気絶したままの女の肩を揺すり始めた。
もう一人の男が少し躊躇うような仕草で尋ねる。
「……エルフは人間を嫌っているものだと思っていた。その……対魔法金属の運用が開始されて以降は、人間が一方的に隷属させてきてしまったから……」
「確かにな。多くのエルフが不幸になり、命を失ってきた。おかげでエルフはもう絶滅寸前だ」
誠一郎は一度言葉を切って、少し溜めてから力強く顔を上げた。
「だが、人間の中にも善人がいることくらいはわかっている。エルフや妖精を扱っていた奴隷商や、我らを売り買いしてきた貴族のことなど知ったことではないが、大半の人間にはそのような世界は無関係なことだろう。人類そのものを恨むことは筋違いだ」
「あんた……。脳筋の割に優しいんだな……」
「ハハ、おれは脳筋ではないぞ! それにな、人間の中にもいるはずだ。このおれのように――」
誠一郎が左足に重なるように右足を少し前に出し、後頭部に両手を回して腹筋と脚に力を込める。
「こおおぉぉぉぉ………………――ぬんッ!!」
アブドミナル・アンド・サイ――。
モリッと、美しき筋肉たちが自己主張をした。
男の表情が引きつっていることに、誠一郎は気づかない。
空気など読まないのだ。この怪物エルフは。決して。
「そう、このおれのように、筋肉神のささやきを聞く者がいるはずだ。彼らはおれにとって姉妹兄弟も同然。見捨てることなどできるはずもなかろう。フハハハハ!」
男が誠一郎から視線を外して、フィリアメイラに通訳を求めた。
「や、えへへ。筋肉で繋がった人間関係をすごく大切にしたいという意味です」
「はぁ」
気の抜けたような返事に、フィリアメイラが慌てて付け足す。
「えっと、ほんとこんなんでも、今日は頭の調子はいい方なんですよ」
「キミも苦労するね」
「ふふ、そうですね」
フィリアメイラが優しい笑みでうなずく。少し色素の薄い唇に人差し指をあて、片目を閉じて、微かに頬と長い耳を桜色に染めて。
「でもそれ、実は望むところなんです。……秘密ですよ?」
誠一郎にも聞こえるように言ったのだった。
※
両手を頭の上で振りながら五名の人間たちを見送って、フィリアメイラは誠一郎に尋ねる。
「セイさん」
「む?」
「そろそろ教えてください。わたしたち、どうして魔族領域を目指しているんですか?」
誠一郎が頭を掻いて、不承不承といった具合につぶやいた。
「おれの師に何かが起こった。おれは助けに行かねばならない」
「セイさんのお師匠様って、魔族領域にいるの?」
「ああ。言ったはずだ。おれはライゲンディール地方で筋トレに励んでいた、と」
ややあって、フィリアメイラが再び尋ねた。
「それってデーモンハーフですか?」
ごく少数ながら、魔族と人間の両方の特性を備えたデーモンハーフと呼ばれる者がいる。魔族がさらった人間やエルフを妻とし、あるいは性奴隷とし、成した子らだ。
大半は魔族として生きるものの、彼らの一部は争いを好まず、魔族領域を捨てて人間領域で暮らす者もいる。
もっとも、どちらの領域で生きようとも、迫害は受けているのだろうけれど。
「いや、違う。最も純粋なる純潔の魔族、ディアボロスだ」
――っ!?
「ディ、ディアボロスッ!? 最上位魔族じゃないですかっ!! どうしてそんな敵性種族と!?」
最上位魔族、すなわちディアボロス。
正しくは魔族ではない。魔の一族ではなく、族の発端となった純粋なる魔だ。すべての魔族の頂点に立ち、闇の支配者とも言われている。
魔族領域であっても、その数は片手の指で数えられるほどにしか存在しない。
吐いた瘴気は毒沼となって百年その地を穢し、炎と暴風を伴う拳は一突きで城壁をも崩す。叫びは咆哮となって聞く者を石に変え、爪はいかなる金属の盾であろうとも決して防ぐことはできない。
たった一体のディアボロスが、かつて栄華を極めた軍事都市を滅ぼしたという逸話など、掃いて捨てるほどある。それらすべてが真実だとは思えないけれど、いくつかは史実にも残っているのだから眉唾とも限らない。
それより何より。
――魔王と呼ばれる存在は、数少ないディアボロスの中からしか発生しない。
同時期に魔族領域で生を受けた数体のディアボロスが殺し合い、そして最後に生き残った者こそが次世代を担う魔王となるのだ。
そのような生物を相手に、人間やエルフがわかり合えるはずもない。
だが、この男は。
益荒男誠一郎と名乗るこの漢は。
「敵性種族? ふむ。フィリアメイラよ、種族に敵も味方もないのだ。筋肉を愛する者は、みな等しくおれの姉妹兄弟。その中で起こる戦争など、おれにとってはただの兄妹喧嘩に過ぎん。たとえ命を失ったとしてもな」
いとも簡単に言ってのける。
懐かしそうに、夜空をぼんやりと見上げながら。
そうして誠一郎は語り始めた。
二百年の筋トレに隠された、淡き想い出を。
かつて熱き筋肉を激しくぶつけ合った、一体のディアボロスの話を。
小娘はなかなか洗脳できん……
(´・ω・`) n
⌒`γ´⌒`ヽ( E)
( .人 .人 γ /
=(こ/こ/ `^´
)に/こ(