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左団扇奇譚  作者: 音叉茶
第六章『迷い家』
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泡沫夢幻

 深く(あお)い空には雲が高く平らになって寝そべっていた。


 今日は風も肌に優しい。


 少年は鞘に収まった刀を脇に持ったまま、少し腰を落とした状態で体を横に構える。


 風景の一部と化した気配。


 波紋すら立たない空気の中で、冴える剣気。


 利き手が(つか)に触れたかと思うと、音も無く白刃が一閃して巻藁(まきわら)が真っ二つになった。


 例えるなら、その一刀両断は夜空に流れる星のように輝く。


 蘭丸は刀を鞘に収めると、残心(ざんしん)の構えを取って静かに風景の一部へと戻った。


 巻藁というのは、よく考えられている。


 藁は肉の硬さに、竹は骨の硬さに似ているため、日本刀で斬るには打ってつけの練習道具なのだ。


 壬祇和一心流(みぎわいっしんりゅう)に二の太刀(たち)は無い。


 初太刀に己の全てを乗せて斬る。相手より速ければ生き、遅ければ死ぬ。


 一撃必殺の心意気は、示現(じげん)流に通じるところがあるかもしれない。


 ニッカリ青江(あおえ)は刃長六十・三センチ。脇差(わきざし)としては長いほうで、打刀としても申し分なく使える。


 その半端な長さが、今の蘭丸(らんまる)には(かえ)ってシックリと馴染む。


「ほう。闇に()える剣だ。君の愛弟子(まなでし)だけのことはある」


 雨下石(しずくいし) 浅葱(あさぎ)が剣術において他人を褒めることは滅多に無い。この場合、同時に彩子(さいこ)にも感服(かんぷく)しているわけだが、「闇に映える剣」という彼独特の表現の意味を思いあぐねて、壬祇和の師範は瞬刻考え込んでから返事をした。


「型は綺麗だが、流れが少し硬いな。あれではコンマ数秒の差で、いつ斬られてもおかしくない」


「相変わらず厳しいね。君は」


 浅葱の表情から温かみのある笑みが零れる。相も変わらず、声も仕草も柔らかい物腰だ。


 彼が此処に居るのは偶然ではない。


 先日の手紙の件が気になった彩子は、家の敷地の結界を張り直すために雨下石家に連絡をしたのだ。


 普通は傘下の結界士が送られてくるものなのだが、まさか雨下石直系の人間が自らやってくるとは思わなかった。


 彩子は玄関口で驚いて、眠たそうに垂れた瞳を珍しく見開き、(くわ)えていた煙草も落としてしまった。


 久々に再開した旧友の前で、さぞや間の抜けた顔をしていたに違いない。


「それにしても、まさか貴方(あなた)が来てくれるとは」


「意外ですか?」


 浅葱は穏やかな性格が滲んだ水色の視線を彩子に送った。


「確かに全く予想の外だ。当主の弟君(おとうとぎみ)が、一結界士でも務まる仕事にわざわざ足を運ばれるとは誰も思わないだろう?」


 間抜けた顔を見られたお返しに、少し棘を含めた応答を返す。


吃驚(びっくり)したのはお互い様。まさか鬼の彩子が弟子を取る日が来るとはね」


 皮肉な物言いでは浅葱も負けていない。その通り名を本人が嫌っていることを承知でやり返す。


 優しそうな外見とは裏腹に、まったく食えない青年である。


 からくり人形いじりに夢中で普段は外へと出ないくせに、忘れた頃にフラリと出会ってしまう。


 どうやら彩子と浅葱の縁とは、そういう(たぐい)のものであるらしい。


「実は兄、当主の言い付けなのです。私も貴女(あなた)の弟子に興味があったので、良い機会ではあったのですが」


 雨下石家では当主の言葉は絶対だ。どんなに理不尽(りふじん)であっても従わなければならない。そして群青(ぐんじょう)の弟とはいえ、浅葱の地位は決して高いほうではない。


 雨下石家の人間は青い瞳と髪を持って生まれてくる。


 瞳は慧眼(けいがん)を、髪は霊力を、それぞれに象徴していて、その強弱は発現する青が色濃く鮮やかであればあるほど強い。


 浅葱の水色に染まった髪と瞳は青の内に入らないのだ。彼の霊力は弱く、物事の本質を見抜くという慧眼も強くない。


 霊力こそが全ての一族において、彼の立場は微妙である。


「そろそろ、お茶にしないか? あちらに練り切りなども用意してある」


 結界直しも一段落着いた頃に、彩子が浅葱を休憩に誘った。


「余計な気遣いは無用と言いたいところですが、有り難く頂きます。私は甘党でして」


「知っているよ。だから用意したんだ。そちらの女人(にょにん)たちの分もね」


 二人の付き合いは短いようで長い。


 雨下石 浅葱について、彩子が持つ形容があるとすれば泡沫夢幻(ほうまつむげん)だ。


 存在感というものが透けているように儚く、まるで夢の中で出会っているような錯覚さえ覚える。


 花浅葱に染めた着物は目立つはずであるのだが、彼が着ると幻を見ているように現実感が極端に薄い。


 気配を殺しているのとは、また違う異様な透明感を持つ男であった。


 「私のような者に敬語は不要だ」と、彩子は浅葱に言う。


 武術を極めんとする者同士、通じ合うものがあるらしく、お互い変に気を遣わずに済む仲である。


 ところが浅葱は「年上を(うやま)うのは私の性分(しょうぶん)なんですよ」と、言葉遣いを改めない。


 確かに彩子のほうが少しだけ年上ではあるが、妙な気分になる。というのも、彩子は浅葱を剣客として尊敬しているからだ。


 何度か手合わせをしたことがあるのだが、彩子は一度も浅葱に勝ったことがない。


 壬祇和一心流の師範が、次元の違いを見せ付けられただけで勝負にすらならなかった。


 『電光石火(でんこうせっか)』を使えば勝てるだろうが、それは負けたのと同じこと。否、負けるより恥ずべき行為であろう。


 浅葱の剣は相手に合わせて型が変化するのである。水の流れのように変幻自在、()(せん)で必ず命を取られる必殺の剣。


 あらゆる武術を身に収め、組み合わせて昇華する。それは努力を惜しまぬ天才ならではの、芸術とも呼べる技だ。


 そんな浅葱になら、敵わなくても仕方がない。そう思わせてしまうほど、彼の剣は超越的にして華麗だ。


 年上を敬うという姿勢は立派だが、彩子としては尊敬している相手から敬語を使われているわけで、気まずい気分にさせられてしまうのである。


 もっとも、その違和感にも慣れてしまったが。


 今日は昨日までの寒さが嘘のように暖かく、小春日和に恵まれた。


 おそらくは日本一の腕を持つ剣豪が、縁側で嬉しそうに茶菓子をつついている姿は微笑ましささえ誘う光景であった。


 その姿だけを切り取ると、どこか儚さを持った線の細い青年にしか見えない。


(みぎわ) 蘭丸くん……でしたっけ? 戸籍を取るのに我が当主の力を頼ったそうですが」


「うん、まぁ……その節は大変世話になった」


 そのことに関して、彩子は雨下石 群青に感謝している。


「私が口にするのも可笑(おか)しなことだけどね。兄にはあまり貸しを作らないほうがいい。結果、高くつくことになる。これは友人としての忠告だ」


 浅葱の言葉遣いが変わった。彼は本当に大事なことを伝えたいときには対等の話し方をする。


 雨下石 群青には出来ることなら関わらないほうが良いというのは、彩子にも分かっている。彼には何度か会ったことがあるが、何やら得体の知れない危機感を覚えたものだ。


「そういえば、先日雨下石家の者と思われる人物に会いましたよ」


 彩子は不安を振り払うように話題を変えた。


「刀を失くしたと騒いで、周囲の失笑を買っていたな」


 思い出して笑ってしまう彩子とは逆に、浅葱は深い溜め息を一つ、湯のみの中に落とし込んだ。


「おそらく亜緒(あお)でしょう。ウチの次期当主となる男で、私の弟子でもあります」


「次期当主? あの少年が? あ、これは失言……」


「よいのです。私どももアレにはほとほと困っているのですから。なんというか、真剣みが足りないとでもいいますか。とにかく困ったヤツなのです」


 彩子は気を落ち着かせるために茶を啜った。やはり問題のある少年だったようだ。


「しかし、(ぬえ)()いた。鵺の憑いた者が次期当主となる者。これは現当主でも(くつがえ)すことは出来ない仕来(しきた)りですから」


「はぁ。難儀(なんぎ)なことで……」


 彩子は他人事のように相槌(あいづち)を打った。事実、他人事なのであるが。


「ということはニッカリ青江は亜緒くんの刀というわけだ」


「私が亜緒にやったモノです。しかし、あの刀は蘭丸くんが持ったままで良いでしょう」


「あれだけの名刀ですよ? 本当に宜しいのですか?」


 思わず恐縮して彩子も敬語になってしまう。ニッカリ青江といえば国宝級の刀であるから無理もない。


「相応しい使い手の中にあってこその名刀ですよ。そう思いませんか?」


 卓見(たっけん)しているというのだろうか。若くしてこの執着の無さ。やはり雨下石家の人間は変わっている。


「ところで、そちらの方々は茶が口に合いませんか?」


 浅葱が連れてきた四人の女人たちに、彩子は怪訝(けげん)な視線を送った。


 四人とも茶菓子どころか、お茶にさえ手をつけないで座っている。


 微動だにせず、ただただ(うつむ)き加減に目を見開いたまま、(まばた)き一つしない。


「ふふ。気が付きませんか? 彼女達は呼吸をしていないでしょう?」


 浅葱の口振りは悪戯(いたずら)を仕掛けた子供のように嬉しそうだ。


「人形なのです」


「まさか」


 彩子は瞬時に答えた。確かに人間らしさは希薄だが、人形には見えない。


「浅葱殿の冗談は趣味が悪い。四つ子かな? 私には見分けが付かないが」


 四人ともに同じ顔、同じ白い着物を着ているが、着付けが左前だ。これでは死装束(しにしょうぞく)になってしまう。


(さくら)(かすみ)(かえで)山茶花(さざんか)。式の呪術を使った人ならざる者たち(・・・・・・・・)です」


 浅葱はにわかに信じがたいことを言った。


「貴女の最高傑作が蘭丸くんなら、私の最高傑作は彼女達だ。もっとも、人形に性別があるなどと私は思っていませんがね」


「蘭丸は人形ではない!」


 意外なほど否定する口調に力が入ってしまったのには、誰よりも本人が一番驚いていた。


 浅葱は彩子に気圧(けお)されることなく、静かに湯飲みを盆へ戻すと、相変わらずの優しい笑顔を(たた)えたまま言うのだ。


「これは失礼。しかし貴女の発言はつまるところ、四人を人形だと認めたようなものだ」


 改めて彩子は四人の女人たちへと視線を投げた。自分たちのことが話題になっているにも関わらず、身じろぎ一つしていない。見開かれた瞳は瞬きもせずにジッと此処(ここ)ではない何処(どこ)か遠く、彼岸でも見つめているようだ。


 彩子は背筋に薄ら寒い感覚を覚えた。まるで死体と相対している気分になったからだ。


「美しいでしょう?」


 浅葱は柔らかな表情の中で嬉しそうに笑う。


 彩子は返事の変わりに深い溜め息をついた。


 浅葱の趣味は充分に承知していたつもりであったが、肯定的にはなれない。やはり、悪趣味なのだ。


「感情的になってすまない。じつはこんな(ふみ)を蘭丸が貰ってきてね。少し神経が過敏になっているのかもしれない」


 『傀儡子(くぐつ)』と書かれた文面を浅葱に見せる。


 一呼吸置いてから手紙を手に取ると、浅葱の水色の瞳が妖しく輝く。


「これは……微かに(あやかし)の気が残っていますね」


「やっぱりか。蘭丸のヤツ、魅入られたな」


「妖なら斬ってしまえば良いでしょう。何のための妖刀ですか」


「そんな簡単ではないよ。私は貴方のように妖と人との区別が容易には付かないのだから」


「ならば私が蘭丸くんに寄ってくる妖を始末して差し上げましょう」


「いや、それは謹んでお断りさせていただく」


 蘭丸を(まも)るという彼の言葉は、表面上の理由に過ぎない。本心は妖絡みの人形に興味があるのだろう。


 この男が人形の話題を出して引っ込むわけが無かった。迂闊(うかつ)である。


「しかし、蘭丸くんに妖退治はまだ早過ぎると思いますが」


「ところがね。彼は過去に妖を斬った経験があるんだ」


 彩子の声音(こわね)は自然と得意気に響いたが、浅葱の表情は特に動かなかった。


「それは凄い。が、そういう過信が一番危険なのは、貴女なら充分理解しているはずだ」


 (しば)しの間が()く。


 確かに浅葱の言う通りなのだ。この仕事で過信ほど危険なものはない。


 一、二度、妖を斬ったくらいでは、何も経験が無いのと同じなのだ。


「確実に蘭丸くんを護りたいのであれば、今回は貴女より私のほうが適任だ。確かに妖製作の人形にも興味はあるが、期待を裏切るつもりは無いよ」


 たとえ妖が人に化けていたとしても、雨下石家の人間には通じない。慧眼の力が弱い浅葱でさえ、人と妖の区別くらいは簡単に付いてしまう。


 加えて彼には豊富な経験と、何者にも勝る実力がある。頼りになるのは間違いない。そして、彼が一度口に出した言葉は充分信頼に値することを、彩子は誰より知ってもいる。


「分かった。ただし、人形よりも蘭丸の命を優先順位の一番とするのが条件だ」


「その依頼、しかと(うけたまわ)った。では、今夜から此処に厄介になる」


「何だって! ウチは未婚の女性と少年の二人暮らしだぞ。通いというわけにはいかないのか?」


 浅葱は思わず吹き出してしまった。彩子が自分の中の女性を強く意識した言葉を初めて聞いたのだ。


「鬼の彩子に手を出すほど命知らずではないよ。それに私は兄のように節操無しでもない」


 慌てる彩子がよほど珍しかったのか、浅葱は無邪気な笑みを浮かべて嬉しそうである。


 それに、雨下石 浅葱が興味を持つのは人形だけだ。彼は温もりというものを愛さない。


 長いながらも短い付き合いではあるが、彩子はそのことだけは理解していた。


 そんなわけで彩子と蘭丸、浅葱を交えた一風変わった共同生活が始まることになった。

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