路地裏ロマンス
「あでっ、いたたっ」
バコボコベココ、耳障りな音が響き、決して柔らかくない感触に小さく悲鳴を上げた。
コンクリートの方が優しいのではと思う大きな凹凸に息を吐き、ベコボコ、音を立て続けてそこから這い出る。
顔を上げて見上げ建物の窓の一枚が開け放たれたままで、それを確認した後に視線を落としていく。
そこには、先程這い出たばかりの白い袋が幾つも積み上げられており、中身はペットボトルだった。
明日はペットボトルに瓶と缶、か――頭の片隅に投げてあったゴミ出しカレンダーを引っ張り出して頷く。
生ゴミじゃなくて良かった、というのは割と本気の本音だ。
しかし「……うーん」いつも通りとは言え思うことは思うもので、それを口に出そうとした矢先に今度は、ガコンバタンと何かを蹴り何かを倒した音が聞こえてくる。
身に覚えのある既視感に、ありゃ、と声が漏れ、それを掻き消すように「作ちゃん!」呼ばれた。
尖った声にひらりと手を上げる。
路地裏のプラスチックポリバケツなんかを蹴りながら走って来たのは、見慣れた濃紺の制服を着た男の子――「やあ、崎代くん」だ。
目の前まで来て深く息を吸って噎せる崎代くんに、ケタケタと笑い声を上げてやる。
いつもは太陽に透ける色素の薄い髪も、薄暗い路地裏ではくすんで見えた。
額から落ちていく汗と上下する肩に荒い呼吸で、如何にして急いでやって来たのか分かる。
「勘弁してよ……」鼻を啜りながら、眼鏡の奥で髪同様に色素の薄い瞳を水分と共に揺らす崎代くん。
ボクは凹凸のあるゴミ袋に体を預けながら、うん、頷く。
その場にしゃがみ込む崎代くんに「疑問なのだけれど」右手人差し指を向ける。
「どうして此処が分かったの?」
「……愛の力とか言ってみたいけど、普通に聞いて来たんだよ。俺よりも、作ちゃんに詳しい人達がいるから」
はぁ、と浅く息を吐いた崎代くんは、右手で前髪を掻き上げる。
普段は隠れて見えない額は、存外形が良く、今はじわりと汗が滲んでいた。
「愛の力とか言ったらドン引きだよ」
「うん、俺もちょっと恥ずかしいセリフだとは思う」
ボクにより詳しい人達は検討が付いているので、態々聞き出すまでもない。
もっと気になる部分を突っ込んで、だよねぇ、と一人納得するだけだ。
未だ瞳を濡らした状態で、情けなく眉を下げて笑って見せる崎代くんだが、いつもは柔らかな表情筋も今は硬い。
ゴミ袋に肘を預けるようにして、右手で頬を押さえれば崎代くんが数回瞬きをした。
男の子にしては長い睫毛が細かく揺れ、男の子らしい手でボクの肩を掴む。
一瞬掴んだ本人の手が、驚いたように跳ねたが、離すつもりはないらしい。
「……今回は?」
「軽く飛び降り。あそこから、ここ」
あそこ、で建物の開け放たれた状態の窓を指差し、ここ、でペットボトルの入ったゴミ袋の山を指差す。
上手く潰されていないペットボトルのお陰で、肋骨辺りが抉られたりした気もするが。
崎代くんの手がボクの言葉に、ぺたぺたと喉に触れ二の腕に触れと怪我がないか調べ始める。
怪我らしい怪我のないボクとしてはどうでもよくて、軽く溜息を吐く。
ボクのことに詳しい面々よりも、余程心配性で、どうしようもなくボクが困るものを向けてくる。
「……良かった」
――また、死ねなかった。
心底安心したような呟きに、空を見上げた。
余計な一言は添えない方がお互いの為になることをボクは知っていて、建物と建物の間から見える空は狭く窮屈だ。
白い雲の多い空は、透き通る青をしており、路地裏で見る空にしては鮮やかなものである。
袖口がシワになりそうな力で握られ、視線を下ろせばコンクリートが濡れていた。
崎代くんが心底安心しているならば、ボクは心底困っている。
軽く眉を下げ、緩く手を解く。
握ってみた手は予想よりも大きく、骨の形が良く分かった。
軽く骨を抉るように指の腹で骨を押し、ゆらりゆらり上下に揺する。
「ボクも勘弁して欲しいよ」
体を前のめりにして、線の細い髪に唇を埋めながら呟く。
路地裏らしく埃の匂いがした。