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愛しのマリアナ  作者: 天秤屋
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あふれ出す歓び

【あふれ出す歓び】


 寝室を出て、クロヤは白く照らし出された廊下をどこまでも歩いた。突き当たりから二番目の階段を降り、誰もいない脱衣所へ入る。

 枕をトウで編まれた洗濯籠へ放りながら、彼は白い手袋の左手で顔を覆った。包み隠すように手をあてたのは、顔の下半分。開かれた指の間からのぞく、唇の薄い口は、耳まで裂けんばかりに左右へ引きつけられていた。

 やがて、押し殺しきれなかった笑い声が、歪んだ口元から屈折してあふれた。

 クロヤは嬉しさとおかしさとに肩を震わせて、卑しい笑い声を手の中に響かせた。充実感と背徳感とが、彼に最高の気分をもたらす。

 今なら、すべてを手にすることができる!

 クロヤという一人の男が望み、狂おしく求め続けたすべてが!

 かたり、という小さな音に驚き、ひとりの女中が静かにその場から去っていったことに、彼は気づくべくもなかった。

 有頂天の愚者となり、自らの野望に暗い炎を燃やしていた彼には。


 ルーシーは、ひどく怯えた様子で手水場に入ってきた。

「クロヤさんの様子は、やっぱり変だよねえ」

 だいたいの察しがついたのか、エプロンで手を拭きながら、偶然居合わせたクレメンスが囁いた。

「どうだい、あの人に会ったんだろ?」

「いえ、お見かけしただけです……ただ」

 言いよどみ、ルーシーはもじもじと金色の三つ編をいじった。

 恰幅のよいクレメンスは、豊満な胸を張り出すように腰に手をあて、首を傾げた。

「ただ? なにか、あったのかい」

 厨房で野菜の下ごしらえを手伝ったり、畑を耕したり、洗濯をしたりと、彼女たち下層の女中はとにかく忙しい。

 それだからか、クレメンスは急くように質問を重ねた。

「いったいどうしたって言うんだい?」

 急かされて、ついに、ルーシーは俯いていた面を上げた。

「奥方さまのお洗濯物を持ってこられて、それで、誰もいない脱衣所で……その、笑っていらっしゃいました」

「まあ! やっぱり、どこかおかしくなっちまったのかねえ」

 同情と哀れみのこもったクレメンスのため息に、ルーシーは頭を振った。

「それが、なんというか……恐ろしいような、悪魔のような笑い声で……」

 その場から動けず、じっと息を潜めているしかなかったのだが、自分が立てた小さな物音に驚いて、ルーシーは慌てて立ち去ったのだ、と語った。

「いったいどうなさったのか……でも、単におかしくなった、というよりは、何か喜びを隠し切れないといったご様子で……考えすぎでしょうか」

 ちらちらとクレメンスの様子をうかがいながら、ルーシーは再び俯いた。

 クレメンスはうーんと唸って、腕組みをした。

「まあ、でも関わり合いにならないほうがいいと思うよ。あんたも、今日のことはさっぱり忘れちまいな……」

 そして、ふくよかな手で、小枝のようなルーシーの肩をたたいた。

「でもね、何かあったら、あたしが相談にのってやるよ。ずっと自分一人の腹のなかに抱えておくのは、気持ちが悪いだろうからね」

 ルーシーはほっとしてため息を吐き、愛らしいそばかすの顔に、いつものはにかんだ笑みを浮かべた。

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