第三十八話 minaの実家
真理と会ったのはうまくいった、と思う。
次は順番から言うとやはりminaの母親か。
ここで、minaの母親がどんな人物かと思いを巡らすよりは、まずは実際会ってみて、自分の目で、人となりを判断したい。
銀行の仕事だって、現場の企業を回って、実際に担当者と話してナンボだからさ。
支店長を使うべきか? でも、こないだだいぶ脅してしまったからな。
真理にこっそりメールで聞いてみた所、母親は普段の看護師の生活が忙しいのと、人混みが嫌いらしく、鎌倉からほとんど出ない生活らしい。
呼び出すのもなんか気が引ける。
やはりこちらから会いに行くべきか。
となると、minaの実家にオレ一人で行くにはかなり不自然だ。
minaを伴って行くべきだろう。
minaに電話を掛けてみた。
「mina……やっぱりオレ、minaの実家に行って、お母さんにきちんと挨拶したいんだ」
「やだ、私、行きたくない。お母さんになんて会いたくない」
「お願いだよ。minaの生まれ育った場所を見てみたいんだ」
「鎌倉なら、実家に寄らなくても、案内してあげるわよ」
相変わらず、実家のことになると、対応が冷たい。
「それもあるんだけど。実家でお父さんにお線香くらいあげさせてよ」
「お墓の方に行ったらいいじゃない? 私も行きたいし」
まだ、ダメか……こうなったら、切り札を出すか。
「minaとの将来のことさ、オレなりに真剣に考えているんだよ。頼むよ」
「そ、そう……カズくん、私とのこと、真剣に考えてくれてるの?」
電話の向こうで、minaが少し照れている気がする。
「う、うん、もちろんだよ」
結婚をちらつかせるなんて……ああ、なんか最近悪いことばっかりしている気がするな。これもminaのためなんだ。頼む、わかってほしい。
社長が言う、「minaと結婚できない理由」なんてオレにはまだわかってないんだ。
でも、これだけははっきり言える。オレはminaに、家族とちゃんと向き合って欲しい。家族との絆を取り戻して欲しい。そのためだったら……
「わかったわよ。少しだけよ。すぐに帰るから。あと、そのあと鎌倉デートね」
「でも、お忍びだよ。そんなに人の多い所には行けないよ」
「わかってる。ちゃんと変装もするし」
真理から母親がいるであろう時間を聞き出し、minaとスケジュールを調整して、週末、オレはminaと一緒に、minaの生まれ育った家にいくことにした。
真理が言うには
「お母さんは、夜勤明けだから、家にいると思う」
まあ、要するに、アポなしってやつだ。
下手に電話でもすると、向こうも警戒して、会ってくれないかもしれない。
minaの実家は、北鎌倉の駅から山手の方に十分ほど歩いた所にあった。
この辺りは、観光客も少なく、閑静な住宅街になっている。
坂沿いに、家々が連なっていて、周りの山にひっそりと溶けこんでいた。
築二十年、いや、もう少し経っているだろうか? 二階建ての白い外壁に青い屋根の建物。門柱は少し錆びているが、よく手入れのされた庭木、
表札には「草橋」の文字。あっ、minaの名字って草橋なんだよな。草橋支店長の姪だから、まあ、当たり前か。
時刻は朝九時。お母さんが夜勤明けでそのまま、寝てなければよいのだけど。
minaと顔を見合わせて、玄関の方へと向かった。
引き戸を開けると、ガラガラと音がする。
「た、ただいま」
ぼそっと、minaがつぶやいた。
その様子からも、あまり乗り気でないことがわかる。
しばらくして、五十代前半くらいだろうか? 小柄でショートカットにパーマを当てた女性が、家の中からこちらへやってきた。
化粧っ気のない女性の顔にはしわが刻まれていたが、目元はminaや真理によく似ていた。
若い頃は、たぶん美人だったんだろう。
「あっ、あんた……」
女性は、minaとオレの方を見てしばらく固まっていた。
「おはようございます。突然の訪問失礼します」
オレはそう言って、丁寧に頭を下げた。
女性は、誰? っという風に、minaの方を見た。
「あ、あの、この人は……」
minaの声はうわずっている。
「minaさんとお付き合いをしています、佐伯と申します。本日は、ご挨拶にお伺いしました」
女性はオレの方をぼんやりと眺めた。
「まあ、上がって。散らかってて悪いけど」
「失礼いたします」
オレはそう言って、靴を脱いだ。
廊下を通り、リビングに通される。
気になるほどでもないが、少し散らかっているかな。
少しへたっているソファー。そこに座るように促された。
minaはオレの隣。小さなテーブルを挟んで、母親と向かい合う。
「悪いけど、夜勤明けでね。こっちも疲れてるんだ。話なら、手短に頼むよ」
母親は確かに、疲れているように見えた。
「言われなくても、すぐに帰るわよ」
minaがふくれっ面をして母親の方をみた。
すでにケンカ腰か……弱ったな。
「申し訳ありません。急に押しかけて……東和銀行で働いております、佐伯と言います」
オレはそう言って、名刺を母親に渡した。
彼女の両親にきちんと挨拶なんて、初めてだから、勝手がわからない。
とりあえず、普段取引先にするような感じでいいよな。
さすがに服装は、スーツではなく私服だけど。一応カジュアルなジャケットを着て、小奇麗にはしたつもりだ。
一応、手土産として、こないだminaにも好評だったパウンドケーキを差し出した。あれは日持ちもするし、真理もいるから食べてくれるだろう。
母親は、オレを頭のてっぺんからつま先までじっーと見つめていた。
夜勤明けで眠いのか、あるいは値踏みされているのか?
「東和銀行? ずいぶんとお堅いのを連れてきたね」
「カズくんは、○○大学を出ているの、すっごく頭がいいんだから」
minaはそっぽを向いたままそう告げた。
おいおい、それは、褒めすぎだ。
「なんだい、あんたもそろそろ芸能界なんて浮世草みたいな仕事は辞めて、身を固める気にでもなったのかい?」
母親は、かすかに笑ってminaの方を見た。
「そんな、今のお仕事は、やめないわよ」
「そうかい? 勝手にしたらいい。今までだって好き勝手してきたんだから」
「言われなくてもそうするわよ」
なんか、ここまでキツイ言い方のminaを見たのは初めてで。ちょっと怖い。
「まあ、紅白に一回出たくらいで調子に乗っているようじゃ、先が思いやられるね」
「なんだ知ってたの? 私が紅白出たの?」
「いくら芸能界にうといあたしでも、それくらい知ってるよ。もっとも大晦日も病院の夜勤が入っていたから、見られなかったがね」
「なっ、なんで……見てないの?」
minaは驚くと同時に、少し悲しそうな顔をした。
確かに、いがみ合っているとは言え、腹を痛めて産んだ実の娘だ。
その娘の晴れ姿を……、仕事なんてほっぽり出して見るもんじゃないのか?
「あいにくと、真理の学費を稼ぐので忙しいんでね。誰かさんが仕送りしてくれないお陰で」
「そんな……最初に要らないって言ったの、そっちじゃない!」
「そうだったかね……忘れちゃったよ。ところであんた、事務所移ったんだって?」
「そうよ。C社。社長は☓☓さん。移籍する時はカズくんも頑張ってくれたの」
母親はminaの発言を聞いて一瞬、表情が止まった気がした。
しかし、そのあと、母親はまた皮肉を言った。
「まあ、前の弱小事務所よりは良さそうじゃないか。もっとも、娘を預けているのに、C社っていうのは挨拶にも来やしないんだね」
「そんな、社長さんも、マネージャーの岡安さんも忙しいのよ。こんな所に、挨拶なんて来こないわよ」
minaと母親が口喧嘩をしている間、オレは手持ち無沙汰なので、リビングを見渡していた。
脱いだままの洋服が、二、三枚落ちている。キッチンの上には雑誌が乱雑に置かれ、ダイニングテーブルには、飲んだ後なのだろうか? マグカップがそのまま置かれている。
ん?
オレはかすかな違和感を感じた。
なんだろう……取引先の粉飾決算を見破る前のような。
小さな引っ掛かり。
もう一度、目を凝らしてみよう。
脱いだままの洋服、これは当然女性ものだ。柄からして、年配の女性のもの。母親のものか。まあ、夜勤明けだって言ってたし、これくらいはやむを得ないだろう。
次は、キッチンのカウンターに積まれた雑誌。女性ファッション誌、これは真理が読んでいるのだろう。その下……
わかった!
minaが表紙を飾った男性ファション誌、『スマート』がある!
キャップを目深にかぶり、だぼっとした白いTシャツを着て、カーゴパンツに茶色いブーツ。ストリート系のファッションに身を包んだminaが、ポーズを決めている表紙。
あの仕事は思い出の仕事だがら、オレもよく覚えている。もちろん、雑誌も家に大事に保管している。
なぜ? それが草橋家に?
あのあと、minaの妹の真理と何回かメールのやり取りをしたが、minaの話題を草橋家で出すのは、半ばタブーらしい。初めからいない存在、そんな感じらしい。
真理が雑誌を買っていたとしても、母親の目に着く所には置かないだろう。
とすると、なぜ?
オレは目の前でminaに対して、悪態をつく、minaの母親の正体が知りたくなった。




