第十話 -mina視点ー 元カレ
ーmina視点ー
映画の初顔合わせのあと、もはや深夜と呼んでもいいくらいの時間帯。私は送っていくという岡安さんの申し出を強く断って、少し離れた公園への道を急いていた。
久しぶりに再会したハヤトに、どうしても二人で話がしたいと言われ、私は乗り気がしなかった。
でも、こういう問題? は早めに解決しておいたほうがいい気がして、私は人気のないオフィス街を足早に歩いていた。
全く、こんな人気のない所を乙女に歩かせるなんて。
カズくんなんかこないだ久しぶりに会った時も、私の住んでいるマンションと反対方向の路線なのに、電車に一緒に乗ってくれて、私のマンションの近所まで送ってくれた。
minaの身に何かあったら、ファンのみんなに申し訳ないからだって。
私が、深夜でもいいから会いたいよってワガママを言っても、深夜、minaがオレの所まで出歩くのは危ないし、オレがminaのマンションに行って、スクープ写真でも撮られたら困るだろ。って優しく諭された。
ハヤトは昔もそうだったけど、そういったデリカシーがないのだ。
ハヤトは、世間一般で言うところの、私の元カレ。
さっき再会した時にはびっくりしたなあ。
下の名前は「隼人」と「ハヤト」で一緒だけど。
「龍野」ってどこから取ったのよ?
もっとありふれた苗字だったじゃない?
お互い二十歳の頃、私とハヤトが初めて出会ったのは、下北沢の小さな小さなライブハウス。
ハヤトは今の活躍からは想像つかないけど、ロックミュージシャン志望で、四人組バンドのギターとリーダーを務めていた。
そういえば、当時も髪を金髪とか、青色に染めていた時もあったような気がする。
当時、私は自分の夢の一番の理解者だった父親を病気で亡くし、悲しみにくれていた。
高校を卒業して、東京でバイトをしながら声楽とギターのレッスンを受ける。その合間に路上で一人ミニライブをしたり、レコード会社にデモテープを持ち込んだり、ライブハウスの出演交渉をしたり、そんな下積み生活を続けていた。
父親が健在のころは、鎌倉の実家にたまに顔を出していたのだけど。
父親が亡くなってからは、母親は今からでも遅くないから大学へ行けとか、安定した仕事につけとか、すぐに小言をいう。五つ年下の妹は私と違って、勉強もできて、友達も多くて優等生だったから、もはや私は家には居場所はなくて、家出同然になっていた。
そんな、ぽっかりと空いた心の隙間に入り込んできたのが、ハヤトという存在だった。
ハヤトは、バンドで成功してビックになりたい!とか、いつか武道館を満員にしてライブをやる! とか夢を素直に語っていた。
私も憧れのシンガーソングライター、女性歌手のAさんみたいなアーティストになりたいって大きな夢があった。
私たちは、お客さんが引けたあとの、がらんとした薄暗い小さなライブハウスの隅っこで、よく夢を語り合った。
「いつか、オレのバンドとminaで、Mステで共演な!」
とか
「オレたちのバンドにminaがタイアップして、曲を書いてくれよ!」
そんな、途方もない空想話をよくしていた。
私たちがお互い惹かれ合うのに、時間はかからなかった。
私も積極的にアプローチをしたつもりだったけど、ハヤトはそれ以上にグイグイと押してきて、ハヤトの告白で私たちはお付き合いを始めることになった。
夢はあるけど、お金はない……
私たちのデートは、近所の公園、ファストフード店、そして、ハヤトのアパート。
私は料理が苦手だったけど、ハヤトは母子家庭で育ったせいか、意外と料理が得意で、ありあわせのもので、よく料理を作ってくれた。
早く売れて、お母さんに楽をさせてあげたい。そんなことも言ってたっけ。
高校生の時は、素行があまり良くなくて、結構お母さんを困らせてたみたいだけど。
人が一人やっと入れる、あちこちにシミのついた狭いキッチン。
六畳の傷んだフローリング。
築二十年のアパート。
ハヤトの料理を二人で食べて、
私たちの数少ない娯楽である、テレビでドラマやお笑い番組を見て
そして、壁の薄さとベッドの軋む音を気にしながら……
声を抑えて……愛し合って……そして抱き合って眠った。
私達の夢はまるで果てしない青空のようにどこまでも広がっていたけど、現実は厳しかった。
私はデモテープをレコード会社に持ち込んでも、門前払いの日々。
なんとか小さいライブハウスに出演させてもらって、ファミレスのバイト仲間に頼み込んでチケットをさばく。ライブが始まっても途中で席を立つ観客がいたり。
私はあせっていた。このまま芽が出ないんじゃないだろうか?
今のままでいいのだろうか?
夢を追い続けていいのだろうか?
私は、ソロだったから、まだ良かったのかもしれない。
進むのも、決めるのも、逃げるのも……自分一人で決めればいい。
でも、バンド仲間がいるハヤトは、もっと深刻のようだった。
当時、ハヤトのバンドは、進路を巡って空中分解の状態にあった。
ハヤトは、もっと練習量を増やして、音楽の幅を広げて、必ずメジャーデビューする。そう意気込んでいた。
一方、他のメンバーは地元に帰って就職する、あるいは進学する、など現実的な道を考えていた。
かつて、夢を語り合ったライブハウスの片隅。きらめくスポットライトが満天の星空のように見えていたのだけど、それが、星の見えない、月もない、道しるべもない暗い夜のように感じられた。
私達は顔を合わせるたび、前向きな話より、お互いに苛立つことの方が増えていった。
二十歳、成人の年齢。
でも、まだお互い子供だったんだ。
世間の荒波に揉まれる小さな小舟のように
私たちは、地図も、コンパスもなく、ただ流されていくしかなかった。
最後は、大ゲンカをして、私達は別れた。
おままごとのような、私たちの恋愛はこうして終わった。
あれから五年、いや、六年たったかな。
それ以来私は一度もハヤトに会ってない。
正直、存在も忘れていた。
話って何だろう?
さっきは「お前を迎えに来た!」とかカッコつけてたし。
過去に色々あったけど、共演者としてよろしく頼む、とかそういうことかな?
下北沢の片隅で終わった小さな恋なんて、マスコミも誰も知らないと思うし。
このまま知らないふりをしていたら、わからないでしょ。
ようやくハヤトに言われた公園についた。
ハヤトはポケットに手を突っ込んで立っていて、私の方を見て笑いかけた。
街灯が一つだけの、都会のビルに囲まれた小さな公園。
かつて、私たちがベンチに腰掛けて、百円のジュースでいつまでも夢を語り合ったのも、こんな感じの公園だった。
ペンキが半分剥げかかったベンチ。ハヤトは私にそこに座るようにうながした。
そして自分も、少し距離を置いて隣に腰を降ろした。
街灯から少し離れていて、ぼうっと薄暗い。
六月の上旬なのに夜はまだ少し寒くて、私はギュっと体を縮こまらせた。
「悪いな、呼び出して」
「本当よ、かよわい乙女をこんな夜遅くに呼び出して」
「かよわいって、お前がかよ」
そう言って、ハヤトは短く笑った。
テンポのあるやりとり。
なんだか懐かしい。
カズくんといる時は、私も女の子っぽい口調を意識してしまうけど。
ハヤトとは、こんなくだけた感じでいつも話していたよね。
「ずいぶん、売れたな、mina……紅白も出たし、……そういや、まだちゃんとお祝いも言ってなかったな。おめでとう! mina。いつか紅白に出るって、そう言ってたっもんな」
「ありがとう、でも、私はハヤトが……龍野ハヤトだって全然知らなかった」
「おいおい、紅白出場の時は、花束までちゃんと送ったんだぜ……」
「ごめん、そうだったんだ……花、多かったし、ちょっと色々あってそこまで気が回らなかった」
ハヤトは、そこで真面目な顔になった。
かつて音楽論を語っていた時のような、熱のこもった真剣な表情。
「mina! この映画の撮影が終わったら、俺ともう一度やり直そう!」
「えっ!! 何言ってんの?」
正直、驚いた。だって私の中でハヤトとの恋は、とっくに終わったものだったから。
「minaと大ゲンカして、別れてからすぐに、俺はminaとやり直そうと思っていた。でも、何の結果も出してない……俺では何も変わらない……そう思っていた」
ハヤトはそこで、一旦言葉を切った。
「ちょうど、ミュージシャンじゃなくて、モデルをやってみないかって話が来た。そっちの方が才能があったのか知らないが、下積みから始めて、俺は雑誌のトップを飾るまでになった。その頃だ。minaがメジャーデビューして、CDが発売されるようになったのが」
「そっか……知ってくれてたんだ……」
「前に、ライブハウスで演奏していた曲もあったよな。俺はうれしかった。minaは自分の夢を叶えたんだって。すぐに連絡したかった。でも……」
「でも……?」」
「俺はまだビックになってない。芸能界でそこまでの地位を築いてない。俺にちゃんとした自信が持てるまでは。それまではって。オレが次のステップとして選んだのは、俳優だった。鬼澤劇団……聞いたことくらいあるだろ?」
通称鬼澤劇団……凄腕だけど、非常に厳しい演出家が主催する劇団。
厳しい練習で辞めていく人も多いけど、出身者には有名な俳優も多数いる。
ハヤト……いつの間に、そんな所に。
「激しい罵倒、出される課題の多さ、先輩のシゴキもあったな……何度辞めてやろうと思ったかわからない。でも、オレは……minaの笑顔をまた隣で眺めるんだ! 今度こそ、minaを幸せにするんだ! その思いで必死に耐えた。それで……ようやく掴んだ、今回の主役なんだ!」
「だから、mina! もう一度オレと付き合ってくれ!」
ハヤトの表情がスポットライトを浴びたように街灯に照らされた。世間一般の女の子はそれだけでキュンとしてしまうのだろうけど、私の心は動かされなかった。
「ハヤトがすっごい、努力してきたのはわかった。雑誌の表紙とか、今回の映画の主役とか、本当に……尊敬するくらい」
「そうだろ、mina、これから俺たちは……」
「でも、ごめん。私……お付き合いしている人、いるから」
「何だってーー!!」
ハヤトの目が大きく見開かれ、肩が震えている。
「本当か!? 誰だ、そいつは? 芸能人か? オレが知ってるヤツか?」
ハヤトは私を覗きこむように、大きく身を乗り出してきた。
「違うよ、一般の人」
「オレは……minaともう一度やり直すために、ここまでやってきたってのに。まさか、minaに彼氏がいるなんて……で、どんなヤツなんだ? そいつは?」
「銀行で働いてる人、頭が良くて……、包容力があって……、私と一緒に成長してくれる、大切な人」
私は、カズくんを思い出しながら、一つ一つ言葉を区切って、ゆっくりと彼を描写した。カズくん……早く会いたいな。
「銀行員だって、ずいぶんお堅いな」
ハヤトはそういって、少し笑った。
「だって、しょうがないじゃない。好きになっちゃったんだから。仕事もできるんだって。東和銀行、将来の頭取候補って言われてたこともあるみたい」
ちょっと、自慢しちゃった。
「東和銀行だって……しかもエリートかよ! くそう! 一体、そんなのとどこで知り合ったんだ?」
「酔っ払いに絡まれている時に、助けてもらった。あと、私の叔父さんがその人の上司」
「なんだそれ、ヘタなラブコメみたいだな」
「そんなことないよ。だから、私は、ハヤトとやり直すなんて、ムリ。だいたいハヤトのことなんて、さっき会うまで忘れてたし」
こういう時はきっぱり断った方がいいんだろうな。カズくんの影響か、私も少し頭が回るようになってきた。
「でも、別に結婚を約束してるわけでもないんだろう?」
「ん? うん、そりゃあ、まあ、そうだけど……」
「じゃあ、オレは諦めないぞ! これから撮影で会う機会も多いし、必ずminaを振り向かせてみせる! どんな手を使っても!」
ハヤトはそう、自信たっぷりに宣言した。
あーあ、ハヤトが直情バカだということをすっかり忘れていた。
昔もそうだったけど、言い出したら聞かないんだ。
これ以上話すのがバカバカしくなって、私はハヤトを置いて、その場を離れた。
慣れない挨拶回りもあったし、何だか色々なことが起きすぎて、疲れてしまった。
だから、私は、暗闇の中、一つの人影が私達を見つめているのに、全く気が付かなかった。




