Hello, Happy Children 2
それからは例の女の子がよく話しかけるようになりました。その子としては奇遇だな、ぐらいにしか思っていませんでしたが、それはまちがいでした。女の子のほうからその子にいちゃもんを付ける形で、ほぼ毎日、飽きもせずに似たようなやり取りが繰り返されていたのです。
ある時は、廊下ですれ違いました。
「その笑顔をこっちに向けないでよ!」
「いや、でも怒る理由がないじゃないか」
「あんたフツーの顔ってのがないの」
「これがふつうだよ」
「アホくさ」
ある時は、職員室のドアでばったり出会いました。
「ちょっと、びっくりさせないでよ!」
「ごめん。まさかひとが立っているとは思わなかったんだ」
「くもりガラスでも人影ぐらいは見えるでしょーが!」
「うん、次から気をつけるから」
「ふんだ。そのおとなしすぎるの、ますます気に入らない!」
またある時は、学校の外、駅前の本屋でばったり出くわしたりもしました。
「なに、あんたストーカーなの?」
「奇遇なだけだよ」
「へえ、どこまでほんとうなんだか」
「まあいいよ。信じてもらえないなら、それはそれで構わないからね」
「なによ、少しぐらいムカついたりしないの?」
「ん、なにが?」
「……もういい」
ところが、そんな日常にそろそろ慣れようかという、ある時のことです。その子は秋の夕日が差し込む放課後の教室で、ひとりぼっちで掃除をしていました。何度も何度も廊下と教室を往復し、雑巾で隅まで拭き取り、汗まみれのひたいをぬぐって、顔を上げると、ようやく女の子に気づきました。女の子の方はまるで最初からずっと見つめていたかのように、黒板わきの扉に寄っ掛かって、その子を見下ろしていたのでした。
「あんたねぇ、ひとりで雑巾がけしてて何が楽しいの?」
「みんなのいる教室がきれいになるって、すてきなことじゃないかな?」
「わたしには、言いように使われてるように見えるんだけど」
「あれ、見てたの?」
「ちがう。たまたまあいつらの声が耳に入ってきただけ」
女の子は強調するように否定しました。
「まったく呆れるくらいご立派なことだけど、あんたはそれでいいの? そんな奴隷みたいなことやってて、ほんとうにいいの?」
「心配してくれているなら、ありがとう。でもぼくは自分の意思でやっているから、そこまで気にしなくて大丈夫だよ」
「そういうことを言ってんじゃないの。あなたは人の言うことを聞いて従ってばかりいるようなやり方が、ほんとうに幸せなのかって訊いてるの!」
その子は首をかしげました。
「幸せだよ。だって、これはきっかけだからね。なんでもやってみれば、これほど楽しいことはないよ」
女の子は絶句しました。
「……あんた、正気なの」
「んん、言ってることがよくわからないけれども」
「わたしもよ。あんた、自分の言ってることの意味がわかってるの」
「もちろん。むしろ、きみにとっての幸せってなんなんだい」
「そりゃあ、楽しいことして……」
と、言いかけて、女の子は言いよどみました。もう口に出さなくても論破されたことに気づいてしまったのです。その子の論理は正当でした。自分が楽しいと思ったことを、進んで行なって満足感を得る。これが幸せの定義だとした場合、女の子にとっての「幸せ」と、その子にとっての「幸せ」は、表面上なにも変わるところがなかったのですから。
しかし女の子は納得がゆきませんでした。首を振って全身で、認めなくないと主張すると、それでもなお足りないかのように言葉を吐き出しました。
「だめよ。あんたは『幸せ』かもしれないけど、それはやっぱりまちがえてる。そんな……それはウソ、ウソよ」
「かもしれない。けど、幸せだと感じるのはほんとうのことなんだ」
「ちがう! それは感覚がマヒしてるだけ。無理していることを隠す言い訳」
「……そう、なのかな?」
ここまで話してきて、その子ははたと不思議なことに気づきました。それは自分がどうしてこういうことをしているのか、それがどうして楽しいのかが、自分自身わからなくなっていたということでした。かつて絶望して噛み砕いたピーマンの苦味のことなど、あとから経験した苦しみの数々に上書きされて、思い出せなくなっていたのです。
たしかに始まりはその苦味でした。しかしだからといって、いまさら変えられるようなものではなくなっていたのも事実です。べそをかきながら「ピーマンは美味しいもの」と自らに言い聞かせ、いつのまにかほんとうに美味しいと思えるようになったいまとなっては、どうだってよかったのです。もちろん、先生の言葉は当時その子にとって呪いのように不愉快なものでした。けれども先生の言葉が正しかったとわかると(それがほんとうはまちがいだったと女の子が知ったら指摘したことでしょう)、食わず嫌いをする自分の感覚は信じるべきではなくなっていたのです。
その感覚が、まちがっていると言われるのは、いままで確信してきたことを見つめなおす珍しい機会になったのでした。
しかしその子はもうひとつ、不思議なことに気づきました。そして残念なことに、そっちに話題を移すことで、せっかくの機会を取り逃がしてしまったのです。
「ねえ、なんできみはそんなにぼくのことにやっきになってるの?」
しかも、この言葉は女の子にとってかなりの痛手でした。弱みを突かれたからではありません。むしろいままで話しかけてきたのは、こういう言葉が返ってくるのを、心のどこかで期待していたからでした。ですが、いま、このときにその言葉がやってくるのは許しがたいことでした。
「話を逸らさないでよ!」
だから、女の子は怒鳴りました。
心なしか、涙を堪えるような声でした。
「いや、でもさ……」
「いいわ! もういい!」
そして女の子は立ち去りました。
あとに残されたその子は、ただただ首をかしげてたたずんでいたばかりでした。
* * *
さいきん──とは言っても、もう七年ほど前になりましょうか。この国のどこかで、いじめられっ子だった女の子がおりました。いじめられた理由は、当時よく泣いたからで、みんなそれを面白がっていろんないたずらを仕掛けてきたのでした。毛虫を机に仕舞ったり、教材を取り上げたり、挙げ句の果てには仲間はずれにして反応を見たりするなど、次第にエスカレートしてゆくいじめは、女の子の心を深く傷つけていきました。
そのうち、彼女は心を閉ざすことを覚えました。周りの人たちが自分の反応を面白がっているのならば、無視するのが正しいのだとようやく気づいたのです。しかし、時はすでに遅すぎました。それまで思った通りに動いたおもちゃが動かなくなったときと同じように、いじめっ子たちはいらだち、次第に乱暴になったのでした。
『ほら、泣いてみろよ』
『浅知恵付けたってムダだ』
『生意気になりやがって』
『可愛くなーい』
それまで表向きは存在した優しさのヴェールが、とうとう無くなっていました。先生のいる前ではおとなしく従順にふるまい、その見えないところでは机に「死ね」と刻んだり、靴を隠したり、教材をカッターナイフで切り刻んだりするようになったのです。
これは、思い返してみると小学校四年生の、中学受験を意識し始めたころの出来事でした。それまでテストの点数など気にしないで「みんななかよく」と言っていたのでしたが、親の方針で塾に行くようになってから、毎日勉強やテストの点数、そして成績順位や偏差値と言ったもので自分の価値を計られるようになっていたのです。その結果次第で、ゲームや化粧品などを買ってもらったり、どこか美味しい外食を食べさせてもらったりするようになったので、なおのこと緊張し、殺伐とした空気が漂っていたのでした。
そんな中、子供たちの間では反動的に悪いこと──例えばいじめとか、ゲームセンターとか、夜遅くまで出歩くこととかへの魅力が増していきました。学校、塾、家での自習の繰り返しの中で、持て余したパワーやストレスを発散するために、とにかく作れそうな時間と場所でうっぷんを晴らしたのです。
そのはけ口として、もともと弱かった女の子の立場はさらに悪くなっていたのでした。
先生方はもちろん、いじめはいけないことだ、許しはしない、と言っていました。教育委員会の発想なのか、本人の正義感なのかはあまりわかっておりませんが、とにかく、そんなものは子供たちのあいだでも分かりきったことなのでした。しかし受験や成績というフィルターを被せた途端、そうした人間的な話題は二の次になり、いかに成績が良いか、いかに運動ができるか、そしていかに顔かたちが整っているかの優劣でひとの良し悪しが計られるようになったのです。テストの点数が進路に、将来に関わるというのは、そういうことだったのです。
『おつむがサルみてえだな』
『動きもとろいし』
『なんだよせっかく話しかけてやってんのに、無表情だなんてキモい』
行儀よくすること、勉強すること、とにかく周囲の目からよく思われることを念頭に、数字を上げるためにひたすら努力をするのは、決して楽ではありません。むしろ苦しくて苦しくてしようがないものであって、できればしたくないものでした。おまけに思ったほどには成果も上がりませんから、報われた心地が全然しないのです。もともとそういうのが好きだった子供だったら、どんなに良かったことでしょうか。しかしそうではない子供が大半だったので、自然と、クラスの中ではがまんとうっぷんが溜まりに溜まって、いつ噴き出すとも知らない火山の中身のようにドロドロと横たわっていたのでした。
けれども、勉強しないと親に、先生に、周りの大人たちに怒られます。逃げ出すことなどもってのほかでした。中にはそれすらも振り切って遠くへ遠くへ自分の世界を作り上げることのできた子供もおりましたが、多くの人間はそう強くありません。親の前に屈し、しぶしぶと、めんどくさそうにしながら、それでもあわよくば親の機嫌を取ってうまい汁をいただこうとあの手この手で努力とは別の工夫を凝らすのでした。
女の子にとって、無表情の仮面をかぶることはそういうことだったのです。それは中学に進学したあとも続きました。むしろ進学したがゆえの処世術だったのかもしれません。彼女は自分を取り巻くイヤな環境を、耐え抜いていつか飛び出せると信じるようになりました。嫌いなことも、苦手なひとも、がまんすればなんとかなるのだ、と。それは卒業と進学が教えてくれた真実でした。いじめられていた小学校から抜け出してせいせいしてすらいたのです。だから、もし腹が立つことがあっても、がまんすればなんとかなるという考え方が身についたのでした。
けれどもそんな彼女にとって、がまんできないものがありました。それは同じクラスにいた男の子のことでした。その子は憶えているかどうかわかりませんが、じつは同じ小学校の出で、入学して同じクラスになっていたのです。彼女は最初驚きました。なぜなら、その子はいじめられていたときにたったひとり手を差し伸べてくれたひとだからです。
(まさか……こんなところで)
はじめはそう思いました。そして声を掛けようかさんざん悩みました。というのも、思春期に入っていたからでしたし、話しかけたところでできる話題が、個人的にあまり嬉しくないことばかりだったからです。そうこうしているうちに月日だけが経ち、最初の一年が過ぎようかというときまで、ずっとひっそりとその子のことを観察していたのでした。
ところが、その子を見ているうちに、彼女は不思議なことに気づきました。その子の周りに誰ひとりとして友だちがいなかったのです。友だちのように話しかけるひとも、友だちのように頼みごとをするひともいました。しかし友だちとして彼を助けるひとはいなかったのです。注意深く観察すると、周囲のクラスメイトには敬遠している様子すら伺えました。それでもその子はいつも笑顔で、まるで相手が誰でもいいかのように、優しく振る舞っていたのでした。
(なにあれ……あんなひとにわたしは助けられたの……あんな上っ面な優しさで、わたしは助けられたと感じていたの……?)
その感情の深いところにどんな想いがあったのかは、女の子でもわかりません。しかし彼女は怒っていました。これは当然のことでした。まさかいじめられていたときに助けてもらったのが、そのひとにとってどうでもいいことのひとつだったなんて思いたくはなかったのですから。
だから彼女はその子にいつか問いただしてやろうと思っていました。思い出させてやろうと思っていました。しかし、話しているうちに、相手を理解してゆくうちに、あるとんでもないことに彼女は気づいてしまったのです。
ああ、彼も同じなんだ、と。
その子も自分も、ただがまんして、自身をごまかして、それでどうにかなると、良い方向に向かうのだと信じていた幼い子供だったのだ、と。
(同族嫌悪なんだ。あいつが自分を偽っているように、わたしもわたしを偽っている。そこになんのちがいがあるというの?)
彼の偽善に助けられたと思った自分が情けないと思いました。それ以上に、それでじつは救われたと思っている自分にも腹が立っていました。そしてそのふたつのどっちの感情を取れば正解なのか、もう女の子にはわかりませんでした。
だから彼女は廊下を駆けて、駆けて、校舎を飛び出しました。もう二度とその子に会うまい、話しかけまい、と心に決めて。