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幕間 ー雨宮綾音の恋愛事情ー

 雨宮綾音あめみやあやねは、九州福岡の裕福な家に育った。

 父親は、商都博多に本社を置く全国的にも有名な企業の社長で、母親は忙しい夫を懸命に支えていた。

 兄が一人。もちろん父の会社を継ぐ予定だ。


 雨宮は、今の外見とは想像もつかないが、幼い頃からお嬢様教育を受けて育った。

 いずれは、同じような裕福な家庭に嫁ぐ。そう信じて育てられた。

 そのために必要な技能を幼い頃から叩き込まれた。

 ピアノ、バレエ、茶道、華道、礼儀作法……などなど。


 彼女自身もそのことを特別だとは思っていなかった。

 私もいずれは母親のように、立派な家に嫁ぎ、忙しい夫を支え、子供を育てる。

 そのように彼女は考えていた。



 転機が訪れたのは、彼女が高校に上がってからだった。

 雨宮は中学校から、地元のお坊ちゃんお嬢さんが通う私立中学に通っていた。

 高校からは外部から進学してくる者が一定数いる。


 雨宮はすらりとした長い手足。きれいな黒髪。清楚な顔立ち。誰とでも分け隔てなく接する素直な性格から、中学の頃から異性の目を惹いていた。

 高校に入ると、ますますその人気は上がった。


 高校に入って数ヶ月後、雨宮は一人の男子生徒に告白された。

 スポーツができて、顔立ちが整っていて、女子生徒からの人気も高い男子。

 しかし、雨宮はあまり話したこともなく、好意もない男性とお付き合いすることは想像できなかった。

 だから、丁寧に、お断りをした。


 雨宮が男子生徒を振った、その噂は瞬く間に学校中に広まった。

 しかも色々な尾ヒレがついて、だ。

 女子の中心グループの一人が、男子生徒の

方に好意を抱いていたらしい。

 「あいつは可愛いからと言って調子に乗っている」

 裕福な家庭の子供が集まる学校でも、イジメはあるのだ。

 雨宮は、次の日から、クラスから無視されるようになった。


 イジメは陰湿になっていった。

 机への落書き、持ち物を隠される、教科書を破かれる。画鋲を上履きに入れられるなんてこともあった。想像つく限りの、ありとあらゆることをされた。

 中学の時からの雨宮の友達も、ただそれを見ていることしかできなかった。

 中心グループの女子は、かなりの影響力を持っていた。


 雨宮は、学校に行けなくなった。

 家の自室に引きこもり、音楽を聞いたりして過ごした。

 両親は何度も理由を尋ねたが、雨宮は黙っていた。

 言えば、両親に心配をかける。

 自分が弱い人間であることを認めることになってしまうのではないか。

 彼女の中にはそんな不安があった。

 習い事にはちゃんと通っていたが、全く身が入らなかった。



 一ヶ月ほどが経った、晴れた日のこと。

 夏の日差しに誘われて、雨宮は久々に外に出た。

 久し振りに、辺りを散歩した。

 

 少し遠くまで歩いてみると、空手道場があった。


「キミも強くならないか!」


 道場の壁にはそんな文言が書かれ、空手着で蹴りを繰り出す筋肉質な男性のポスターが貼られていた。


 強くなる……

 そうだ、私に足りないのは強さだ。


 雨宮は両親を涙ながらに説得し、道場への入門を決めた。


 最初に老師に言われた言葉が、今でも印象に残っている。

「まず自分のために、強くなりなさい。そのあと、誰かを守るために、強くなりなさい」

 

 雨宮は再び学校に通うようになった。

 女子の中心グループは相変わらず無視をしてきたが、雨宮は気にしないことにした。

「まず、自分のために……強くなる」

 雨宮の毅然とした態度は、徐々にクラスの雰囲気を変えていき、中学からの友達も彼女に話しかけてくるようになった。


 雨宮は変わった。以前は外観からも、どこか折れてしまいそうな弱さがあったが。背筋がよりピンとして、動作にもさらに落ち着きが見られるようになった。


 両親は地元のお嬢様大学への進学を熱望していたが、雨宮はそれを振り切り、東京の大学へと進学した。



 新歓の時期。雨宮はテニスサークルにでも入って青春を謳歌しようと思っていた。しかし、新歓コンパでは軟派そうな先輩達から散々声をかけられ、雨宮は嫌気がさしてきた。

 

 まあ見るくらいならと、大学の空手道部にも見学にいった。

 道場は、活気にあふれていた。


 三年生の空手着を着た熊みたいな男子学生が、雨宮を見ると声をかけてきた。

「キミも入部志望?」

「いえ、まずは見に来ただけなのですが……」

「やりたいのは選手? それともマネージャー?」

「できれば、選手として……でも、無理ですよね? 私はあの人達みたいに強そうじゃないし、なんの実績もないし」

「いや、自分を高めようという気持ちがあれば、歓迎するよ!」

 男子学生はそう言って微笑んだ。


 自分を高める……?

 私はここで、もっと強くなれる?

 誰かを守れるようになる?

 結局雨宮はテニスと爽やかな青春を放棄し、道着と汗にまみれることを選択した。


 大学の体育会の部活はレベルが高い。高校で実績を挙げた猛者が続々と入部してくる。華奢な雨宮は何度も道場の床に転がされた。

 今からでも遅くない、マネージャーに転向しては?

 そう勧める先輩もいた。

 でも、雨宮は諦めなかった。

 私は、もっと強くなりたい。

 誰かを守れるようになるまで。

 部員が帰ったあとも、遅くまで自主練をした。

 熊みたいな男子学生は、よくそれに付き合ってくれた。


 新しく部長になった熊学生と月並みな恋愛もした。

 甘いデート、初めてのキス、手を繋いで一緒に帰り彼の部屋で過ごす、誰にでも優しい彼に嫉妬……など。

 結局、彼が遠方で就職してしまい、別れてしまったが。


 雨宮のひたむきな努力は実を結び、彼女は大学三年生の時、ついにレギュラーになり、大学選手権の団体戦で三位になった。

 このころになると、雨宮は面倒見のいい姉御キャラになっていった。後輩をまとめて守ってやろうとそんな風に考えていた。どこか頼りなかった視線は、不良も逃げ出すレベルになり、ヘンな下ネタも覚えた。


 雨宮は空手に打ち込んでいたので、就職のことはあまり考えていなかった。

 大学の先輩が東和銀行を受けてみては、と勧めたので試しに受けてみたら、すんなり最終面接まで行った。

 銀行も刺激的な感じがするし、悪くないかと、あっさり入行を決めた。



 銀行に入ったあたりから、雨宮はどうやら自分の容姿が人に比べて少しだけ優れているらしい、ということに気づき始めた。まだ社会人としては初々しかった雨宮は取引先からは気に入られたが、上司からのセクハラもあった。

 雨宮は毅然とした態度で、二人を病院送りにし、三人を空気の新鮮な勤務地に送り込んだ。


 おかげで妙な噂がたった。

 あいつは役員全員と寝ているから逆らうととんでもない目に合う、とか。

「そんなわけないだろ、だいたい、あたしはオヤジは趣味じゃない」

 と雨宮は思ったのだが、噂は勝手に一人歩きしていた。


 上司にも歯に衣着せぬ雨宮は、次第に煙たがられ、転勤するごとに場末の方へと追いやられていった。

「まあ、でも、お客さんからは気に入られているからいいか」

 と雨宮は開き直っていた。女子行員だから、頭取になれるわけでもないし。


 どうせ、心無い上司からの評価は最悪なので、雨宮は自分がやってみたかった服装で出勤してみた。

 ミニスカート、セクシーな黒タイツに、ハイヒール。お堅い銀行員らしからぬ服装だ。

 取引先からの評判は良かった。

 ついでにセクハラ上司を見分けるリトマス試験紙としても、役立った。 


 両親はしきりに九州へ帰ってこい、とか、地元で見合いをしろと言ってきたが、雨宮は上手くあしらっていた。

「あたしには、東京の自由な暮らしの方が、性にあっている」


 そんな雨宮の元に、一人の男性行員が現れた。佐伯和弘だ。雨宮も同期から噂は聞いていた。「将来の頭取候補」、「企業再生の魔術師」そう呼ばれていた男。

 だが、目の前の佐伯はとてもそんな風には見えず、どこか虚ろな目をしていた。


 かつて、イジメられていた自分と同じ瞳。

 いや、それ以上の深い悲しみを抱えているのでは……

 あたしが守ってやった方がいいの?

 雨宮にはよくわからなかったが、彼女は草橋支店長と一緒に、何かと佐伯の世話を焼いた。



 一年半ほど前、雨宮は初めてminaに出会った。

 最初は単なる好奇心だった。草橋支店長の姪の芸能人。いったいどんな女の子なんだろう?


 minaは初めから積極的に佐伯にアタックしていた。雨宮だって女性だ。そのくらいの勘は働く。minaはいつでも真っ直ぐで、銀行にはいないタイプだった。真由は純粋な方だがそれでも世間に毒されているところはある。


 もしかしたら……minaなら、佐伯を変えられるかもしれない。


 守るというのは、単に物理的に相手を外敵から守ることではない。

 その人を信頼して、自立させてやることなのだろうか?

 雨宮は、minaから多くの事を学んだ気がした。

 そして陰ながら、minaと佐伯の仲を応援するようになった。


 minaの前の事務所、上原プロの再建騒動。

 雨宮も、佐伯を立ち直らさせるチャンスだと考えた。

 佐伯はminaの影響か、積極的にリーダーシップを取り、以前の輝きを取り戻しているように見えた。


 そして、バレンタインデーの夜。

 minaが妙にそわそわしながら、佐伯に話しかけていた。

 minaは今夜決める気だな。

 雨宮は佐伯を促した。


 ふと、マネージャーの岡安と目があった。

 そういや、今日はバレンタイン。取引先にバラ撒いたチョコレートがまだ残っていたな……。

 雨宮はカバンを探って、岡安に手のひらサイズのチョコを渡した。

「三倍返ししろよ!」

 そんな可愛げのないセリフを言って。


 岡安は二週間後くらいに、この間のお礼をと言って食事に誘ってきた。

 三倍どころか、やられたらやりかえす百倍返しだ。


 食事中はほとんど雨宮が喋ってきた気がするが、無表情な男と喋っている割に気分が乗ってきた彼女は、岡安をバーに誘った。


 バーで隣合って喋っていると、岡安は時折、自分の話をした。


 かつて大手の商社に勤めていたこと。上司とぶつかって退職したこと。職を何回か変えて、芸能プロダクションに落ち着いたこと。芸能人の卵を育てるのが、大手商社で商品を売り込むのと同じくらいやりがいのあること。そして、minaの才能に惚れ込み、ライブハウスに何度も通い、minaを口説き落としたこと。minaと二人三脚で歩んできた夢の軌跡。


 こいつ、無表情で無愛想なだけだと思ってたけど、案外いい男じゃん。


 雨宮は岡安のことをもっと知りたくなった。

 彼を何回か飲みに誘った。彼は無愛想なくせにメールは丁寧だった。岡安と会う時は念入りにメイクをした。次に会う約束をして、にんまりしている自分がいた。

 

 あたしも、minaの影響か……恋を……している。


 自分の気持ちに気づくとあとは早かった。

 即断即決がモットーの彼女は次のデートで岡安に告白した。

 岡安は最初渋ったが、雨宮の熱意に負けてOKを出した。

 その日のうちに一夜を共にし、

 二ヶ月後、雨宮の逆プロポーズで、二人は結婚を約束した。


 あたしは、ダーリンを守ってやりたい。

 彼からも、守られたい。


 こうして、かつての老師からの教えは、雨宮の中で昇華した。

 雨宮は守るべき者を得て、幸せを掴んだ。

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