第五十一話 海辺の街へ
年が明けて一月一日。
朝八時。新潟行きの新幹線の車内で、オレはminaと待ち合わせをした。
「明けましておめでとう。カズくん。今年もよろしくね」
そう挨拶をしてくれたminaは、数日前に会った時に比べて、少し晴れ晴れとした表情を見せていた。
今日のminaはフードの着いたフワフワの白いダウンジャケット。
一応、変装のためか、黒縁の伊達メガネをかけていた。
「こちらこそ、mina。今年もよろしく」
オレもそう言って頭を下げた。
minaと二人掛けの座席に隣り合って座る。
元日は家族の元で過ごす人が多いのだろうか。
グリーン車の中は人影がまばらであった。
minaを人前に晒すわけにはいかないから、その方が都合がいい。
新潟行きの新幹線「とき」は定刻通りに東京駅を発車した。
「どうだった? 家族で過ごした年越しは? 楽しかった?」
「うん、お母さんが、私の好きなすき焼きを作ってくれて、お母さんと真理とお鍋を囲んで……」
食べ物の話をするminaは本当に嬉しそうだ。
例の騒動があってから、食が細くなって、痩せた気がするのだが。
少しずつ、元気を取り戻しているのだろうか。
「あとはね、三人で『絶対に笑ってもいいですよ』を見て……久し振りにたくさん笑ったかも」
「あの番組ね。オレは見たことないけど、結構根強いファンがいるらしいね」
大御所のお笑いコンビをはじめ、色んな芸人が出演している年の瀬の名物番組だな。minaはお笑いが好きだからな。他の二人もそうなのだろうか。
「うん、とっても面白かったよ。カズくんは? ハヤトと、年越し?」
「ああ、龍野ハヤトと、いつも田中とよく行く居酒屋で焼き鳥やビールをつまみながら、年越ししてたよ」
「ハヤトから、さっきメールが来て、楽しかったって言ってたよ」
あいつ、結構マメだな。
「確か、minaが連絡してくれたんだっけ?」
「うん、カズくんが一人で寂しいかなって思って。迷惑だったかな?」
minaは長い黒髪をなびかせて、オレを上目遣いで見つめた。
自慢の黒髪の光沢も、少しずつ、輝きを取り戻してきたように思う。
「いや、そんなことないよ。なんだかんだで、楽しかったかな」
「なんだかんだって、何よ……もう……」
そう言いながらminaは微笑んだ。
そんな話をしながら楽しく時を過ごしていると、新幹線は国境のトンネルを抜け、雪国へと入っていった。
越後の冬は長く厳しい。冬の間は天気は曇りか雪がどちらかだ。
太陽を拝むことなんて、せいぜい一週間に一度有るか無いか。
でも今日はminaを歓迎するように、曇り空の中にも、所々太陽の光が漏れてきていた。
それが、山々に積もった雪に反射して、キラキラと輝きを放っていた。
「わあ、すごい! 雪がいっぱい」
minaが嬉しそうにはしゃいでいた。
「そうか、minaは鎌倉育ちだもんな。雪は珍しいか?」
「うん、これだけの雪って、中学校の時に新潟にスキー合宿に行って以来かな」
「都会の人は、修学旅行とかでスキー合宿するらしいね」
「カズくんは、スキー、できるの?」
「ああ、小さい頃からやってるからな。一応ね。もっとも、最近は行ってないけど」
入行したての頃は同期の連中と、よくスキーやスノーボードに繰り出したもんだ。雪国出身のオレは、その中では上手い方だった思うが。
「じゃあ私にも、いつかスキーを教えてね」
「うん、落ち着いたら、行こうな」
白銀のゲレンデ。ふわふわのニット帽と可愛らしいスキーウェアに身を包んだminaの姿を想像して、オレは少しニヤけてしまった。
オレとminaを乗せた新幹線は定刻通りに新潟駅に着いた。
そこから在来線を乗り継いで、オレの地元の駅へと向かう。
駅前にはレンタカーの店と、タクシー会社と、地元チェーンのコンビニが並んでいるような寂れた海辺の街の駅。
そこから十分くらい歩けばオレの実家だ。
家の隣が、オレの父親が経営する不動産会社の事務所になっているから、敷地は結構広い。
minaは、緊張した面持ちで、オレの実家の玄関を見つめていた。
「カズくん、私……大丈夫かな? どこか、変じゃないよね?」
minaはそう聞いてきた。
今日のminaの服装は、フードの着いた白いダウンジャケットに、グレーの膝丈のスカート。中には紺色のカーディガンを羽織っていて、落ち着いた印象を受ける。
ましてや、minaは可愛らしいし、礼儀もしっかりしている。何の問題もない。
オレがそのように告げると、minaは少し安心したようだった。
彼女を連れて帰ることは、両親には言ってある。
「ただいま」
ガラガラと玄関の引き戸を開けて、オレはそう声を出した。
奥からドタバタと音がして、母親が姿を現した。
「ああ、和弘、お帰り。それと、minaちゃん。寒い中ようこそ。どうぞ、お上がりください」
「ありがとうございます」
オレとminaはすぐに靴を脱いで、佐伯家の居間へと通された。
リビングというより、「居間」という表現がふさわしい、畳敷きに絨毯を敷いた二十畳近くあるスペース。大きいコタツの中に足を入れ、minaと隣合って座った。
もう六十歳近い、太って貫禄のある白髪交じりのオレの父親が、オレたちを迎えてくれた。
「どうぞ、いらっしゃい。minaちゃん。遠いとこ、よく来てくれた」
仕事には厳しいが、客商売をやっているせいか人当たりがいい。
父親と母親の人懐っこい笑みを受けて、minaの緊張も少しだけ和らいだようだ。
「和弘がまさか彼女を連れてくるとはな。しかもこんなに可愛らしい。なあ、母さん?」
「そうですねえ。彼女を連れてくるのは、たぶん、初めてじゃないかしら?」
そうなの? という風にminaがオレの方をみた。
一応、過去にお付き合いをした人はいるが、結局、両親に紹介することはなかったな。
そんな取り留めのない話が続く。
しばし四人で、出されたお茶を飲みながら会話をした。
「それで、二人は、いつ結婚するんだ?」
唐突に、父親が切り出してきた。
「えっ!?」
オレとminaが同時に声を出した。
そして、二人で顔を見合わせる。
「結婚式ならなるべく、五月の田植えの時と、九月の稲刈りの時は外してくれるとありがたい。うちは、農家の親戚が多いもんで」
のんきそうに、そう言う父親。
「向こうのご両親にも、ちゃんとご挨拶に行かないといけませんね」
母親がそう続ける。
minaは突然の展開に戸惑っているようだ。
「あ、あの……」
minaはそう切り出した。
「どうしたんだい?」
「私の噂というか、スキャンダルは、ご存知ですよね?」
minaは深刻そうに告げた。
うなずく、父親と母親。
「なのに、本当に……その、カズくんと、和弘さんと結婚してもいいんですか? あの……ご迷惑では? そちらのご商売に影響が出るのでは?」
「一応、噂は聞いている。テレビでも一時期毎日のように放送されていたからね。最近貴女がテレビに出なくなったのも知っている」
父親は、そう言って一旦言葉を区切った。
「でも、貴女がもし和弘と結婚してくれるなら、私達は祝福するよ。それくらいで取引先と関係が壊れるようなヤワな商売はしてないつもりだ」
父親は、相手に安心感を与えるような柔らかい笑顔を見せた。
父親のこんな表情を見るのは久し振りかもしれない。
「妹に先を越されて、一生独身なんじゃないかと思っていた長男がこんなに可愛らしい彼女を連れてきてくれた。それだけで私達は満足ですよ」
母親がそう続けた。
「あ、ありがとうございます……」
minaはそう言って、瞳を潤ませた。
「さあ、ちょうどお昼時だし、ご飯にしませんか? 地元の鮭の刺し身とイクラもあるから、それで海鮮丼にしようかなと。minaちゃん、お刺身好き?」
湿っぽい空気を変えようとしたのか、母親がそう言って、台所の方へと立った。
「はい、私、お刺身もイクラも大好きです」
minaも嬉しそうに応えていた。
昭和の香りが漂う佐伯家の居間に、なんだか優しい風が吹いた気がした。




