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左団扇奇譚  作者: 音叉茶
第六章『迷い家』
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文渡し

 あれから夏が四度ほど通り過ぎて、また木枯らしが吹く季節となった。


 (みぎわ) 彩子(さいこ)に弟子入りしてから最初の一年間は掃除、洗濯、料理などの家事全般を蘭丸(らんまる)は徹底的に仕込まれた。


 出来ないより、出来たほうがよい。とは彩子の(べん)


 おかげで渚家の家庭生活は、今では蘭丸を中心に回っている有り様。


 二年目は勉強と体力づくり。


 蘭丸の学力を同年代の男子の水準にまで引き上げて、学校へと通ってもらうためだ。


 親心というわけではないが、蘭丸にはなるべく多くの選択肢を持って欲しいという気持ちが彩子にはある。


 だからこそ二年間、蘭丸に刀を持たせたくなかったのだ。


 それは音無しから蘭丸へと生まれ変わるうえで、一種の通過儀礼のようなものが必要であると思ったし、音無しは死に寄り添っていたが、蘭丸には生を見つめて欲しかったからでもある。


 その境界を、二人の決定的な違いとして位置付けたかったのだろう。


 そして三年目にして、(ようや)く本格的な剣術の修行が始まった。


 何事に置いても彩子の教え方はシンプルである。


 「一度しか言わない」「一度しか見せない」と言ってから、手本を見せる。それだけ。


 だから蘭丸は一回だけ目にした師匠の動作を思い出しながら、繰り返し修練してゆく。その中で物事のコツや要領を会得して、自分のものにするのだ。


 そんな日々はひたすら努力と忍耐の積み重ねであったが、決してツライと感じたことはなかった。


 鬼から人へ戻るのは容易なことではない。いや、容易であっては駄目なのだ。


 ゆえに蘭丸は家事も勉強も剣術も、それこそ死に物狂いで真剣に挑んだ。全てが修行。甘えがあっては許されないと己を(いまし)め、(りっ)した。


 彩子(いわ)く、「私にも、世に無理を通せる知り合いというのがいてね」ということだが、蘭丸の戸籍を作って学校を受験させるのには骨を折ったことだろう。


 彼女の苦労と恩義に、自分はまだまだ報いることが出来ていない。


 背は伸びても未だ子供のままなのだと、蘭丸は己の未熟さを思い知るばかりであった。


 そうして白線入り学生帽にマントを羽織り、高等学生となっても蘭丸の毎日はあらゆる意味で勉強である。文武両道こそが現在の彼の本分だ。


 人は三年も過ぎれば、外見も内面も環境も変わる。ましてや成長期の男子である。その変化は目を見張るほどに顕著(けんちょ)だ。


 背はスラリと高く、夜の漆黒で染め抜いたような艶のある美しい黒髪は長く、帽子の下から覗ける白皙(はくせき)の美貌は、ともすれば凛とした女性のような華を持つ美丈夫。


 擦れ違う者は男女ともに、非の打ち所の無い顔立ちにウットリとして振り返る。


 しかし、その眼光は鋭く孤高。人を容易(たやす)く寄せ付けない雰囲気だけは、相も変わらずであった。


 そんな彼も女学生の口の()に乗れば、途端に茶目の対象と成り果ててしまう。


 特に近くの女学校の生徒たちからは「眉目秀麗(びもくしゅうれい)佳人(かじん)」、などと矛盾を孕んだ言葉をもって騒がれていたりするのだが、本人は気にすることもなく無関心を決め込んでいる。


 彼の時間は自身と彩子のためにある。明快にして有限だ。


 学校が終われば、二人分の夕餉(ゆうげ)の支度に忙しい。


 そんなだから友達の一人も出来ないのだが、下校途中に女学生から(ふみ)を貰うことなどは度々(たびたび)あるのだった。


 これが蘭丸には良く分からない。


 文を渡す側は決まって、「返事は要りません」と言うのだ。


 では一体何のための文なのかと帰宅後に封を切ってみると、中身は詩のような短文であったり、和歌のようなものであったりと色々なのだが、少なくとも確かに返事を返すような内容ではない。


 女学生とは()くも不可解なる生き物なのだと首を捻った後に、捨てるのも(はばか)られるので引き出しの一つに纏めて保管してある。


 これは『文渡(ふみわた)し』という女学生特有の遊びであるらしいことを、蘭丸は最近になって知った。


 ときめく心や憧れの感情を、陶酔(とうすい)任せに(つづ)った文章をスリルに包んで送る。蘭丸はその対象として格好だったということだろう。


「あの、すみません……」


 乾いた空気に消え入りそうな声が、橋の上で蘭丸の早足を止めた。


 目の前には葡萄(ぶどう)色の髪と瞳の娘が、おずおず(・・・・)としおらしく佇んでいる。


 矢絣(やがすり)柄の袴姿は近くの女学校の制服で、蘭丸にも見覚えがあった。


「これ、お受け取りになってくださいまし」


 いつもの他愛無い『文渡し』……と思ったが、何やら雰囲気が変である。


 普通、文を渡しにくる者はもっとソワソワとして落ち着きが無く、頬に高揚の朱などが差しているものだ。


 少なくとも今まで蘭丸の前に立った少女たちは、何かしらの感情に激しく揺さぶられて声も視線も定まらずといった様子であった。


 そもそも、ある種の緊張と興奮を楽しむ遊びなのである。


 ところが対面している少女は妙に落ち着いて見える。およそ感情というものが感じられない。


 瞳が蘭丸を見ていないのだ。(いや)、彼女は誰も見ていない。それでいて周り全体を映しているような、奇妙に虚ろな鈍さを(たた)えた葡萄色が深々と沈んであるだけだ。


 およそ人身の暖かさというものが伝わってこないのである。


 その異様さは、蘭丸に闇子を思い出させた。


「返事は要りませんから……」


 気がつけば、いつの間にか蘭丸は文を受け取ってしまっていた。


 手を伸ばした覚えも無い手紙に不審な視線を当てて、次に顔を上げると彼女の姿は何処にも無い。


 目の前には冷たい風を纏った落ち葉が、円を描きながらカサコソと踊っているだけだ。


 何やら釈然としない気持ちを抱えたまま家に帰ると、門のところで彩子と鉢合わせた。


 黒い羽織袴を着て、腰には刀を差している。今日は妖刀とは別に、一振りの刀を持っていた。


「やぁ、お帰り」


只今(ただいま)帰りました。珍しいですね。師匠が出掛けの用とは」


 彼女は大抵、家から外へ出ない。家事は蘭丸がやってくれるから、毎日酒ばかり呑んでは何やら思いに(ふけ)っている。


 訪ねてくるのは(あやかし)退治を頼みに来る依頼人ばかりで、特別親しい人もいないようだ。


 なんとなく、隠棲(いんせい)している世捨て人といえなくもない。


「こらこら。人を暇人のように言うものではない。こう見えても私は忙しい身なんだ」


 相変わらず、声が寝不足のように疲れている。事実、寝不足なのかもしれない。


 家に上がると、蘭丸は一も二も無く火鉢に火を入れた。今日はなかなかに冷える。


「仕事ですか?」


 渚 彩子には刀剣を()でる趣味があるらしく、妙に刀に詳しい。


 財布事情から蒐集(しゅうしゅう)にまでは到っていないが、妖退治の依頼報酬を刀で引き受けるときもある。


「いや、コレは落し物……らしい」


 蘭丸の表情に怪訝(けげん)が浮かぶ。買ったなら買ったで、正直に言えばよい。


 蘭丸に怒る理由など無いのだから。


「いや、本当なんだ。私も何やら妙な気分なんだが、出掛け先で変わった人物に会ってね」


 手にした刀に触れつつ、彩子は刀を拾った経緯(けいい)を話し始めた。


 それは用を済ませた帰り道のことなのだという。


 大事な刀を失くしてしまったと、わざわざ口に出して騒いでいるいる少年と出会った。


「ところがね。彼が探していると思われる刀は本人の目の前に、まるで置いたように転がっているんだ。つまり、失くしてなどいないんだな。事実、目の前にあるんだから」


 盲人というわけでもなさそうだし、一応困っている様子なので彩子は刀を拾って少年に渡そうとしたらしい。


「それが(がん)として受け取らない。何やら妙じゃないか」


「探し物は別の刀だったのでは?」


「なら、そう言えばいいのに、私のほうを見ようともせず、傍にいる黒猫にばかり話しかけているんだよ」


 蘭丸は返答に困った。そんな人間が現実に居るものだろうかとも思う。


「それで結局どうなったんです?」


嗚呼(ああ)、自分は師匠から貰い受けた大切な刀を失くしてしまったのだ! しかし失せモノをしない人間など、この世に存在するだろうか。いや、いるわけがない。だから、これは仕方のないことなのだ。諦めきれないけど、潔く諦めるとしよう」


 まるで三文芝居の役者のごとき身振り口振りで、彩子は少年のセリフを真似てから蘭丸を見た。


「そんなことを言ってから、嬉しそうに黒猫と一緒に歩いて行ってしまったよ」


 結果、刀が彩子の手に残ったのだという。


「……師匠、下手な嘘はお止めなさい。そんな馬鹿な人間など――」


「あれは雨下石(しずくいし)の者だな。歳は君と同じくらいだったか」


「雨下石?」


 変わった姓名は不思議と蘭丸の興味を引いた。


「バケモノ退治の総本家だよ。皆、髪と瞳が青いから間違えようが無い」


 君も関わることがあるかもしれないから、覚えておくといい。と、彩子は煙草に火をつけながら言った。


「雨下石というのは変人の集まりか何かですか?」


「まぁ、私も何人か知っているが確かに変わり者が多い。しかし皆、腕は立つぞ」


 彩子が投げて寄越(よこ)した刀を蘭丸が受け止める。


「丁度良いからニッカリ青江(あおえ)は君にやろう」


「ニッカリ……?」


 聞き慣れない言葉を聞き返す。


「その刀の名前だよ。妖怪を斬ったという(いわ)く付きの名刀だ。なかなか御目にかかれる代物じゃない」


「そんな貴重な刀を、俺なんかが使ってよいのですか?」


 『雷切丸』のように特別な刀であれば、彩子は自分の手元に置いておきたいはずだ。蘭丸には分かる。


「それとコレ」


 彩子が懐から一枚の紙を取り出し、蘭丸に手渡す。


「帯刀許可証だ。今日から君は刀を持って町を歩いても、何処からも文句は出てこない」


 彩子はここ数日、その申請のために奔走(ほんそう)していたのだ。妖刀使いの弟子ということで許可が下りたわけだが、もちろん特別扱いということになる。


 蘭丸は生きること、面倒なこと、いろいろと彩子に頼りきりなのが少し歯痒(はがゆ)い。


「おや、また恋文を貰ってきたのか?」


 目ざとく封筒を見つけると、彩子はその封を勝手に開けた。いつものことである。


「君は眉目秀麗(びもくしゅうれい)というよりも、容姿端麗(ようしたんれい)といったほうがらしい(・・・)からな。一部の女性にはモテるだろう?」


 眉目秀麗は男性、容姿端麗は女性に対して使う言葉である。


 蘭丸は不満そうに、刀を邪魔にならない場所へと置きながら溜め息をついた。


「本来、そういうものを恋文とは言わないでしょう」


「確かに今回の内容は極めて変わっている」


 彩子が手紙の内容を蘭丸に見せると、そこには『傀儡子(くぐつ)』とだけ書かれていた。


「傀儡子とは一般に操り人形や、操る者のことを指すが……」


 女学生の悪戯(いたずら)にしては、度を越している感が否めない。


「実は『傀』という字にはモノノケという意味もある」


 彩子が何やら含みのある笑みを眠たそうな表情の中に浮かべる。


「蘭丸、刀は絶えず身につけておけよ。君は厄介ごとを惹き寄せる名人でもあるからな」


 女学生の悪ノリならば良いが、用心しておく必要はあるかもしれない。


 嫌な胸騒ぎを彩子は文面から感じ取って、煙に()せた。

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