エピローグ① お嬢さんをください
ラジオでのオレとminaのやり取りは見事に公開生中継されていた。
その放送直後からSNSの拡散が相次ぎ、やがてテレビでもその様子が取り上げられた。
所属事務所はもちろんのこと、各テレビ局にも
「minaちゃんをもっとテレビに出演させて!」
「minaちゃんの歌をもう一度聴きたい!」
などという電話がどんどん寄せられた。
岡安さんの話では、C社の事務所の電話は鳴りっぱなしで、社員はその対応に大わらわだったとのこと。
中には
「mina様をテレビに出演させないと、自分の腹にダイナマイトを巻いて、テレビ局を爆破する!」
なんて過激な内容もあったそうだが。
テレビのワイドショーでもminaの話題が大きく報じられた。
「歌姫mina、ラジオ番組で復活!」
「歌姫、ゴールイン目前!? お相手はエリート銀行員」
などという見出しが、スポーツ新聞の記事を覆った。
SNSの内容も、概ね好意的のようだ。
「minaちゃん、おめでとう! 幸せになってね」
「minaちゃんの歌がまた聴きたい! ライブ絶対やってね」
minaが目黒川の舞台で歌うシーンや、誰が撮ったのか、オレとminaが抱き合うシーンと共に拡散されていた。
そんなラジオの公開収録の余韻がまだ冷めやらぬ翌日。
オレは、minaと、自分が働いている東和銀行の支店に来ていた。
正確には、「働いていた」か。オレはもう辞表を提出した身だからな。
応接室に通されて、しばし待つ。
革張りのソファーに、minaと隣り合って体を埋める。
オレは一応スーツに、きちんとネクタイを締めていた。
しばらく、スーツを着る機会もないかもしれないな。
minaも白いカーディガンに襟付きのシャツ。下は紺色の膝丈のスカートとシックな服装をしていた。
応接室の重厚な木目調の扉が開いて、草橋支店長が現れた。
「すまん、待たせたな。本部からの問い合わせや、こっちにもマスコミからの問い合わせがたくさん来ていてな」
支店長は少し疲れた顔をしていたが、その目はとても優しそうであった。
「ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
オレは、素直に頭を下げた。
「まあ、いいってことよ」
支店長はそう言って、テーブルを挟んでオレとminaの向かいのソファーに腰掛けた。仕立ての良さそうな紺色のダブルのブレザーに、グレーのパンツ。背が高くがっちりとした肩幅。白髪交じりの髪は短くきちんと整えられている。靴は忙しい中でもきちんと手入れされていて、その風貌はまさに歴戦のバンカーを思わせた。
「それより、ミナ。おめでとう! 良かったな、人前で歌えるようになって」
「ありがとうございます! 叔父さん」
「マスコミから散々叩かれて、歌を歌えなくなった時はどうしようかと思ったが……」
「心配かけてごめんなさい」
「いや、いいんだ。佐伯がミナを想う気持ちが、奇跡を起こした……そんな感じか?」
「やめてくださいよ、支店長まで、スポーツ新聞の記事みたいなこと言わないでくださいよ」
照れる、オレ。
「佐伯。やっぱり銀行を辞めるのか?」
「はい、辞表も出してますし、今回の騒動で少なからず銀行にも迷惑を掛けています。オレなりのけじめです」
「今なら、俺の始末書一つで、上に掛け合うこともできるが?」
「いえ、日本中を敵に回しても、minaと一緒に逃げて逃げて逃げまくって、minaだけは何とか守るって決めたんです。支店長にもこれ以上ご迷惑を掛けられません」
支店長はオレの発言を聞いて、しばし、考えを巡らせているようだった。
本当に、部下思いの人だ。この人の元で働くことができた経験は、オレの人生で誇るべき財産だ。
「そうか……寂しくなるな。佐伯、次の仕事のアテはあるのか?」
「いえ、まだ何も」
「何なら、俺から取引先のツテを当たってみてもいい」
「大丈夫ですよ。一応、元『頭取賞』受賞者ですから、他の銀行に転職するもよし。独立して経営コンサルタントでも……って、これは少々調子に乗りすぎかもしれませんね」
「お前がライバル銀行にいて、敵に回るのだけは勘弁してもらいたい」
そんなことを言いながら支店長は愉快そうに笑った。
「大丈夫ですよ。守秘義務はちゃんと守りますから」
オレは支店長の冗談にそう言って乗った。
「それより、お前達、ついに結婚か? おめでとう」
支店長が満足そうにうなずきながら、話題を変えた。
オレとminaは顔を見合わせた。
昨日のやり取りの通り、きちんとプロポーズはしていないが、もちろんminaとはこれから二人でずっと、歩んでいくつもりだ。
「ありがとう、叔父さん」
「ありがとうございます、支店長」
「結婚式にはちゃんと呼んでくれよ」
「当たり前じゃないですか。散々お世話になった元上司でminaの叔父さんなんですから」
結婚式、まだ何も決めていないが、もちろん、お世話になった人々は呼びたいと思っている。
「叔父さん……」
minaがおずおずと切り出した。
「どうした? ミナ?」
少し不思議そうな顔をする、支店長。
「あの……結婚式の時には、お父さんの代わりとして」
「兄貴の、代わり……?」
「バージンロード、一緒に歩いてくれますか?」
「ミナ……」
何かをこらえるように、言葉に詰まる、支店長。
「ダメ……ですか?」
minaはテーブル越しに、そんな支店長の顔を覗き込んだ。
オレがかつて理想のバンカーとしてその背中を追い求めた。ビジネスマンとしても一人の人間としても尊敬してやまない、仕事に厳しく、部下に優しい、そんな支店長が……
涙を堪えていた……
「ミナ……うっ……立派に育ったな。しかも隣にはこんなに立派な男がいる」
「そんなに立派な男じゃないですよ」
「佐伯なら、ミナをきっと幸せにしてくれる……兄貴もきっと喜んでいるだろう」
支店長は表情には出さないことも多かったが、minaのことを自分の娘のように心配してきたんだろう。
オレとminaも、思わずもらい泣きしそうになった。
「兄貴……」
支店長は、ミナの父親のことを想ったのか、そこで感極まった。
そんな支店長をしばし見守る、オレと、mina。
「佐伯、ミナを頼んだぞ!」
オレは、支店長とがっちりと握手を交わした。
大きな、頼りがいのある手。
minaの父親代わりでもあるが、まるで、オレにとってももう一人の父親のようだった。
「必ず! minaを、お嬢さんを幸せにします!」
オレはそう、力強く応えた。
「バカ……泣かせるなよ。最後だってのに」
支店長の目からは……
ついに涙が溢れていた。
支店長はスーツの内ポケットからハンカチを取り出して、少し照れながら、涙を拭いていた。
まるで子を想う親の気持ち。
オレも、子供を持ったら、今日の支店長の涙の真の意味がわかるのだろうか?
でもいつか、そんな経験もしてみたいものだ。
オレとminaは、また一つ、大きな「愛」を知ったのだった。




