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この街にはいくつかの大きな病院が有る。その中でも取り分け大きいのは寧廉高校の近くに有る、裕の父親が経営している病院だ。
しかし、近いといっても、走って10分はかかる。
高行はその途中の道を走っている最中だった。
一応、傘は差しているが走っているため、あまり効果はなく。高行の制服のズボンの裾は雨水を吸って重くなっていた。
病院に着いて自動ドアを通るとき、両端に立っていた大柄な警備員二人に凝視されたが、高行は気づかないふりをして通りすぎた。病院の中にはとても広い空間が広がっていた。絶え間なく通り過ぎる医師や看護師達、椅子に座って受診を待つ患者達。それらがこの病院が繁盛していることをよく表していた。
高行は一番空いている受付カウンターに行き、受付をしていた看護師に声をかけた。
「すみません、ある人の面会に来たのですが、病室を教えてください」
「わかりました。その方のお名前を教えて頂けますか?」
看護師は愛想よく笑って言うと、近くの棚から分厚いファイルを取り出した。
「秋路選という名前の女の子です。俺と同じくらいの・・・」
「ああ、507号室の患者さんよ」
看護師はファイルを見るまでもなく答えた。聞いておいてなんだが、身元も分からない相手に、こんなにあっさり患者の情報を洩らしていいのだろうかと、若干この病院の情報管理が心配になった。
「ありがとうございました」
高行はそうとだけ言って看護師のその後の言葉も聞かず、507号室を探すため、ちょうど開いていたエレベーターに乗り込んだ。
5階に着くと高行は07号室を探した。
途中でナースステーションを見つけた。そこで聞く選択肢も有ったが、もし詳しい説明を求められたらと思うと、その時間が惜しかったので、そのまま素通りした。
廊下の突き当たりまで来た時、一番端の病室から四十代半ばの夫婦が出てきた。
二人とも酷く疲れた顔をしていた。
その夫婦とすれ違う時、二人の話の一部が聞こえてきた。
「あの子はこれからもずっとあのままなのかしら・・・」
「縁起悪い事を言うなよ・・・それは絶対に進と迅の前で言うな。二人とも最近それを心配してかなり神経質になってる」
「分かってるけど・・・もう三年よ?」
「確かにあれから三年経った。でもあの子は十六になってない。まだ時間は十分過ぎる程有る。もう少し待ってもいいんじゃないか?」
高行の存在にも気づかずに繰り広げられ、通り過ぎて行く会話を高行は立ち止まって聞き入っていた。
夫婦の姿が完全に廊下から消えたころ、高行は夫婦が出て来た病室の扉の前に駆け寄った。
そして、扉の左上にあるプレートで名前を確認する。そこには間違いなく『秋路 選』と書いてあった。
高行は迷うことなく扉を開けて中に入った。
室内は薄暗かった。部屋に唯一有る窓からは生憎の天気のため、微弱な光しか入って来ていなかった。
そんな室内で、ひときわ目立つ真っ白いシーツに包まれるようにして彼女はいた。高行が探していた彼女が・・・。
彼女は長くウェーブのかかったこげ茶色の髪、雪のように白い肌、軽く重なった長いまつ毛。どれを取ってもそこら辺にいる同じ年頃の少女達よりも随分と整った造形をしていた。
高行は選の寝ているベッドの横の椅子に腰かけた。そして安堵の気持ちで選の手を握ると、その手に力を込めた。そして実感するのだ、やっと見つけ出したのだと。
「選・・・」
自分でも気づかないうちに、口から彼女の名前が漏れだしていて、耳に届いて正直驚いた。
それから高行は何を言うでもなく、ただ起きる気配のない選の顔を眺めながらここに至るまでの長い長い道のりを思い出していた。
高校入学前の休み中、高行は両親に一人暮らしの為に丁度いい物件を探しに行ってくるという嘘をつき、ほぼ二週間姿を消していた。その間何をしていたかというと、もちろん選の入院している病院を探し回っていた。(しかも大抵の都道府県は自転車で・・・)当たり前だが、長い旅だった。金銭の節約のため、ほとんど野宿が続き、食事は三食有ったがオールコンビニのおにぎりという状態だった。結局無駄足だったが、家に帰って来て楽だったのは、高行の両親が息子の成績にしか興味のない人達で説教がなかったことぐらいだ。その後、学校が始まったため近場しか探せてなかったが、まさかの灯台下暗しという結果で解決してしまったのだ。
それから何十分経っただろうか・・・。高行は変わらず選の手を握ったままだった。
すると突然アナウンスが病院中に響いた。
「♪~~あと十五分で面会時間が終了します。面会に来られている方々は速やかにお帰りの準備をしてください♪~~」
高行が腕時計で時間を確かめると六時四十五分だった。
「帰るか・・・」
――一応目的は果たした、こんな近場なんだ、また明日にでも来ればいい。
心の中で自分に言い聞かせるように言い、選の手を放そうとした。しかしその瞬間――。
「・・・・・⁉」
一瞬、選の指がピクリと動いた気がした。
――気の・・・・せいか?
念のため、確かめてみることにした。
「選?」
「・・・・うぅ」
高行が呼びかけると今度は選が気だるげに唸った。
廊下ですれ違った選の両親らしき二人は、選がここ三年間この状態のままだと話していた。しかし、今の彼女が見せているのはどう見ても覚醒の兆しだ。
高行が慌ててこれからするべき事を考えていると、いつの間にか選の漆黒の瞳が完全に高行を捉えていた。