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第六十話 再び、目黒川


「みなさん、こんにちは! minaです。今日は公開生放送ということで、こんなにたくさんの人が集まってくれて……本当にありがとう」


 三月の最終日曜日。

 今年も、昨年同様、桜の開花は早めの予報だ。

 六分、七部咲きくらいだろうか、澄み切った青空に、薄桃色に化粧した桜の木々が川面に映って、キラキラと輝いていた。


 目黒川沿いの広場に設けられた、特設スペース。

 minaのラジオの公開生放送。


 minaは薄いピンク色の長袖のワンピース。足元には茶色いフワフワのブーツ。機材に囲まれた舞台の上で、ヘッドホンを頭に身につけて、普段と変わらない口調で話していた。


 時折、桜の花びらが、春風に乗って、minaの座っているテーブルの上にも降りてくる。

 そしてminaの長い光沢のある黒髪が、春風に揺れる。時折髪を整える仕草が、たまらなく愛らしい。そんな所は、前とちっとも変わっていない。

 

 百人ほどの観客が立ったまま、収録の様子を見守っていた。

 ライブで二千人以上を動員したり、以前お菓子メーカーのイベントでも五百人以上のファンが詰めかけたことを考えると、少ないかもしれない。

 でも、散々マスコミからバッシングを受けて、このラジオ番組以外はメディアに出る機会もない。今日来てくれているファンは、本当にminaのことを応援してくれている。そう捉えていいだろう。


「最近、私はお料理を頑張っていまして……この間、初めて餃子を作ってみました。豚肉とニラを混ぜて、皮に包むまでは良かったんですけど。包み方がまずかったのか……フライパンで炒めたら、中身が飛び出しちゃって……結局、失敗しちゃいました」


 観客はminaのそんなドジなエピソードにもクスクスと笑っていた。


「今日は、番組のラストに私から重大発表があるので、どうか最後まで聞いてくださいね。それじゃあ、早速、この曲から行きましょう! 今の季節にぴったりな曲を選んでみました! minaで『桜のハナビラ』!」


 minaは「重大発表」という所で、少し悲しげな表情を見せた。

 しかしすぐに笑顔になって、minaのファーストアルバムに収められている、桜の季節にピッタリの女性の片想いの心境を綴った切ないバラード曲を紹介した。


 曲が掛かっている間も、minaは観客に手を振って、観客もそんなminaの仕草に時折歓声を上げていた。

 minaはまだまだ芸能界でやれるのか?

 でも、歌を歌えない歌手なんて……


 曲が終わった後は、リスナーからのメールの紹介に移る。

 リスナーからのネタにツッコミを入れたり、相談に真剣に答えるmina。

 

 minaの重大発表についてはネット上では様々な憶測が流れていた。

 引退宣言をするのではないか? という声もあれば、高らかに復活宣言をする! というファンの願望にも満ちた声もあった。


「では、このコーナー行ってみましょう! 『minaの、先生に聞いてみよう!』」

 minaの声にエコーが掛かって、リズミカルなテーマ曲が流れる。


 続いてminaは原稿に目を通しながら、コーナーの説明を始めた。


「今日は現役の銀行員の方が、経済について優しく教えてくださるということで、経済オンチの私には、大丈夫かな……ちゃんとついていけるかな。ではご紹介いたします。東和銀行の、さ、佐伯……和弘さん!?」


 minaの声が裏返っていた。


 そりゃあ、びっくりするよな。事前にマネージャーの岡安さんに話を通しておいて、直前で原稿を差し替えておいたから。

 その岡安さんに目配せをして、オレは動き出した。


 ステージ上では、舞台袖から佐伯和弘、つまり、オレが登場。

 オレは紺色のスーツを身にまとい、九月にマネージャー業務をしていた時にminaから貰った水色の柄のネクタイを締めていた。髪型も一応、スタイリストの人に整えて貰ったし、顔以外は人前に出ても恥ずかしくない格好だと思うが。


 そしてあらかじめ用意されていた、minaの隣の席に座った。

 テーブルに、手で持っていた原稿をセットする。


「さ、佐伯和弘さんは現役の銀行員の方ということで……き、今日は私に経済のことについて優しく教えてくださるということで……」

 minaはかなり戸惑っているようだが、さすが芸能界で四年近くキャリアを張っていただけはある。かろうじて調子を取り戻して、ゲスト、つまりオレに語りかけてくれた。


 薄いピンク色のアイラインに、アーモンドアイの綺麗な瞳。小さな可愛らしい口びるから発せられる透き通った透明感のある声。


 一ヶ月……半ぶりか……間近で見るminaの表情にオレの胸は高鳴ったが、今はそんな感傷に浸っている暇はない。


 オレは練習した通り、すらすらと解説を口にした。


「そうですね。現在、日本政府はマイナス金利という政策を敷いておりまして……あっ、マイナス金利ってご存知ですか? 何がマイナスかといいますと……」


 ラジオの生放送で喋るのはもちろん初めてだが、人前で話すのは得意だ。

 普段は、百人以上の対象者を前にセミナーの講師として説明することもあるし、取引先へのプレゼンの場数も踏んでいる。

 事前の練習とシミュレーションをしっかりとしておけばそんなに難しいことではない。


 観客とminaの方を交互に見ながらスラスラと喋るオレに対して、minaは

「何でアナタがここにいるのよ?」とでも言いたげな目でしきりにこちらを睨んでいた。


 そんな視線を全く気にしていない素振りで、オレは解説を続けた。


「では、佐伯さん……その……マイナス金利っていうのは、私達の生活にどう影響していくんですか?」

 この辺は原稿にもきっちりと書かれているから、minaはなんとか調子を取り戻しながら、オレに向かって決められた質問をした。


「そうですね、良い面と悪い面と両方があります。例えばこれから家を買おう、住宅ローンを組もうという方にとっては、プラスになります。なぜかと言いますと……」


 こちらも、台本の通りに、決まり切った解説を返す。

 オレは経済学部出身ではないが、こういった初心者向けの説明ならお手のものだ。

 普段はもっとややこしい取引先を相手に、もっと複雑な説明を求められる場合もあるからな。


 minaは時折、オレの胸元、ネクタイにちらちらと目をやっていた。

 自分がプレゼントしたネクタイだからちゃんと覚えているのだろう。


 そして、原稿通りオレの説明が終わった。


「佐伯さん、本当にありがとうございました。とってもわかりやすかったです。私も、少しは経済オンチが治った……かな?」

 minaはそういって照れ隠しのように、観客に問いかけた。

 少し、失笑が交じる観客たち。


「いえいえ。こちらこそ、minaさんのラジオに呼んでいただいてとても嬉しかったです。ありがとうございました」

 オレもそう言って、頭を下げた。


 minaは原稿に目を通しながら、さらに続ける。


「えっと……佐伯さんにはこのあとも最後まで番組にお付き合いいただけるということで……よろしくお願いします」

 minaは一瞬、とてもイヤそうな顔をしたが、すぐに表情を戻して、オレに向かって微笑みかけた。


 minaの顔が少し引きつっている。

 たぶん、作り笑顔……だよな。

 そりゃあそうだ。一ヶ月半前にこっぴどく自分を振った元カレが隣でペラペラと喋っているんだ。心中穏やかなはずがない。


「よろしくお願いします」

 そんな思いを巡らせながら、オレもminaに向かってもう一度頭を下げた。

 

「ここで、いったんコマーシャルです。このあとも私のラジオ、最後までお付き合いくださいね」

 観客の方を向いて笑顔を見せながら、minaはマイク越しにそう言った。


 CM中も

「minaちゃん、こっち向いて!」

 という若い女の子達の歓声に笑顔で手を振るmina。


 でも、CMが終わる前に一瞬オレと目が合うと彼女はまたコチラをひと睨みしてきた。

 雨宮さん仕込みのメンチビーム、またレベルが上がったんじゃないか?


 まあ、こっちもminaばっかり気にしている訳もいかない。

 これから、自分のする事を思うと、普段人前で話し慣れているオレも心臓の鼓動が早くなってきた。


『自分の可能性を全て信じて、もう一回だけやってみよう!』


 minaの歌のリズムを自分の頭の中で繰り返しながら、オレは傍らの小さい恋人のことを想った。

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