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第1話 筋肉さえあれば㊤

筋肉、好きか?

 おれはこの日、一つだけ善行をした。

 ただ、人間には分相応ってもんがある。


 やめときゃよかったんだ。いいわけを一つさせてもらえるなら、この日おれは深刻な寝不足と開放感のせいで、やたらとハイテンションになっていた。

 万能感に満ち溢れていたんだ。スーパーヒーローにでもなった気分だった。


 何日も会社に泊まり込んで、ろくすっぽ飯も食わずに画面(モニター)とにらめっこ。

 後輩がやらかして姿を眩ませた仕事を、おれは週末を二度またいで完遂させ、上司から多大なる感謝と特別賞与の約束を、部署のみんなからは賞賛を受けての数日ぶりの帰宅途中だった。



 午前十一時過ぎの最寄り駅――。


 朝の通勤ラッシュも終わり、人もまばらとなる時間帯だ。

 ホームを元気よく走り回っていたランドセルを背負った男の子が二人、じゃれ合っていた。笑いながら格闘ごっこをしている。

 おれはベンチに座り、電車を待ちながら何気なくその姿を眺めていた。


 けれど彼らが徐々にホームの端に近づくにつれて嫌な予感が鎌首をもたげ、仕方なく注意しようと口を開けた――その瞬間にはもう、二人は線路へと転がり落ちていた。



「おい……!」



 慌てて立ち上がろうとした瞬間には、学生鞄をホームに投げ出した女子高生が一人、彼らを追って線路へと飛び降りていた。一瞬の躊躇いもなく、だ。

 おれは走って駆け寄り、ホームの縁で膝を折って線路を見下ろす。



「大丈夫かっ!?」



 男の子二人のうち、片方が頭から血を流して倒れていた。

 どうやら気絶しているらしく、うつ伏せになったままだ。もう片方の子は呆然とした表情で、女子高生に抱き上げられている。



「この子を受け取って!」

「わかった!」



 おれは女子高生が抱き上げた男の子の両脇に手を入れて、渾身の力を込めて引っ張る。

 上がらない。自慢じゃないが、おれは成人男性の中では相当に非力な方だ。


 ああ、ちくしょう、重てえ。ランドセルに何を詰めてやがんだ。

 昨今のガキは気の毒だ。教科書多過ぎだろ。



「ぬ……ぐぅッ!」

「早く!」



 わかってるっつーの!


 両腕だけではなく、同時に両膝を立てながら背筋を反らせることで、どうにかおれはその子を引き上げ、ホームに転がす。



「だはぁ! はぁ、はぁ……」



 そのときだ。放送がかかったのは。



 ――二番線を特急列車が通過します。危険ですから白線の内側までお下がりください。



 くそったれ……。



「次、お願い!」

「わかってる!」



 女子高生が気絶している男の子をどうにか起こして、おれの伸ばした手へと押しつけた。おれは先ほどと同じ要領で、気絶したままの男の子を引き上げる。



「う、ぐぐ……!」

「急いで!」



 ぐ……さっきよか重てえ……! 気絶してる人間は重く感じるって話なら聞いたことがあったが、ここまで違うもんかよ……っ!


 見かねた女子高生が下から全身を使って、男の子の尻を押し上げてくれた。おれは彼を引っ張り上げて、一人目と同じようにホームに転がす。


 よっしゃ、二人目! あとはこの娘だけだ!


 この時点でもう、情けないことにおれの両腕の筋肉は限界を迎えていた。正義を行った女子高生が、おれに手を伸ばしているというのにだ。

 さらに付け加えるなら、おれは自分の両腕が限界を迎えていたことに気づいてはいなかった。


 最初に言ったろ? この日、おれは万能感と開放感で高揚していたんだ。



「引き上げて!」

「任せろ!」



 覇気のない細い声をかき消すように、金属の輪軸が線路を擦る音が迫る。そいつがおれたちのいる場所に到達するまで、もういくらもない。


 おれはホームの縁に屈んで手を伸ばし、線路から懇願するセーラー服の女の子の手を取った。



「しっかりつかまってろよ!」



 よく見りゃ、可愛らしい顔をしていた。

 長い黒髪はおれと電車を見比べるたびに激しく振り乱され、藍色がかった大きな瞳からはわずかに涙をにじませ。

 おれの学生時代には、終ぞ縁のなかった高嶺の花タイプといったところか。


 だが、だから手を伸ばしたってわけじゃあない。

 この日のおれなら、たとえ彼女が土俵際の粘りに定評のあるガチムチ相撲レスラーだったとしても、きっとその手を取っていただろう。


 とにもかくにも、おれと女子高生の手はつながった。

 これは運命の出逢いだ。これを機に仲良くなれちゃったりなんかしちゃったりするかもしれないとか、少々アホなことまで考えていた。


 迫り来る電車は、いつもこの駅を通過する特急だ。

 端っから減速なんて期待できない。線路に落ちた女子高生と、それを助けようとする痩せっぽちのおっさんが運転士の目に入る頃にはもう手遅れなんだ。

 つまりもうこの時点で、分水嶺は越えちまってたってことさ。



「お願い助けて!」



 ガキの頃から線が細かった。

 身体は病弱で、ことあるごとに風邪を引いちゃあ学校を休まざるを得なかった。勉強だけはそれなりに頑張って成果結果を残してきたけれど、小学生のヒエラルキーなんてものは、身体能力が八割方占めている。

 スポーツのできない子供の哀れなことよ。


 腕に力を込める。

 血管は浮くが、女子高生一人持ち上げられない。大の大人が、それも両手でつかんで両足で踏ん張ってだぞ。むろん、彼女は人より少々肉感的である、などということはない。

 ただ、見比べりゃ、おれの腕と彼女の腕の太さは変わらなかった。



「ぉ? ぉぉ? ぅ、ふぬぅぅぅ! ぜ、全然上がらん……」



 周囲に助けを求めようと見回しても、この中途半端な時間帯では老人や中年女性くらいしかいない。どいつもこいつもわたわたしているだけで、巻き込まれるのを恐れてか手を貸してもくれない。


 警笛が鳴り響く。フルブレーキをかけながら迫る特急の輪軸が、線路と擦れて火花を散らしている。

 事ここに至って、ようやくおれは自分が選択を誤ったらしいことに気がついた。おそらくは女子高生もまた同じくして。


 視線が合った。すがりつくような目をしていた。けれど、その唇から出た声は。



「……もういい逃げて……」

「冗談じゃねえぞ!」



 歯を食いしばり、両手でつかんだ彼女の手をもう一度引く。


 ここで彼女を見捨てたら、おれは罪悪感できっと眠れなくなる。この二週間、ほとんど寝る暇もなかったというのに、また眠れなくなってしまう。

 関わってしまった以上、もう助けるしかない。


 だが非力! 圧倒的に、非力!


 筋肉がない。筋肉さえあれば。ああ、勉強なんてしていないで筋トレだけをしまくっておけばよかった。指一本で女子高生一人くらい引っ張り上げられるくらいに、筋肉を鍛えまくっておけばよかった。



「くぅ! き、き、筋ンンン――ッ」

「え?」



 筋肉さえ、筋肉さえあれば……! 知識なんていらなかった! おれに筋肉を!

 筋肉ッ!! 筋肉の神よ、もしもあんたが存在するならッ、おれにッ、おれに筋力を貸してくれぇぇぇぇ!



「ああああぁぁぁっ、目覚めろおれの筋肉ぅぅぅぅぅぅぅぅ!! う、あああぁぁぁぁぁぁッ!!」

「あ……っ」



 それは、おれの辞世の句が「目覚めろおれの筋肉」になってしまった瞬間だった。

 遺された家族はさぞや笑うだろうな。あいつ、働き過ぎてついに頭おかしくなってたんだな~って。ちくしょうめ。

 まあ、子供を二人助けられたから、笑いものにされるこたぁないだろうが。不幸中の幸いか、旅の道連れも美少女だ。


 ブレーキ音を響かせながら、特急列車はおれと女子高生のいた空間を容赦なく通過していた。視界がぶっ飛んで夜空が見えた直後、暗転した。





 ――フ、よかろう。貴様が真に筋肉を探求せし者であるならば、その身朽ち果つるまで鍛え続けるがいい。遙かなる筋肉(にく)の頂に、おまえの深指屈筋腱()が届くその日まで。





 どこかからそんな声が聞こえた気がした。

待たせたな。筋肉神だ。

これからは私が後書きをやっていくぞ。


(´・ω・`) n

⌒`γ´⌒`ヽ( E)

( .人 .人 γ /

=(こ/こ/ `^´  

)に/こ(


※本日18時頃に二話目を投稿します。

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