第十五話 応接室の逢瀬
銀行の応接室というのは、支店によって異なるが、高級感とまではいかないが、嫌みのない程度に特別感を出しているところが多い。
応接室に入れるのは特別な客。
ここまでいい雰囲気のところに招かれているのだから、自分は特別な客なのだ……
だから契約書にハンコ押しちゃおうかなとか、クレームで来たけど許してやろうかな、とお客に思わせる程度に、そこそこ立派な造りをしている。
うちもしがない場末の支店だが、革張りのソファーに、重みのあるテーブル、壁際の台の上には高そうな(取引先から貰うことが多い)時計が置かれていたりする。誰が描いたのかわかんないような絵も、一応立派に飾られているし。
オレは入口の札を「使用中」にして、
minaを伴って中に入った。
ふう……やっと、一息ついた。
「大丈夫、ここならたぶん誰も来ないから」
オレは、優しく声を掛けたつもりだったが、minaはまだすすり泣いていた。
サングラスの間からも涙が伝っているのが見える。
minaはオレの方を見ると、ゆっくりと、サングラスと、マスクを外した。
目が赤く腫れている。悲しそうな表情。
顔が、少しやつれている。痩せたか?
ちゃんと、ご飯食べているのか?
髪も所々ほつれていて、弱々しい印象を受ける。
「カズくん……会いたかったよお!」
minaはそう言って、オレの胸に飛び込んできた。
薄手のコート越しにも伝わってくる、minaの感触。
オレの好きな、minaの香り。
「どうしたんだ? 急に? ビックリしたよ」
オレは驚いたが、minaを抱きしめた。
「ごめんね……本当にごめんね……」
minaはまた、涙を流し始めた。
「泣いててもわかんないよ……mina、もう、minaはオレのことなんて……どうでもいいのかと思っていたよ」
オレは、本音を漏らした。
「ちがう、ひっく、ひっく……、私は……カズくんだけ……」
minaはしゃくりながら、必死で声を出しているようだ。
「じゃあ、なんで?」
「わからない。ひっく……映画の顔合わせまで、ハヤトが……龍野ハヤトが私の元カレだって気付かなかった……それで、その後もう一度やり直そうって言われたんだけど、私はきっぱりと断った……それなのに……」
てことは、今回の件は、やっぱりハヤトが一人で騒いでいるだけってことか……
「カズくん、愛してるよ」
「オレもだよ……mina……」
オレは、恋人を優しく慰めるように、minaの背中をさすった。
「カズくん、なんか……体……ガッシリしてきたね。ジム……続けてるんだ」
「う、うん」
minaに褒められると素直にうれしい。
「カズくんにギュッとされると、安心する」
minaはそう言って、さらにきつくオレにしがみついてきた。
「minaは、少し痩せたんじゃないか? ちゃんとご飯食べてるか?」
「それ、私がよく言ってたセリフ……ありがと……今日から、ちゃんと食べるよ」
minaは少しだけ笑ったようだった。
「約束だぞ」
「うん、……カズくん、私、辛かったよ」
いつもは元気一杯のminaが、本音をもらした。
「映画の撮影の現場でも、みんながハヤトと私を祝福モードで、でも、ハヤトとお芝居しなくちゃいけなくて……岡安さんも忙しいみたいで……本当にひとりぼっちだった……」
「そっか……オレは、雨宮さん達がいたけど、minaは……一人だったんだな」
「情報が洩れるかもしれないからって、電話やメールもできなくて、ごめんね」
「いや、いいんだ」
「真由ちゃんのメールにも、すごい励まされたよ。だから、何とか私、今までやってこれた……でも、もうカズくんに会いたい気持ちが抑えきれなくて、事務所の人の監視を巻いて、電車に飛び乗ってここまで来たの……本当に、会えてよかった」
そうか……minaの行動力、凄いな!
もっと、オレも強引に、なんとしても彼女に会いに行けばよかったかな。
なんか、疑ったりもしたし、悪いことしたな。
「mina……こっちこそ……」
オレが言いかけようとしたその時、minaの口がオレの唇をふさいだ。
そのまま、優しく、口づけを交わす。
胸の奥が、ジーンとしびれるような感覚。
甘く……切ない……キス……
どれくらいの間、そうしていただろうか。
minaの体がオレから離れて……ようやく、微笑んだ。
夢にまで出てきた、愛する人の笑顔。
オレも、ようやく、ほっとした。
「変装しようと思って、コートも着ちゃったんだよね」
えへへと笑いながら、minaはコートを脱いだ。
白い半袖のサマーニット。ひざ丈の紺色のスカートというシンプルな恰好だ。
まあ、minaが着れば、何でも似合うんだけど。
「ねえ、もっと、ギュっとして……」
身長差がある分、オレが彼女を見下ろす形になる。
上目遣いで、瞳をキラキラさせてのおねだり、相変わらず反則だ……
オレは、もう一回、minaを抱きしめた。
さっきより薄着になった分、よりminaの体温が近くに感じられた。
オレもワイシャツだけだし、結構密着している……
また……いや、さらにドキドキしてきた。
オレはたまらず、minaの唇を奪った。
何度でも味わいたい、感触。
このまま……ずっと……
ふいに、minaが唇を離した。
少し、残念な気持ちになる、オレ。
すると、minaは……
オレを潤んだ瞳で見つめたあと
一瞬視界から消えて……
「ねえ、もっと、激しく……して」
オレの耳元でささやいた。
脳がとろけそうな……透き通った甘い声。
さらにオレのスイッチが入って
minaと、舌を絡ませた……
お互いを求め合うように……
激しく、抱きしめ合う。
華奢なminaの、柔らかい感触を確かめる。
もっと、さらに、激しく……
minaが……欲しい……
このまま、劣情に身を任せそうになったが……
それをなんとか、オレは押し留めた。
銀行内でこれ以上のことをするわけにもいかない。
minaもちょっと照れながら、体を離して
「激しかった……カズくん……うれしかったよ、私……」
「う、うん、オレも、すごいドキドキした」
まだ心臓がバクバクいっている。
「もう少ししたら、落ち着くと思うって、岡安さんが言ってたから……」
minaは名残惜しそうな顔をした。
「早く、そうなって欲しいな」
「だから、そうなったら、今日の続き……しようね」
「う、うん」
オレはだんだん冷静になってきて、今度は耳まで真っ赤になった。
minaも恥ずかしさを隠すように、再びサングラスをして、マスクをつけた。
二人で応接室を出ると、minaは小さく手を振って、去っていった。
守ってやりたくなるような後ろ姿。
オレは、追い掛けて彼女をもう一度抱きしめたくなるのを、必死でこらえた。




