粉雪に似て儚く
はじめに。
別サイトにて、ウル・シンのHNで執筆しているものと同じです。ここでのペンネームとは違い紛らわしいかもしれませんが、同一人物です。誰も知らないとは思いますが。念のために。
草木も眠る丑三つ時。とっぷりと夜の帳が落ちたはずの町は、何処にも明かりがついていないのが当たり前で、漆黒の夜空が覆いつくしているはず。けれど、夜空はくすんだ赤い色をしている。
世界を代表する工業の明かりゆえか、煙突から吐かれ続ける煙ゆえか、空を埋め尽くしているはずの星空や月と言ったか細い光は、地表に投げかけられることなく、ただただくすんだ赤を映している。
本当の意味での夜空と言うものを、私は一度も見た事がない。それはテレビの中の映像や、本の中の想像上のものでしかない。
だって、空はこんなにも赤いのだもの。
柔らかな月光? 満天の夜空?
そんなのは御伽噺に等しい。ついでに言えば、青空、白い雲なんていうものすら見た事がない。
空はくすんだ赤色をしているもので、それ以外の色なんてない。
だから、そこから降ってくる雪の色は、赤いものだと言うのが正しい。
音もなく降り注ぐ粉雪は、積もることなく溶けていき、赤い付着物を残して消えていく。
降る様はまだ綺麗だけど、こうして地に戻っていく際に置き忘れていくものは汚らしいもので、私はこの雪というものが嫌いだ。
汚い赤色を強引に撒き散らして、何事もなかったかのように消えていく。そんな迷惑行為によって、町の色は空と同色。どこまでも、どこまでも、空と大地の切れ目をなくそうとでもしているかのように、同じ色に染めあげる雪によって、色が侵されている。
それはできの悪い映画を強制的に見せ付けられているかのようで、面白くないを通り越して苦痛でしかなくなる。
この眼が、赤以外の色を映さなくなってから久しく、それ以外の色を見る事なんてなかったから、その色に気づくのはずいぶんと遅れた物にならざるをえなかった。見えてはいたのだが、あまりにも違う色過ぎて、それがなんであるのかに気づくのがだ。
白かった。何処までも白かった。何物にも侵されていない色を、白色などというすぐに染め上げられるものを見るのは初めてだった。
くすんだ赤光にも染まらない髪の色は真っ白で、白いロングコートを羽織っている。それはくすんだ赤の世界では異様なほどに目立つ色合いだった。
年はまだ若い。青年と少年の中間ぐらいで、男と若いという事実以外わからないので、これからは彼と呼ぼう。彼の視線は何処を見ているのか一目瞭然で、じっと空を見上げている。ただ、雪を見ているのか空を眺めているのかまではわからないけれど。
「なにをしているの?」
くすんだ赤以外に染め上げられた色を持つことができるなんて知らない。どんなものでくすんだ赤にしてしまう工場の近くで、それに負けない色があるなんて。
――その興味心、あるいは鬱積した何かが殻を突き破って出てこようとしている。
「こんな夜更けに出歩くのは感心しないな」
振り向いた彼の瞳も白色で、なんだか彼にふさわしい色のように思えた。
「夜ですって?」
なんて古臭いことを聞くのかしら。
「そんな古い区別をする人なんて初めてだわ。今は黄昏時。明けもなければ宵もない、くすんだ赤が空を埋め尽くした黄昏の時間よ」
誰が言い出しのかは定かではないが、いつのまにか当たり前のように使われだしたのが、明けと宵、朝と夜、それらの間をつなぐ時間。すなわち黄昏の時間。実際の意味よりも、人類の黄昏をも暗示する言葉。それが現状を的確に表しているようで、以後好まれて使われるようになった。
「黄昏か。なるほど、現状を表すとするならばそれがもっとも的確か。なかなかよい表現するものだな」
「なんだか見下したような言い方ね」
「いやいや、賛辞を述べているだけさ。自分たちに訪れた出来事を正確に捉えることができる事にね」
「嫌な皮肉ね。まぁ、合っているのかどうかは知らないけど、それが正しいのでしょうね」
人類はとっくに終わりを向かえているのだろう。今は昔の遺産によってどうにか食いつないでいるけど、新たな創造をする事ができない人類は滅ぶしかない。立ち止まったものから死んでいくのが、進化という路線に乗った生物の性ゆえに。それを今更覆すことができるとは思えない。
「では、こんな黄昏の時間に君は何をしているのかね」
「同じ台詞をそのまま返すわ」
「なるほど、主観はともかく客観で視れば同じ事か」
「そういうこと。それに、こんな黄昏の時間に外を出歩く人間なんていないわよ」
生物も遠い昔にいなくなっている。どうして生きていられるのか不思議なぐらい、人類という種だけが地球にへばりついている。もちろん、目に見えない生物はたくさんいるんでしょうけど。
「なら君はどうして外を出歩いているんだい?」
「理由なんてないわ」
人類そのものに生きている意味なんて失われたのだから、そのうちの一部でしかない個人の理由なんてあってなきが如し。ただあるがままに移ろい、抵抗することなく進化せずにいき耐える。それが人類の終焉、黄昏の果てに広がる世界なのだろう。だから、強いて言うならば、
「ただ刻むだけ。私がここにいたと言う事を」
何千、何万、何億、あるいは無限大。その果てに、私と言う足跡を誰かが見つけてくれるかもしれない。そんなありえない理想を胸に抱いているに過ぎない。
「なるほど、君が描く魔方陣はそういった意図によって成されたのか」
「魔方陣? そんなファンタジー的なもの、数学的なものでもないわ」
「数式といのはこの世でもっとも純粋なものだ。神々ですらその理を覆すことはできない。数式は理を表していると言ってもよい。そして、魔法とは理によって定められている式だ。故に魔方陣は数式と言ってもよいな」
「だから何?」
「つまり、君が描いた魔方陣は、異界の者を呼ぶという召喚の数式だ」
「その口ぶりだと、自分がその異界のものだとでも言いたげね」
「実にその通りだがね。私は君に呼ばれてここにきたのだ」
「ふぅん、物好きな事ね」
「君ほどではないと思うがね」
「違いないわね」
誰にも視られることなく、ただ消えていくだけの図を地面に描き続ける阿呆な女。それが私だ。誰も知らない、私も知らない誰かへの、届く宛のない手紙。それを延々と描き続けるのは、確かに物好き以外の何者でもない。
「それで、そんな物好きな女に何のようかしら」
「さて、別段用事というものはないな。君が意図してか、意図せざるかは関係なしに、式が成立すれば呼び出されるのだ。そこに意味をみいだすとするならば、君が示さなければならない」
「といっても、特にしてもらうことなんてないわ。この世界はもう終わりで、どこにも繋がらなくなった。私が残そうとしている足跡は、私自身がなさなければならないことだもの」
ただ生きているだけ。それだけでしかないこの世界で、何を望むことがあるのだろうか。
「ならば、君は神になってみるかい?」
「神ですって?」
「そう。この世界を観測し、記憶し続けるもの。世界は観測するものがいてこそ、世界足りえる。認識するものがいない世界はないも同然。この世界は滅びるのが必然。ならば、君は逸脱者となることで滅びから免れ、ただ一人この世界のことを記憶し、認識し続けることでこの世界の神、認識して世界を支えるものになることができる」
くすんだ赤い空を見上げる。空は憎らしいほど同じで、何一つとして変わることがない。「この世界は本当に終わりで、もうこれ以上なにかが起こることもなく、ただ緩やかに衰退していくだけ。その流れに逆らうことになるんじゃないの」
「いや、逸脱者が神になっても、この世界が滅びるという理まで覆すことはできない。ただ、この世界が本当の意味での終わりを迎えることなく、滅びたところで終わりを迎える。後は、神になったものが決める。存続させるのか、転生させるのか、滅ぼすのか、それが神の采配だ」
その権限は間違いなく神のものね。文字通り生かすも殺すも可能。世界そのものの運命を握る。それが神でなくてなんだというのだ。
「それも一興ね。でも、お断りだわ」
神様になるなんて真っ平。私はただそのときが来るのを待ち続けるだけでいい。
「そうかね」
ただ一言、物好きな女に誘われてやってきた異世界からの訪問者は呟いただけで、その身を消した。
くすんだ赤一色の世界に、染まらない白色という色を伴って現れた異邦人は、粉雪のように淡く溶けて消えていった。
ただ、綺麗な白の残滓が一瞬きらめいて、ふくのを忘れていたかのような風に乗って、くすんだ赤の世界へと飛び散らせて。
後には何も残されていない。
私は一人舞い始める。この世界の終わり、たそがれの時間が終わりを告げるときまで、私という足跡を刻むために踊り続ける。
くすんだ赤はどこまでもくすんでいて、何一つとして変わらない夜だった。