第二話 音
風呂から上がった誠はさっぱりとした気分で体を拭いていた。
まだ夜の七時頃なのにこの男の感覚だと二十二時過ぎくらいの気だるさに襲われている。このままいったら二、三時間後くらいには爆睡かな?とあまり必要ない分析をした。
着替えを済ませてからリビングに移動する。なんとなくテーブルを見たその時に気付いてしまった。
弁当を持って行っていないことに。
やっちまったぁ…と顔に手を当て、頭付近にどんよりとした空気を作り出した。母(というか家族)にバレたらまあ呆れられるだろう。
遅刻という大失態を犯し、昼飯を忘れるという家族に迷惑かけまくりマンの称号が授与されるのは避けなければ!と目から炎を出し、いつになくやる気を見せる誠。そのやる気を起床時に使えよ、というツッコミはしてはいけない。ツッコミ不在で助かる場面はまさにここかも?
とりあえず弁当を今食べることで忘れたという証拠隠滅を企んだ。そうすることで弁当を忘れた、という過ちを知っているのが彼だけでなる。ニッシッシ、とゲス顔を決めた。
因みに今しようとしてる事はつまみ食いをバレないように行う小学生並に下らない発想である。
そうと決まれば行動あるのみ!パカッという音と共に弁当の中身が姿を現す。
この事件は迷宮入りに終わるんだ!俺の勝ちだァ!と疲れきってる人間のテンションとは思えないノリを繰り出す迷惑かけまくりマン。もうどうしようもないやつだが誰かこいつを見届けてくれ。
箸を持ち、手を合わせ感謝の意をこめながら、
「いっただっきm」
「なにしてんの?」
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
部活が終わり家に帰ってきた香織が蔑むような、そして見下すような表情とトーンで言葉を発した。
誠は食べようと口を開けたまま、ショックと驚きで更に口の面積を広げつつ叫ぶ。
迷宮入り事件(笑)はあっけなく現行犯逮捕で幕を閉じた。
「ねぇ、バカニキはなにしてんの?」
改めてなうの状況を確認している香織。彼女は今、それなりに怒っており体のマグマがぐつぐつ煮え滾っている。今すぐ噴火してもおかしくない。
それに対し、これはまずいと思った誠はそっと弁当の具材と箸を起き、
「今、食事中でございます」
「なんで今弁当食べてるの?お昼はどうしたの??」
「新学期ということで色々忙しく食べる時間がなかったので今食べようと思いましてですね?」
苦し紛れの嘘をつくみっともない兄。この会話だけ聞くと完全に立場が逆である。
誠は誠なりに発言を気をつけ、少しでも怒りの火を鎮火させようと言葉を選ぶ。だが火の勢いが消えることは無い。それどころか体のあちらこちらに炎が乗り移り大火災が起きてしまっている。
誠は「あっ…」と察すると香織の目がキランと光り、
「このバカニキ!弁当持ってくの忘れたんでしょ!」
「違う!いや、違くないんだけども!食べ忘れただけなんだって!」
「昼休み一時間くらいあるはずなのに一口も食べないなんてないでしょ!?それとさっき『違くない』って聞こえたんだけど?」
「だ、だから…ですね?落ち着いてくんなませ香織先輩…?」
論破されかけつつあるダメ人間。自分で墓穴を掘り、埋めようとしたところ香織がそこを掘り返すというなんとも自業自得な絵面である。
自分の未来が見えたのか誠は引きつった笑顔になる。それとは別に香織は自慢のツインテールが上を向くほどメラメラと憤りをあらわにし、目が完全に獲物を狩る時の動物になる。
そして、どこにしまってあったのかも分からないハリセンを取り出し、
「『遅刻したので忘れましたすみません』の一言くらい言えんのか貴様ああああっ!!」
「すみば!べんでしたあああああああああ!!!」
腰の入った野球選手顔負けの素晴らしいハリセンスイングをかました。
誠は反省した&危険を感じ「すみませんでした」を言っている途中、モロ顔面にホームラン級スイングが直撃する。威力が強すぎたのか、鼻血と誠が華麗にトリプルスピンを披露。ドンッ!とそのまま床に落ちるとピクピクと死にかけのカエルが綺麗に再現されていた。
香織は掃除が終わった後のように両手をはたいている。その次に仕事終わりの達成感オーラ全開でご満悦だ。
まだ震えながらもなんとか立つ誠。実の兄がなんとも酷いものである。
妹が一仕事終えた満足感を放ち、兄が鼻血を出しながら立つのがやっと、といった感じでプルプル震えている。シュールな画の完成だ。
サティスファクションな雰囲気は終了し、いつもの調子に戻る。こんなことはさておき、と香織が言葉を続けた。
「今日、罰として夜ご飯バカニキが作ってよね」
「はい…そうさせていただきますが、立つのがやっとなのでしばし暇を貰っても?」
「お、思い切りやった私も悪いし痛みひいてからでいいよ…」
やってる時はノリでやったがそれでも申し訳なさがあるのか、少し目を逸らしながら言う。
ゆらゆらと本来の足取りではない誠はソファにゆっくりと座った。そのまま「ふぅぅぅ…」と上を向きながら体の力を抜いていく。
こんなやりとりを平然と行ってはいるが今日の誠は心身共に参っている。何故いつものノリを続けているのか。
それは少しでも心配をかけたくないという意思の表れ。誠は朝がとてつもなく苦手だ。遅刻しない、ということは大抵の人なら誰でも出来るだろう。だが、それが難しかったり辛かったりする。まぁ、考えれば当たり前の話だ。
だが、迷惑をかけてしまった。誠は明るく振舞っている。些細なことかもしれないが、大小の尺度なぞ関係無く結果的にしていることは同じなのだ。
ソファに座りながらそんなことを考えている誠。香織にも見せないつもりだったのだが、疲れているからなのか少し気が緩み、ため息が出てしまった。
それを見た香織はいつも通りの反応で返す。
「私、お風呂入るからそれまでに夜ご飯作っておいてよね!」
「了解で〜す」
だら〜っと手を上げ、それを左右に振る。だがやはり、ソファに座り上を向いたままだった。
何故かそれを言い終えてから香織は早歩きで風呂場へ向かった。到着するとすぐに着てるものを洗濯機へとぶち込み、縛ってある髪を解く。ここも急いでドアをスライドさせると今度は静かに浴槽に全身をつけた。
体の重心を浴槽に預け、上を見上げるような姿勢になる香織。
少しだけだが初めて知ったのだ。兄が何を考えているかを。
朝は遅刻気味か稀に遅刻かの二択。前日の用意はしないし凄くだらしない。何よりもいつもヘラヘラしている。そんな兄が大っ嫌いだ。
だがさっきのため息は完全に心の底からめんどくさいというものではなかった。確かにめんどくさいという感情がないと言えば嘘になる。だが後悔の念の方が圧倒的に強かっただろう。そんな息の漏れ方だった。
(もしかしてあのバカニキはあいつなりに気を使ってるの…?)
香織は周りの人よりかは勘がいい方だろう。だが、その考えを自ら否定する。
(いやいや、それはないな。あのバカニキがそんなこと。そんなこと…)
無駄にもやもやし、かれこれ考え込んだ。何故こんなに頭を抱えるのか、自分でも理解出来なかった。
難しい顔をしながら湯船に浸かっている彼女。
因みに風呂は疲れをとったり汚れを落としたりする場所であって、決して眉間にシワを寄せる場所ではない。
「よし、そろそろ大丈夫かな」
香織が風呂に入ってから少しして誠はやっと痛みが消えた。休憩しながらどんな料理を作るのか、大体イメージは固まったのでもう準備満タンだ。
だが誠は料理が趣味でも、ましてや毎日作るほど料理が好きという訳でもない。
なにか音楽でもかけながら作るかなと思ったが、昼の鈴が言った『怪奇連続殺人事件』という単語が頭をよぎる。
キッチンに向かう前にピッとリモコンの電源ボタンを押す。遅れて画面が明るくなった。
『こちらのニュースは、スポーツです!』
明るい声と一緒に女性のニュースキャスターが映し出された。
『プロ野球の〇〇は△△のエース、篠崎 篤也選手の活躍により見事完封勝利を果たしました!』
特に野球やスポーツに興味が無いのですごいのか、ましてや持ち上げられてる人が誰なのかが全然ピンと来ない。
適当に凄いんだな〜くらいに留めておきながら、調理を開始する。
『では、次のニュースです。世界の名画をロルトマック家当主、ファウスト・ロルトマック氏が十億ドルで落札したとのことです』
「うわっ、凄いな十億ドルか!ドルでも相当な値段なのに円にすると約千億か…金持ってるなぁ」
やはり、普段テレビなどで情報を仕入れないため基本的に情報面は疎い。経済などに関しても授業で習った程度の知識だけだ。
そうしてる間も手を止めているということは無い。むしろニュースキャスターの声がいいBGM代わりになってくれている。おかげで完成が見えてきた。
『次のニュースです。先々週から在天市周辺で起きている怪奇連続殺人事件についてです』
「!?」
さっきまでのニュースとは比べ物にならないほどの反応を見せた。調理の手はほぼ止まり、頭から下の神経を遮断したかのようになった。
ニュースキャスターはまるで誠の準備を見計らうかのようにタイミングよく喋り出す。
『警察の調べによりますと、この怪奇連続殺人事件では合計九人の被害者が出ています。なお、被害者全員に酷い外傷が多数あり、第一発見者の皆さんは「見つけた時にはもう手遅れだった。」と供述しております。』
(九人…結構いるんだな。しかも二週間前からか!)
それなりに時間が経っていた。加えて九人の被害者。これほど死亡者が出ているとなるとそれなりに大きい事件である。
なによりもこれが身近な所で起こっている。それが更に体の震えを後押しした。
『犯人は現在も捕まっておりません。在天市にお住まいの皆様、出来るだけ早く帰宅するようにしてください。それとなるべく夜の外出は控えるようお願いします』
これを言い終えるとニュースキャスターは座礼する。
鈴から教えて貰った時よりも恐怖を敏感に感じた。この時、世の中知らない方が幸せだ、なんて言葉を思い出す。
そこでやっと調理の手が止まっていることに気付いた。慌てて作業を再開する。
それからのニュースの内容など頭に入ってこなかった。
「お風呂上がったよ〜」
ドアが開く音と共に香織が出てきた。
彼女は髪の毛がそれなりに長い。だからなのか、まだ完全には乾いていない自分自慢の髪を丁寧にタオルで拭いていた。
誠はもう料理が完成しているらしく、盛りつけをしながら「あいよー」と適当に返事を返す。
返答が来てからそう言えば…と思いつつ香織はすこしぼーっとしながら、
(そういえば最近の男の人って料理あんまりしないって聞くかも…。料理できる男ってモテるとか聞いたことあるし、あいつもモテるのかな?)
年相応なことを考え出した。
ソファや椅子にも座らずにずっと考え事をしているのを疑問に思った誠は、
「どうした?座んないのか?」
「な、なんでもないわ!」
「えぇ、なんで怒鳴られたの…」
聞いただけなのにこの始末(いつも通りと言えばそれで終わりだが)。これも最早香織を象徴する一つなんだな、と思わざるを得なかった。
そんなこんなしてる間に盛り付けが終わり、料理が完成した。
そして当然こんな言葉が出てくる訳で。
「そういえばさ、アニキは何作ったの?」
香織から興味の言葉が出てくる。対して誠は、
「まぁ気になるよな?」
得意げにニヤッとする。
始めは何か隠し味とかを入れたり余程綺麗に作れたのかな、と軽く放棄しかけていた香織。が、何か察したのかだんだんと顔を緩め、
「ま、まさか…?」
「うん、そのまさか!」
大皿をポンッと机に置くと、興味の対象が正体を晒した!
「じゃーん!今日の晩御飯は、香織の大好きな唐揚げでーす!」
「やったあああ!!!」
両手をあげて子供のように喜ぶ香織。そう、彼女は唐揚げが大好物なのだ。
誠なりに妹に対して気を利かせた、というのが一番の理由。だが、純粋に今食べたいという気持ちも決して弱くはなかった。
自分が行っている子供全開の行動に気付いた香織は何故か真逆の行動をとる。
「あっ。ふ、ふん!まぁアニキにしてはやるじゃん…」
「へいへいそうですな〜」
扱い方が分かっているのか適当過ぎず、また適度に食らいつくといった絶妙な反応を見せる誠。
だが内心笑っているのかやはりニヤリとしたままだ。ワンテンポ置いてから口を開く。
「お前、これ見ても同じこと言えるといいな…!」
「そ、それは…!?」
「レモン!そして炊きたての白米じゃああ!」
「ああああああああああああああああああ」
もう我慢出来ないと言った感じで小皿と白米を取りに行く香織。秒で取りに行ってからピラニアのようにガツガツと食らいついた。
口に運ぶと衣のカリッとした適度な硬さが歯に伝わる。その次にすることと言えばひとつ。思い切り噛み砕く、これしかない。
噛んだ瞬間、包まれていた鶏肉と肉汁が口の中で暴れ回った。「ンンン!!!!」と声にならない声をあげながら喜びを顔で表現した。
誠はそれを見てほっこりしながらついつい思ってたことが口に出てしまう。
「そんな反応されたら、作りがいがあるってもんだよな」
「ゴホッ、ゴホッ!?う、うるふぁい!」
「ごめん悪かったからとりあえず落ち着けってば!ほら水、水!」
水を渡すと妹は一気飲みというなんとも男気満ち溢れる所業を成し遂げた。
よし、俺もそろそろ食べようかな、と誠は席を立つと炊きたてご飯とレモンを持ってくる。すると、腹が『早く食わせろ』と言った感じでギュルギュルギュルと活発に動く。
誠も弁当を片付けてから、子供のようにかきこんだ。
そこには兄妹の平和な食事風景があった。
食べ終わったら二人とも食器を洗い、ある程度やることを終えてから長女はテレビやらスマホを弄ったりしていた。長男は特にすることもなく、就寝しようと自室に行こうとする。
「おやすみ〜」
「おやすみー…っていつもだけどさアニキ寝るの早くない?」
「お前深夜まで起きてるから感覚狂ったんじゃないのか?」
「私は遅くまで起きてるけどそれでもアニキは早いわ!!」
時刻はまだ二十一時。寝るにはあまりにも早すぎるがとても健康的である。
早めに寝ると言っただけでこれなので、これ以上話すと香織に何言われるか分かったものじゃない。早々に立ち去ることにする。
「俺は眠いから寝るの。おやすみね」
「うんおやすみ」
そう言うと誠は自室に向かう。
部屋に入るとまたもやベットに飛び込んだ。やはりこの感触はいつ味わっても気持ちいい。またあの眠気が手招きをしてくる。
誠は抵抗もせずに、そのまま受け入れた。
静かに目を覚ました。なんでだろう、凄い落ち着いた気持ちだった。少しすると自分が遅刻魔なことを思い出し、何時だろうと時計を見た。
時刻は午前七時。とても遅刻という時間帯ではない。むしろ健全、ちょうどいいぐらいだ。
上半身を起こし両手を上にあげて伸びるとベットから体を出した。そしていつもの様に制服に着替え、ペンダントをポケットに入れると一階に降りた。
階段を降りている時、朝の準備がガヤガヤと聞こえた。こんなに早く起きるのは何時ぶりなんだろうとまだ起きてはいない脳みそで考える。
洗面所に行き、顔を洗い歯を磨く。冷たい水が内外面に触れる度に脳が目を覚ます。
朝の準備を整え、リビングに行く。するといつもの光景が目に映った。
「ねぇ香織。そこにある醤油とって」
「はいっ、お母さん」
「ゴミ出しは中年の体にはいい運動になるよなぁ…」
「修一さん、台詞がオヤジ臭いですよ」
「ははっ、実際相応の歳だからなぁ。否定はしないさ」
誠はさり気なく挨拶した。
「…おはよ」
「アニキ!?珍しいこともあるんだなぁ」
「あら、誠。今日随分早いじゃない。昨日は大丈夫だったの?」
「ご想像にお任せします…」
「はい、今月おこづかいマイナスね」
「ごめんなさいいいいいいい」
しょぼんと落ち込んでいるがまぁ当然の処置ということもあり複雑な感情の誠。そこに父である修一が肩に手を乗せて小声で、
「後で母さんにバレないようにお金やるからな…!」
「父さん…!!!!」
朝っぱらから男の友情、もとい親バカが盛大に発揮されている。
それを見ていた和泉と香織は深くため息をついた。
早瀬家は珍しく同じ時間で家族全員の朝食だった。いつも黙々と食べてる三人だが、久しぶりに揃ったというのが引き金なのか雰囲気がいつもより明るい。もちろん、誠はそれ以上に嬉しかった。
「この唐揚げ作ったの誰?凄い上手に出来てるわね」
「あ、それ俺が作った。久しぶりに作ったけど思いのほか上手く出来たと思うよ」
「誠、また料理の腕上達したな!もしかして密かに練習してるな?」
「し、してないわ!朝は起きれないし夜は熟睡するダメ人間に料理の暇があると?!」
「バカニキだもんね、昨日なんて夜の九時頃には二階に行ってたんだから」
「眠いもんは眠いの!」
「それなのにどうして朝は起きれないのかしら、ねぇ?」
「母さん…視線が怖いってば…」
久しく見ていなかった光景だった。誠は知らないうちに口元がにやけていた。
そのままみんなでご馳走様をするとそれぞれの仕事を果たしに家を出る。
父の修一はスーツ姿で、母である和泉は仕事先で着替えるのか私服で仕事場に行く。
香織は学生服で出かける。その途中で同じクラスの友達と合流し、楽しそうに雑談しながら歩いている。
誠は学生服、もといブレザーで歩みを進めた。初日の焦りで満たされていた心はもうない。余裕を持って歩くと景色がこんなにも違うのか、と心のどこかで日常を感じる。顔がニコニコになりながら家に出てから数メートルくらいスキップしていた。
二十分くらい歩くと高校に着いた。体感だと十分もなかったかもしれない。
時刻は八時。初日はあんなに急いでいたのに今はゆっくりと校門を潜る。誠は謎の優越感に浸った(普通なら遅刻はしないのでこんな感情は沸き上がらない)。
下駄箱で靴を履き替えクラスの前まで辿り着いた。何故か間を開けて深呼吸をする。
そして手を伸ばしガラガラとドアをスライドさせる。すると、
「お、早瀬か!?おはよ!」
「早瀬じゃんおはようさん!」
「早瀬君、おはよう!」
大半のクラスの男女が挨拶をして来る。誠の背筋が上に引っ張られるかのように真っ直ぐになった。
誠が心配していたのは、早々遅刻した結果皆が自分に対してどのようなイメージを持たれていたかということ。
だが、さっきの挨拶は決して侮蔑やバカにするようなものではなかった。
よかった…とひと安心した誠。しかし挨拶の次のセリフは、
「なぁなぁ、昨日の昼の子とはどういう関係なの!?」
「もしよかったら俺に紹介してくんない??」
「は?こいつじゃなくて俺に紹介してくれるよな!?!」
と三馬鹿非リア男子陣が誠に向かって鈴華のことについて信じられないくらい聞いてきた。想像の斜め上を行き過ぎていたので思考が追いついていない。「えーっと、あーっと、その」と辛うじてある語彙力を振り絞ろうとしている。
それを見た三人の女子達は出会ってまだ一日しか経っていないにも関わらず庇ってくれた。
「ちょっと!早瀬君困ってんじゃないの!」
「女にしか目がないなんてあー気持ち悪っ!」
「早瀬君大丈夫?こんなやつらの言うことなんて無視していいからね?」
誠を囲んでいる男子陣から救助すべく、三人とはまた別のもう一人の女子が素早い動きで男の輪の中から引き抜いてくれた。
助けてくれたお礼に誠は笑顔でお返しをする。
「ごめんね、ありがと」
すると、助けてくれた内気気味な彼女はトマトの様に顔を赤くし、下を向いてごにょごにょ言ったままになってしまった。声をかけても聞こえてないみたいに反応が変わらない。
すると誠を助けた女子四人組とはまた別の女の子達が遠くで、
「あーずるい!早瀬君から笑顔で!あとお礼まで!」
「しかも早瀬君を助けるためにさり気なくボディタッチまで…!あの子、策士ね」
と叫んでいるのが聞こえた。四人組は本当に誠を助けるためだけにやっている事だが、外野が果てしなくうるさい。これらは朝から取得する情報量ではないので誠の頭は処理が追いついていない。
そうすると誠が知らないうちに口喧嘩に発展していた。
「違う!俺らは新生活をより快適に、充実した日々を送ろうと少しでも交友を広めようと思ってだな!」
「ほんとにそう思ってる人なら『紹介して』って単語じゃなくて、『友達になりたい』って素直に言うものよ?下心が丸見えね」
「うっ。け、けどお前らも『早瀬くぅ〜ん♡』とか言って下心丸見えじゃねーかよ!」
「これは下心じゃないわ!あんた達が困らせたんだから助けた!だ!け!勝手な言いがかりやめてくれる!?」
「何をぉぉぉお??!」
「やる気ぃぃい???」
目から目へとバチバチ電気が流れているのが見えた。仲介したり助けようとしたが最早それで収まる雰囲気が見えてこない。誠の頭の中は『どうしよう』の一言だ。
今こうなっている原因は全て誠の容姿と昨日の出来事がきっかけ、つまりは自分が元凶ということを当の本人が一番理解していない。
その騒ぎの中心とは別にクラスの隅にいた三人組は、
「三次元には興味ないでござる」
「そういえば今期のアニメ見ましたかひろぽん氏!」
「当たり前、ぬかりはない!とりあえず全部一話見てから継続するか判断するのが安定ですな」
とtheオタクと言った感じの会話をしていた。
このクラスには、誠の意思は関係ない誠精鋭隊、非リア男子陣、非リアの猛攻を受け止めている女子達、隅で楽しんでいるオタク集団、その他外野、そして元凶の男。あまりにもメンツが濃すぎる。バスケならタイムアウト必須の場面だ。
そこへ、
「はいはーい!もう時間だぞー!席について、HR始めるよ!!」
と担任の秦本が大声で騒ぎを沈静化させる。「この話は後でゆっくりしようじゃないか!」、「望むところよ!」と火花が消えているか不安な所も少々あるが、『担任』の権力の強さを知った誠である。
そして、朝のHRが終わるとさっきの喧嘩が嘘のように女子達と男子陣が仲良く話している。昔からの付き合いのノリ的なアレ?と誠なりに解釈した。
すると、さっきの男子陣が近寄ってきて今度は少し申し訳なさそうに言った。
「実は俺らさ、早瀬と友達になりたいなって思って声かけたんだ。そしたら想像以上に騒ぎになっちゃって…なってくれるか?」
さっきのとは打って変わってなんとも自信無さそうだ。
誠としてはこんなこと言われたのは初めてだった。小、中学校なんて小説を読むかケータイを弄る、鈴華と一緒に過ごしているだけの日々。
嬉しさのあまり涙腺が緩むがそれを必死に堪え、
「もちろん!俺の名前は早瀬 誠!よろしく皆!」
と元気に返した。
すると、男子陣がだんだんと顔が晴れていき、よっしゃあ!!と笑顔でガッツポーズをする。
「俺の名前は本田 裕太!」
「そういや名前まだ言ってないわw俺は河本 航平!よろしくな〜」
「俺は飯田 弘樹!よろしく早瀬!」
「い、いっぺんに言われても覚えられないと思うから少しずつで大丈夫か?」
「もちろん!大丈夫だぞ!」
それぞれ名前の交換を終わらせる。相手は誠の名前を覚えているが、誠側が名前を覚えられないので話していき、出来るだけ早く覚えようと決めた。
すると女子達が謎に焦っている表情で追いかけるように言葉を発する。
「わ、私の名前は秋山 桃!」
「私は伊藤 恵里香ね!」
「私ー!私はね、柴田 天音!よろしくまこっち!」
「あ、う、うん!よろしく!」
(え、まこっち…?俺のことか???)
初めて言われたあだ名なので数秒遅れて自分に対して言われているのだと誠は気付いた。
その後微妙な間が出来る。一瞬その場が固まり、「ん?」と皆声を揃えて言った。その後恵里香と名乗った女の子は「ほら、早く!挨拶挨拶!」と小声で言いつつ、三人の後ろに隠れている女子に向かって肘でツンツンする。
すると人影からひょこっと顔だけ出し、
「し、椎名…愛美…です…」
さっきの内気の少女だった。顔の赤さが抜けきっておらず、まだほんのりと紅色の余韻で染まっている。
初対面でこれは失礼と思ったのか恵里香と天音が補足(というか最早カバーに近いが)する。
「ごめんね、この子凄い恥ずかしがり屋でさ…別に悪気ある訳じゃないし、ね?」
「そうなんだよね、あみっちは初心だからこれでもまだちゃんと挨拶してるほうなんだけどなぁ…」
「あ、天音しゃん!変なこと言わないで!」
「しゃんってww緊張しすぎだってば!落ち着いてって私が悪かったから!」
愛美がポカポカポカと腕を回しながら天音をグルグルパンチしていた。それに対し天音は可愛らしい照れ隠しに笑いながら返していた。いつものノリなのだろう。何故かとても見ていて微笑ましかった。
それを見た誠は内気なところはともかく『人前で緊張する』という点で自分と似てるな、と感じた。
すると桃が「あっ!」の一言で今までの雰囲気を断ち切り、
「もう一時限目始まっちゃうよ!?」
たった一言でそこにいた全員が青くなった。次の行動は皆各々の机の中を漁りながら、
『移動教室じゃんか!!!!!!』
と叫んでいた。今この教室にはこの八人以外誰もいない。話が膨らみすぎてて周りが見えなかったのだろう。
急いで必要なものだけを取るとドタバタと走りながら移動した。やはり『廊下は走るな!』が全く意味を成していない。
朝特有の忙しなさだったが、誠は心のどこかで笑っていた。
今は昼休み。誠と鈴華は昨日と同じように屋上で弁当の包を開けていた。だが、昨日と違う所が一つある。
それはプラス三人の男と四人の女子が追加されていたことだ。
誠と鈴華は静かに弁当を開けているのとは真逆に三馬鹿の男共は、
「ほ、本田裕太っす!よろしくお願いします!」
「お、俺は河本航平です!お友達になりませんか!?」
「飯田弘樹って言います!桜井さんよろしくお願いします!」
がっつきすぎて第三者から見れば完全に気持ち悪い絵面が出来上がっている。
当の鈴華は軽く引き気味だった。だが、挨拶してきてくれているのを無視して侮蔑の言葉をかけるほどひねくれた性格はしていない。
引きつった笑顔になりつつも、
「さ、三人ともよろしくね」
と彼女は返した。やはり、この三馬鹿は引かれていることを全く気付いていない。
それを女子達が止め、三馬鹿の逆ギレが始まり、また口喧嘩が勃発していた。
それを誠は「俺は関係ないですよー?」オーラを出来るだけ体から放出しながら、遠目で(今日は持ってきた)弁当をパクパク食べていた。
すると、口喧嘩には巻き込まれなかったのか鈴華が誠に気付くとコソッと近付いてきた。そして深いため息をゆっくりついてから、
「初対面のテンションじゃないよあれ…」
「うん、俺もめっちゃ戸惑った。そんで今もめっちゃ戸惑ってる。終始戸惑ってる」
「だよね、私も戸惑…って誠のテンションがおかしくなってる!?」
もう手遅れだった。間違いなくあのノリにやられたあれだ。
鈴華は誠に戻ってもらおうと必死に肩を揺らしながら叫んだ。
「ねえええええ普段の誠に戻ってよおおおお」
「痛い痛い分かったから!戻ったからいつも通りの誠君だから!戻ってるけど脳揺れて腹に入れたばっかの方が戻るから!」
「あぁごめんね!!!」
自分が気持ち悪くなり大ピンチな事を必死にアピールする誠。それを聞いた鈴華は慌てて肩から手を離した。
鈴華はスポーツしているのもあり、一般的な女子がするそれとは訳が違う。あと少し遅かったら間違いなくやつがこんにちはしていただろう。
まだ気持ち悪さが残ってるのか「うっぷ…」と出かけたものをなんとか抑えていた。なので、気分を変えようと自販機で買った天然水を飲む。そうしてやっと落ち着く誠。
後ろで「ごめんね!ごめんね!!」と今度は鈴華が必死になって謝っていた。これ以上気を使われないように「大丈夫よ」と誠は笑顔を作った。
少しして、鈴華と誠のやりとりは落ち着いたが相変わらずあっちは収まる気配がない。二人ともその光景を見ていたが、鈴華は唐突にそれを自分たちの話の話題にし始めた。
「それにしても誠の友達か…ぼっち極めてる誠さんにしちゃ珍しいじゃないですかぁ?」
「うっ、うるさいわ!高校に入ったら作ろうと思ってたの!だからほら、友達が出来てるじゃんか!」
「それは友達を作ろうと思ってる人のセリフじゃないぞ」
「それ言っちゃおしまいだろ…」
ニヤニヤしながらSっ気を発揮する鈴華。そして論破される誠。
その後何故か今ここでは出さなくていい負けん気が誠の腹からふつふつと煮え滾ってきた。そして誠も鈴華に対し反撃を始める。
「そういう鈴華さんは男達からモテモテじゃないですかぁ?コミュ力もあり見た目も可愛いし、こりゃリア充海道まっしぐらかもねぇ??」
「え!?な、な、ななななに急に!ほ、他の人よりかは話すの好きだけどあんなに言い寄られたの初めてだし!決してモテモテじゃ…!」
「おっ、いい反応ではないですか鈴華殿〜」
「う!る!さ!い!」
「先に仕掛けたお前が悪いな!」
すると三馬鹿と女子達がいつの間にか誠達の目の前にいた。顔が凍りついたような真顔を見せる男女達。すると急に口角が上に引っ張られ三日月のような形になった。そして、
『お似合いですなぁ〜????』
と完璧なハモりを見せた。
誠と鈴華は顔の下からだんだんと心の湯が沸騰し、
『んなわけあるかあああ!!!』
とできる限り発せられる声で否定する。
下らなくもとても穏やかな学校生活。そんな昼休み。
鈴華は放課後の学校にいた。部活のために残っていたため当然である。今の鈴華は陸上選手が着るような薄いTシャツに太ももに張り付くようなピチピチのスパッツだ。
靴を履きながら何故か昼のことを思い出していた。
具体的に言うと誠が弄ってきた時のあのセリフだ。
(誠…あいつ、さりげなく…)
学校でするものではないくらい険しい顔になっている。鈴華は気づいていないが先輩らしき女子が鈴華の前を通った時、「うおっ」と驚いているくらいには凄い。
『そういう鈴華さんは男達からモテモテじゃないですかぁ?コミュ力もあり見た目も可愛いし、こりゃリア充海道まっしぐらかもねぇ??』
ずっとこのセリフが頭の中から離れなかった。何がここまで鈴華の頭に粘着しているのか。それはモテモテで動揺したわけでも、ましてやコミュ力を褒められた事でもない。
(あいつ、私の事…)
心が騒いで叫ぶ、ということは無かった。むしろ逆にとても落ち着いている。だが、表情筋は上に向かっている。
靴紐を結び終わり、部室から出ようとする。その時鈴華に密着していなければ聞こえないくらいの声量で、鈴華の武器である笑顔を振りまきこう言った。
「誠が私の事可愛い、だって」
その日、自己ベストを更新したとかなんとか。
誠は学校が終わり、特に焦る必要がないのでゆっくりと身支度をしていた。
三馬鹿や四人組女子達は一緒に帰りたいと誘ってきてくれたのでこれから大勢での帰宅だ。
もうすっかり打ち解けたのか下駄箱の前でガヤガヤしながらも決してうるさくない程度の声で靴に履き替えている。
「でさでさ〜!」と下らない話や世間話、最近流行りのものなどを語りつつ、校門を抜ける。
その時誠達は何も感じなかっただろう。いや、感じ取れないはずだ。
果たして何があったのか。これは特定の者でしか聞けない音である。
校門を通過した瞬間に、
ピキッ、と何かが壊れる音がした。