第五十話 友人
そろそろ、忙しい師走の足音が聞こえ始める頃。
minaが歌声を失ってからというもの、minaの仕事は坂道を転がるように減ってしまった。
全国ツアーも中止になった。
C社はこれによって、経営が傾くほどではないが、重大な損害を被ることとなった。
もちろん、紅白歌合戦出場歌手にも、minaが選ばれることはなかった。
minaの仕事が減っていくのに比例して、マスコミの報道も徐々に沈静化していった。彼らも連日、結婚報道だ、熱愛だ、スキャンダルだと追いかけているので、いつまでもminaに張り付いている訳にもいかないのだろう。
minaも日常生活を送る分には、不自由しなくなった。
ちゃんと風呂も入るし、ご飯も以前に比べると少なくなったが、きちんと食べている。
オレも、なるべく時間を作ってminaのマンションに通うようにした。
真由ちゃんや雨宮さんも時たま様子を見に行ってくれているようで、鎌倉から真理と母親も顔を出しているようだ。
岡安さんも、その方がいいと言ってくれた。社長も黙認しているようだ。
言っちゃ悪いが、落ち目のminaに今さら一般男性との熱愛が発覚したとしても大したニュースにはならないのかもしれない。
夜、仕事が終わるとminaのマンションに行く。そして、遅めの夕食をminaと一緒に食べる。
minaの作ってくれた料理は、少し味が濃かったり、野菜が切り揃ってなかったりしたが、それでも、自分の彼女が心を込めて作ってくれた料理はとても美味しかった。
食事のあとは、二人でぼーっとしたり、オレがその日あったことを話したり。特に田中や真由ちゃんのドジ話はminaの食いつきもよい。
テレビは、ほとんど見ない。芸能界の話題ばかりで、minaも辛いだろうから。
minaはお笑いが好きだから、そういうのはたまに見るけど。
帰ろうとすると、minaはオレのスーツの袖口を掴んで
「カズくん……お願い……帰らないで」
と寂しそうに上目遣いで訴える。
そのままminaと口づけを交わし、肌を合わせて、朝、銀行へ出勤することもあった。
minaのクローゼットにオレのワイシャツと、スーツが交じるようになった。
正月の過ごし方の話が出たのは、そんな師走のある夜のことだった。
もう何回目かのminaとの愛を重ねて、minaと取り留めのない話をしていた。
薄暗い、ベッドの中で、オレの右腕にminaの可愛らしい頭が乗って、二人とも何も着ていない。遮るものは何もない。お互いの肌の温もりが間近で感じられる。
「カズくん、年越しはどこで過ごすの?」
「そうだな……銀行は三十日までは仕事だから。いつもだったら三十日の夜の新幹線で、新潟の実家に帰るんだけど」
「実は、お母さんと真理に、年越しは鎌倉の実家に来ないかって誘われてて。カズくんも来る?」
minaは、そう誘ってくれた。
「そんな、せっかくの家族水入らずを邪魔しちゃ悪いよ。三人で過ごしなよ。あと、出来れば……」
「ん? なに?」
「一日の朝、新幹線で一緒に、オレの実家へ行かないか?」
「えっ? いいの?」
「うん、前から年が明けたらminaを連れて行く約束だったし。どうかな?」
「えっ、でも私……こんな状態だし。カズくんの家族が迷惑じゃない?」
「そんな、迷惑だなんて思わないよ。単に自分の彼女を連れて帰るだけだ。うちの親や妹は、世間の噂なんて気にしないよ」
「そっか、だったら良かった。じゃあ、よろしくね。楽しみだな」
minaはそう言って少し笑顔を見せた。
じゃあ、オレは年越しはどう過ごそうかな……
師走の銀行業務は忙しい。企業のボーナス支給のための運転資金の融資。手形の書き換え処理。年末の支払いを見越した新規融資の要請。そのために、急に取引先に呼び出されることもある。
オレが、日々の業務に忙殺されていると、携帯電話に、一本の電話がかかってきた。
で、どうしてこうなるんだ??
十二月三十一日。
いわゆる大晦日。世間では、家族とごちそうを囲んで、共にテレビをみて団欒のひとときを過ごすことが多いと思うのだが。
オレは、もう一人の男と、居酒屋でビールを飲みながら、焼き鳥をつまんでいた。
オレと田中がよく行く、銀行の支店の居酒屋。
味はいいが、壁のシミが目立ったり、テーブルの端が欠けていたりして、少し汚い。少なくとも、デートには似つかわしくない。
オレの前には、そんな店には不釣り合いなイケメンが楽しそうにビールを煽っていた。主演映画も大成功し、年明けには連続ドラマの主演も決まっているモデル兼俳優、龍野ハヤトだ。
「男と二人……寂しく年越しとはねえ……」
オレは少しため息を漏らしながら、ビールを飲み干した。
「どうせ、一人きりだと思ったから、誘ってやったんだ。ありがたく思えよ」
ハヤトはそう笑いながら、ハツの焼き鳥を頬張っていた。
「なんでオレが一人だとわかったんだ? 実家に帰っているかもしれないし、minaと一緒にいるかもしれないぞ」
「minaからメールで聞いた……カズくん寂しそうだから、もし良かったらって」
mina……優しいな。
オレ、友達少ないしな。
い、いや、大学時代の友人は、外交官になって海外に行ったり、外資系企業で世界中を飛び回ったりして、疎遠になっているだけだ。本当だ。
「お前は、ハヤトは、予定とかなかったのかよ? 今をときめくイケメン俳優が」
「俺も、今日から三が日はオフだ。たまには俺だって、こういう居酒屋で、ダチと一緒に焼き鳥でもつまみたい」
店内は、オレたちの他にカウンターに数人だけ。
店のオヤジも、龍野ハヤトを気にかける素振りはない。
たまには、息抜きってやつか。
「ハヤトは、実家に帰らなくていいのか?」
「明日帰るよ」
「実家、どこだっけ?」
「千葉の南の端っこの方。お袋が一人で住んでるんだ。何回か一緒に住もうって誘ってはいるんだが、友人も向こうにいるし、その気は無いみたいだ」
こいつ、意外と家族思いなとこ、あるじゃないか。
「おい、そう言えば、佳奈とメールしてるんだって?」
「お、おう……」
ハヤトは先程の勢いは鳴りを潜め、少し下を向いた。
「言っとくが、佳奈と交際するつもりなら、そう簡単に認めないぞ。佳奈は叔父さん叔母さんから預かっている大事な妹分だからな」
「そ、そんなつもりじゃねえよ」
ハヤトの顔が少し赤くなった。ビールのせいだけでは無いはずだ。
佳奈とハヤトは十九歳と二十七歳で、八歳差か……
「お前って、もしかして、ロリコン?」
「バカ! 違げえよ! 好きな音楽の話とかが合ったから、たまに連絡取ってただけだ」
「それで、アーティストのサインを手に入れて、佳奈に渡したりとか、そんな感じか?」
カマを掛けたつもりだったが、ハヤトは押し黙ったままだった。
図星か!
ハヤトと佳奈。この先どうなっていくのかわからないが、ハヤトは二十歳の時から約七年間、一途にminaを想い続けていた。芸能界で浮いた噂も聞かない。
直情バカだけど、話してみるといいヤツだよな。
取り敢えず、一次審査は合格といった所か。
オレは、友人と呼べる存在と馬鹿話をしながら、minaのスキャンダル騒動で受けた重たい空気を、しばし忘れることができた。




