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第三十七話 あなたとなら……

 真っ昼間の歌舞伎町のラ○ホテル街。

 曇り空のためか、立ち並ぶ建物が日を遮るせいか。

 どこか薄暗かった。


「ねえ、どこにする?」

 真理は二十二歳にはとても思えない妖艶な笑みで、オレに向かってささやいた。


「ど、どこって??」


「決まってるでしょ。中に入るのよ。もしかして、今さらビビってるの?」

 真理は、minaと同じような顔つきでオレの方を少し睨んだ。


「今更って、元々そんなつもりじゃない。ホテルのラウンジか喫茶店で話すのかと思ってたし」


「あら、男と女が行くホテルなんて、一つに決まってるじゃない」

 真理はオレの腕を絡めたまま、さらに柔らかい体を押し付けてきた。


「ま、まずいよ。そんなこと、するわけないだろ」


「初対面の異性が分かり合うのは、するのが一番手っ取り早いと思うけど。ほら、あれって人間性でるし」

 真理のつけている、大人っぽい匂いの香水が、間近で香る。


「ダメ、絶対ダメ。とにかく、場所を変えよう」

「ふーん、そう来るか……」


 真理は素早くスマートフォンを取り出すと、オレと真理の前に画面を出して、カメラのシャッターを切った。


 カシャッと小気味よい音がした。画面には困惑するオレと妖しい笑みの真理、そして背景には「休憩 二時間 三千円」のでかでかとした文字。


「ちょ、ちょっと待って。何するの?」

「この写真、お姉ちゃんに送っちゃおうかなぁ? 今からホテルなう、なんて」

 真理はイタズラっぽい笑みを浮かべた。


「待て! それは……だめだ」

「じゃあ、私と一緒に中に入ろうよ。ホテルの部屋でお話すればいいじゃん。お姉ちゃんには絶対内緒にしてあげるから」


「そんなこと……するわけない……」


 困惑するオレの耳元で真理はそっとささやいた。

「お姉ちゃん、奥手だから、お兄ちゃんも不満でしょ? 私、経験豊富だから、○○○とか、△△△もしてあげるよ」


 それはいずれも、オレが映像の世界でしか、知らないことだった。

 なぜかminaの姿で、その映像が、鮮やかな美しい肢体が、頭の中で再生されて、オレはごくりと唾を飲み込んだ。


「あなたとなら☓☓☓☓☓、もしてあげる」

 扇情的な艶っぽい声、そして甘い香水の香り……


 オレの気持ちが、どんどん高まってきて

 オレの脳が、しびれていく……

 ダメだ……、誘惑に負けては……


 オレは、大きく深呼吸をした。


「いや、ダメだ。この場所を出よう!」

 真理の腕を振りほどいて、きっぱりと、オレは宣言した。


「じゃあ、いいの? この写真、お姉ちゃんに送るよ。エッチなコメントつきで」

 真理はオレの方に向き直って、口元に笑みを浮かべた。

 

 どうする? どうしたらいい?

 

 えっーと、厄介な難題を押し付けてくる取引先には、どうしたら。

 なんとか、この場を切り抜けるんだ。

 でも、どうしたら……



 そうだ、これしかない!!


「いいよ。minaに送ればいい!」

 力強く、オレはそう宣言した。


「あなたってバカ? ほんとに送っていいの?」

 真理はスマートフォンのボタンに手をかけた。

 しかし、送信する気配はない。


「なんだ? 送らないのか?」

「今、送ってあげるわよ」

 真理は、オレの方をキッと睨んだ。でも、スマートフォンを持つ手はそのままだ。


「なんだ? 真理がやらないなら、オレがボタンを押してやろうか?」

 逆に、こちらから攻撃を仕掛ける。

 どうだ?


 十数秒のにらみ合いののち……


「わかったわ、私の負けよ」

 真理が残念そうに肩を落として、スマートフォンをカバンにしまった。

 

 ふう、もちろんハッタリだったが、なんとか効いたか……


「お姉ちゃん、いい彼氏を持ったね」

 ポツリと、真理がつぶやいた。


「なんだ、試したのか? オレを?」


「それもあるけど、別にお姉ちゃんから取っちゃってもいいかな、なんてね」

 真理はオレの方を向いて微笑んだ。少し、寂しそうな、笑み。


「それは、怖いな、でも、なんで?」

「なんでかな……思ってたよりカッコ良かったから。それにね……」


「それに?」

「なんかね、お父さんに似てるのよ。顔は全然似てないんだけど、雰囲気とか、仕草がね。お姉ちゃんがあなたを好きになる理由が、なんとなくわかった」


「そうなんだ。似てるのか……オレ、minaのお父さんに」

「うん、そうね……そんなことより……」


「ん? なに?」

「あなた、もし私が本当にお姉ちゃんに写真を送ったら、どうするつもりだったの?」


「オレとminaの絆は、そんなことじゃ崩れないはずだ。まあ、お互い裸の写真ならともかく、まだ言い訳きくかな、とかね」


「えー。お姉ちゃん嫉妬心強そうだからなあ。わかんないよ?」

 そう言って、真理はニヤッと笑った。


「その時は……土下座してでも、すがりついてでも、minaに弁解するよ」

「ふふっ、あなたって、面白いね」

 屈託のない笑み。やっぱりこういう表情の方が、真理も可愛いんじゃないかな。



 オレと真理はホテル街を後にし、ゆっくりと歩いた。

 しばらく歩くと、歌舞伎町の小さな公園が見えてきた。

 飲食店に囲まれた、滑り台とブランコと、あとは薄汚れたベンチだけの、そんな公園。ベンチに、オレと真理は並んで腰掛けた。


「ほんとはね、私、羨ましかったんだ。お姉ちゃんのこと」

「え? そうなの?」

 minaは、真理が優等生で、友達が多くて、母親からの受けが良くて、劣等感を抱いていたみたいだが。


「自分のやりたいことをやって、夢を持って、そして叶えて」

 真理もまた、自分の姉のことをそういう風に思っていたのか。

 姉妹がお互いに持つ劣等感。そして、すれ違い……


「私、ホントはね。アイドル歌手になりたかったの」

「そ、そうだったんだ」


「お姉ちゃんには絶対内緒よ。ほんとは芸能界で成功したお姉ちゃんに頼み込んで、事務所紹介してくれないかな、とか考えてたんだ」


 真理が、思い出すかのように、少し遠くを見た。

 その仕草は、minaが夢を語る時の表情に似ていて、オレはドキッとした。


「でも、なんで? 諦めたの?」


「お母さんの期待を、裏切れなかったからかな」

「そうか、辛かったんだな……」


「この話をしたの、あなたが初めてよ。いいな、優しい彼氏で」

「そんなことないよ。いつも、失敗ばかりだ」


「大学に入ってから、反動で、お母さんの目を盗んで結構遊んでて、私ね、やっぱり年上の男性に惹かれちゃうの……ファザコンなのかもね。でも、何人もの人と付き合ったけど、でも、結局満たされなかったな」

 真理が、ふと寂しそうな目をした。


「そうか……でも、真理はとっても素敵だから。必ずいい人に巡り会えるよ」


「なんか、ありきたりな励ましね。でも、あなたが言うと、少しそんな気分になる」

「本当に、そう思ってるんだけどね」


「ふふっ、ありがと。私があそこまでして、堕ちなかった男って、あなたが初めてよ」

「いや、実際かなりヤバかった……本丸は無事だったけど、外堀と大手門くらいは破られてたね」


「何よそれ? 変なの……」

 そう言って、真理はまた笑ってくれた。


 しばし、オレと真理の間に、心地よい沈黙が流れる。

 

「あなた、お母さんとお姉ちゃんの関係、どうにかしたいんでしょ?」

「うん、なんとか方法がないかなって」


「じゃあ、出来る範囲で協力してあげる」

「ほんと? ありがとう! 真理」


「あと、二、三回、私とデートしてくれたら、全面協力してあげるけど」

 真理はそう言って、さっきみたいな妖艶な笑みを見せた。


「いや、やめとくよ。真理の魅力に、メロメロになりそうだから」

 オレも本命のminaが相手でなければ、そんなことも言えるのだ。


「あら、あなたって、案外女性を泣かすタイプかもね。陰で泣いてる女の子、結構いるかもよ」

「そんなことないよ」


「ふふっ、じゃあ、私そろそろ行くね」

「ああ、どうもありがとう、真理」


「お姉ちゃんをよろしくね。頑張ってね『お兄ちゃん』」

 真理はそう言って、ベンチから立ち上がった。

 そして、姉と同じように、可愛らしくオレに手を降ってくれた。


「ああ、そうそう、私、東和銀行の内定もらったの」

「ええっ!」


「春からよろしくね。同じ支店になったりとかしてね。じゃ、バイバイ」


 そ、そうなんだ……銀行の後輩になるとはね……

 雨宮さんに次ぐ、東和銀行の新たな核弾頭の誕生か?

 ゆっくりと去っていく、小柄な真理の後ろ姿を眺めながら、オレはそんなことを思っていた。

 



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