第七話 大胆なお誘い
外に出ると、もう夕暮れ時だった。
室内にいたせいで、いつの間にか時間が経過していることに気がつかなかった。
ビルとビルの隙間から、赤く染まった空と、太陽が少しだけ顔をのぞかせていた。
オレは、日曜日で人通りの少ないオフィス街を、当てもなくぶらぶらと歩いた。
太陽も沈んでいくが、
オレの心も沈んでいた。
結婚か……オレももう三十一歳だ。
minaは今年で二十七歳。
もちろん遊びでminaと付き合っているわけではない。生涯独身を貫く気もない。親戚は帰省するたびに嫁をもらえとうるさいしな。
結婚……確かに、付き合っていったら当然そういう未来もあるのだろう。ただ、オレ達は付き合ってまだ二ヵ月だ。まだ実感がわかない。
付き合うのはいいけど、
結婚はダメ……
無理だ……と言っていたか?
どういうことだ??
まるでわからない。
社長には、
「苦労知らずの坊ちゃんにはわからんよ」
なんて言われたし……
別に、オレの実家はしがない中小の不動産屋だし、お坊っちゃん育ちではない。
オレではわからないようなこと……?
わからないことが、わからなくて、だから、わからない……??
??
ダメだ、こんがらがってきた。
うーん……逆に考えると、minaと付き合う分には社長公認ということだ。
取りあえずそれで良しとする方がよいのか?
なんとか思考にケリをつけて、オレはminaと佳奈が待っているであろう、会議室へと戻ることにした。
安っぽい会議室の扉を開けると、
そこには血まみれのminaが倒れていて…
ということはもちろんなく、
minaと佳奈は向かい合って座り、楽しそうにおしゃべりをしていた。
佳奈も表面上は元気そうに見える。ただ、泣きはらしたのか、目が赤くなっていた。
「あっ、カズ兄、お帰り」
「お、おう、なんか、仲よさそうだな」
「佳奈ちゃんにね、カズくんの高校時代のこととか、色々聞いてたの」
minaは、こちらに微笑みかけてきた。
良かった、オレの好きないつもの笑顔だ。さっきはすごい怖かったからな。
「カズ兄、色々と……ごめんね」
「別に、佳奈が謝ることじゃないよ」
「佳奈は、自分の気持ちを押し付けているだけだった……カズ兄の気持ちをちゃんと考えてなかった」
佳奈は、少し寂しそうに笑った。
「佳奈ちゃん、もし……良かったらだけど、また、カズくんの昔の話とか、聞かせてね」
「うん、もちろんだよ。mina……姉……またお話ししようね」
「私のライブも見に来てよ。チケットあげるから」
「本当! 佳奈、やっぱりmina姉の歌大好きだから……いつかはmina姉の作る歌みたいに、もっと素敵な恋愛ができたらいいな」
「できる! 佳奈ちゃんなら必ず素敵な恋愛ができるよ! そう言ってくれたら、私もうれしい」
かつて死闘を繰り広げたライバルは、
友情(姉妹愛?)が芽生えていた。
週刊少年ジ○ンプか? ここは?
でも、よかったな。
一体、minaはどんな話をしたんだ?
「じゃあ、佳奈帰るね」
佳奈はそう言って、立ち上がった。
「送っていくよ」
オレが言うのもなんだが、失恋してヤケになって変な男にでも付いていかれたら困る。
「大丈夫。一人で帰れるから……それより、これからmina姉とデートでもしなよ」
佳奈はそう言って、オレとminaに手を振って足早に去っていった。
よく、minaと、他のメンバーと通った。いつもの店。C社からも近い。
オーナーは口が堅く、従業員の教育も行き届いているらしい。
だから、この店は安心してよいとのこと。
オレとminaは一番奥の個室で、久しぶりに二人きりで再会した。
オレたちは、会ってない日々のことを色々と話した。世間の付き合いたての恋人同士のように、好きな人と交わす会話はどんな内容であってもうれしかった。
最初はminaと向かい合って食事をしていたが、コース料理が終わるとminaはオレの隣にすっと移動してきた。
「カズくん……」
minaはそうつぶやいて、オレの腕にしがみついてきた。
何杯か飲んだカシスオレンジのせいか、
minaの頬はほんのり桜色に染まっていた。
女の子らしい、ピンク色のワンピースがよく似合う。
少し、濃い目のアイシャドー。
今日のminaはなんか大人っぽいメイク。
でも、そんなminaもとても素敵だ。
艶っぽく、うるんだ瞳で上目遣い……
反則だ……
「ずっと、こうしたかったよ……カズくん」
「mina……」
minaのきれいな黒髪が、オレの肩にかかり、minaのシャンプーの香りかな? いい香りがした。
オレの鼓動が早いのはビールを飲んだせいではないはずだ。
佐伯家は酒豪一族だからな。
「会いたかった……ごめんね、私忙しくて」
「そんなことないよ……こっちも仕事、立て込んでたから」
「私……佳奈ちゃんに嫉妬してた」
「毎週のように会ってたら、さすがにまずかったかな? これからは控えるよ」
「ううん、そんなことない。毎週はちょっと妬いちゃうけど、時々会って、遊んだらいいと思うよ。だって、大切な妹分でしょ」
「うん、そりゃあ、そうだけど」
「ご飯とかも、今まで通り、たまに差し入れしあげてって言っといた。カズくん……ほっとくとコンビニとかカップラーメンばっかでしょ。カズくんの体も……大事だから……」
「mina……なんか、ありがとう」
優しいな、minaは……本当に。その優しさが、佳奈の心も動かしたんだろうな。
「あと、カズくんの若い時の話もたくさん聞いたよ。カッコよかったんだってね? 剣道の大会で、決勝で負けちゃったけど、カズくんが悔し涙を流して……佳奈ちゃんはそれを見て、カズくんのお嫁さんになるって決めたんだって……」
そうだったのか……高校時代、そう、あれはインターハイ出場を賭けた決勝戦……
なんてことはなく、もっと下の地区レベルの決勝なのだが。
うちの剣道部、弱小だったからな。
でも高校最後の年は仲間にも、そして組み合わせにも恵まれて、普段は一回戦敗退なのだが、その時は決勝まで進むことができた。
確か、佳奈はまだ6歳くらいだったと思う。親戚を挙げて応援に来てくれた。
かなり恥ずかしかったが……その時から、佳奈はオレのことを……
「どうしたの? カズくん?」
minaは不思議そうに、オレのほうを見た。
「い、いや……なんでもないよ」
オレは平静を装った。
「ねえ……キスして」
ふいに至近距離で、minaが目をつむった。
「ちょっとここ……お店だし……まずいよ」
「大丈夫だよ。そのための個室だし……」
相変わらず、度胸があるな。
「わっ、わかったよ」
オレは顔を真っ赤にしながら、minaと優しく口づけを交わした。
小さな、柔らかい、唇の感触。
愛する人との久々の逢瀬。
幸せな気持ちで胸が一杯になる。
さっきの社長の言葉なんて、どこかへ吹き飛んでしまった。
minaはとても嬉しそうに微笑んだ。そして
「ねえ、私のこと……愛してる?」
minaがオレの腕にさらにキツく絡みついて
minaの香りが、さらに強くなった。
まるで桃源郷の中にいるように、心地よい。
「もちろん、愛してるよ」
そんな、バカップルみたいなやりとりも……minaとなら何回だってしてみたい。
minaは一呼吸置いて、そして、
「じゃあ……次のデートで、私を……カズくんのモノにして!」
お得意の上目遣い……なんだって叶えてあげる。?? でも?
「えっ……オレたち、もう付き合ってるんじゃないの? てことは彼氏と彼女というか……つまり……minaは、オレのもので……」
「違うよ。女の子に……そこまで言わせないで……」
「えっ? どういうこと?」
「だから、……私の全てを……カズくんにあ・げ・る」
minaはそう言いながら、頬をますますピンクに染めて、すぐに視線を反らした。
ん?? んん?? 全てを頂ける……
ってことはつまり!!
「えっーー!!!」
オレの絶叫が、店全体に響き渡った。