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左団扇奇譚  作者: 音叉茶
第六章『迷い家』
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おやすみ闇子

 騒がしく耳に響く雷鳴の中で、音無しは目を覚ました。


 自分が布団の中で横になっていることも、生きているという実感を認識したのも、起きて(しばら)く経ってからのことだ。


 死ななかった。というよりも、殺されなかったという現実は音無しに奇妙な孤独感を残した。


 自らの力で生き残ったわけではない。音無しは結局、見逃されたのだ。


 かけられた情けの重さを思うと、このまま消えてしまいたくなる。


 それでも思考は敏感に自分の置かれた状況を把握しようと動き出す。


 先ず、最初に確認したのは武器の有無だ。刀が無い。


 それから四肢は自由。辺りは暗い。空気に酒気が飛んでいる。などの五感を通した情報。


 そして此処は風が無いから屋内だ。等、内から外側へと思量の視点を拡げてゆく。


 そうして(ようや)く上半身を起こすという行動に繋がる。


 刀の所在と辺りの情報を出来る限り集めてから体を動かすことは、音無しの救われない習性だ。


 闇に目が慣れてくると、自分がいるのは質素な造りの座敷部屋であることが分かった。


 窓から一瞬の刺すような光が室内に入ってきて、鋭い陰影を作る。直後に破壊的な轟音が届く。


 空が荒れている。


 鋭利な稲光は、(みぎわ) 彩子(さいこ)の太刀筋を音無しに思い起こさせた。


「目が覚めたか、少年」


 闇の中に声の主を探すと、彩子が窓辺に座って酒を呑んでいる。


 他人(ひと)の気配は無かったが、この女なら()もありなんと納得する。


「何故、俺を()らなかった?」


 真っ先に聞いてみたい質問だった。


「なんだい。助けてやったのに礼も無しかい」


 礼は大事だよ。と、彩子は無関心な口調で音無しの疑問をはぐらかす。


「俺は貴女(あなた)を待っていたんだ。自分を殺してくれる嵐がやっと現れたと思ったのに」


「だから殺さなかったのさ」


 彩子は手酌(てしゃく)(アテ)もなく、(さかずき)を薄い唇へと持っていく。


 その姿は闇を()むような(なまめ)かしさと、また寂しさが同居しているように音無しには感じられた。


「だいたいガキの分際で死に場所を求めようなんて、五十年は早いよ。そんなラクはさせてやらん」


 (しば)し間が空く。酒の匂いと風が叩く戸口の音が、音無しには少し鬱陶しい。


 二人の輪郭が闇に溶けようとする(たび)に、窓から入ってくる雷光がその姿を今在る部屋へと引き戻す。


 彩子は黙って徳利(トックリ)を傾け、音無しは何処ともない夜を見つめていた。


「私は稲妻が好きなんだ。変か?」


 変だと思う。


「俺は嫌いだ。貴女の一撃を思い出すから、生きた心地がしない」


 正確には闇子(やみこ)が殺された光景が甦るのだ。


 音無しの思いを知ってか、彩子は声にならない笑いを浮かべた。


「随分と素直になったじゃないか」


 精気のない声でとつとつと話す音無し。彩子に対して「アンタ」から「貴女」へと、呼び方も変化している。


「アレは……何だったんだ」


「コレかい?」


 彩子が抱えた妖刀の鞘を指で二度、叩いた。


「人が……あんなふうに動けるものなのか?」


 未だに理解がついてこない。改めて思うと、あまりにも現実に相応しくない光景だった。


「まさか。人知を超えた動きと能力は、全てこの妖刀ならではだ」


 空が光る度に、相手の心理を探ろうと二人は互いの表情を確認した。


 無表情な音無しに比べて、彩子のほうは涼しげな微笑を浮かべている。どちらの心情も、読めずに知れない。


「俺もその刀を使えば貴女のように強くなれるのか?」


「それは無理だな」


 暗がりから彩子の穏やかな否定が聞こえた。続けて詰まらなさそうな声で言葉が流れる。


「妖刀を抜くことが出来るのは妖刀に選ばれた者だけだよ」


 彩子は一息ついて、杯を煽った。轟音が過ぎ去るのを待ってから言葉を続ける。


「少年、(あやかし)を殺したことはあるかい?」


 音無しが無言で頷く。雷鳴で返事が掻き消されてしまっただけかもしれないが。


「それは大したもんだ。では聞くが、何故妖を斬った?」


「罪も無い娘を喰らおうとしているのを偶然見た」


「何故、その娘に罪が無いと分かるんだ?」


「それは、だってそうだろう? あいつら人をまるで餌みたいに」


「妖だって、人を喰わなければ餓えて死んでしまうところだったのかもしれない。もしくは、その娘が招いた愚行の結果だったかもしれない」


「だからといって、見殺しには出来ないじゃないか」


 やれやれと彩子は首を左右に振った。


「妖を斬るのも人を斬るのも、少年の動機は単純だな」


 だが、純粋でもある。と、彩子は淡々と言葉を付け足す。


「そして、やっぱり君は人なんだ。現に少年の意見は人側の理屈だ。まったくもって、妖側に立っていない」


 音無しには彩子の言わんとしている意味が、分かるようで分からない。人が人の味方で意見することは当然のように感じられた。


「それは貴女だって同じだろう?」


 同じはずだ。目の前の女性は、少なくとも自分よりは人なのだから。ましてや妖刀使いは、妖から人を守るために剣を振るうものと聞いている。


「私は本来、どちらの味方でもないよ。(いや)、どちらの味方もしたくなかった。視野を狭めるからね」


 味方とは即ち見方(・・)のことで、立場に寄った肩入れのことだと彩子は言った。


「私は己の刃に正義を乗せるのは危険だと思う。それじゃあ、まるで相手が悪いみたいで斬られる側に失礼じゃないか」


 礼は大事だよ? と、再び闇の中で彩子は囁く。


「だけどコレを手に取ったらそうもいかない」


 彩子は抱えた妖刀の(こじり)で畳を突いた。


「人の味方になるしかない。妖を斬るしか道はなくなる。こういうのを(しゅ)というんだそうだ」


 そういう意味では妖刀を持つということは、呪われた行為であるのかもしれない。


「貴女は納得がいかなければ妖を斬らないのか?」


 だとしたら、呆れた妖刀使いである。


「私は妖を斬らないと言っているわけではないよ。そりゃあ、斬るさ。でも、人のためではない。金のためだ」


 ここまでハッキリ言い切られると、音無しには返す言葉が無い。


 酒の勢いで無茶苦茶を口にしているのかとも思ったが、彩子の口調に酔っぱらい特有の乱れは一切無く、冴え冴えとして渡っている。


 これが彼女の本心なのだ。


「この世はね、残念ながら善や悪がハッキリと決められるほど住みやすい世界ではないんだ」


 彩子は杯に酒を()ごうとしたが、徳利(トックリ)の中は(カラ)らしく雫さえ落ちてこない。


 代わりに溜め息が一つ、闇に零れた。


 残念そうに座卓へ酒器の二つを置くと、ついでに彩子は音無しの傍まで近づく。


「いいか、少年。正しい者の味方とは、つまり『正しいモノの見方』なんだ。正しさとは人の数だけあるわけだから、正義もまた人の数だけあるわけだ。争いとはすなわち、お互いの正しさのぶつかり合いに他ならない」


 また分かるような分からないような、言葉遊びのような物言いだ。が、声に妙な熱が籠もっている。


 さっきまで涼しい顔で酒を呑んでいた人物と同一とは思えない迫力に、音無しは思わず身を引いた。


「結果、勝った者が正義ということになるわけだ。正義ってのは、そういうものなのさ」


 主義も主張も関係ない。負けたほうが悪になる。


「何とも滑稽(こっけい)じゃないか」


 稲妻が彩子の姿を撫でる。その表情からは、もう微笑は消えていた。


「だから滑稽ついでに少年に名前を付けたのさ。(みぎわ) 蘭丸(らんまる)。思いつきで付けたにしては、上出来だろう?」


「渚?」


 音無しは彩子の(せい)までは知らない。


「ああ、まだ名乗っていなかったかな。私の姓名だよ。渚 彩子」


 大きな欠伸(あくび)ついでに、「宜しく」と彩子は自己紹介をした。


「何で俺まで渚になるんだ?」


 音無しの声音に(つや)が乗る。少しだけ感情の発露が漏れる。


「何でって、今日から君は私の弟子になるからだよ」


 彩子が煙草に火をつける。雷光とは異なった穏やかで鈍い灯りが、彼女の表情を少し照れ臭そうに揺らしてから消えた。


「正気か? 俺は人を殺しているんだぞ」


 常識で考えれば、ここは警察に突き出すのが普通だろう。


「うん。少年が人を斬った事情は、大体のところ理解している」


 政治を私物化する一部の軍閥政治家は、市民からも嫌われている。政府が標榜(ひょうぼう)する民本主義からも懸け離れた連中だ。


「だからといって、殺しが許されるわけではないのだが」


 財閥が欲っしている政治とて、決して市民のための政治ではない。


「でもねぇ。私は倫理(りんり)の信奉者というわけでもないからさ。それに君の殺した政治屋は私とは全く関係の無い人達だから、特に何か思うところも無いし」


 妖刀使いだからといって聖人である必要はもちろんないが、彩子の言動は音無しが思い描く妖刀使いのイメエジとは随分と懸け離れている。


 なんというか、無茶苦茶だ。


「いや、誤解するな。私は君の罪を許すわけではないんだ。ただ、見て見ぬふりをするだけさ」


 彩子は紫煙(しえん)を吐いてから薄笑って、音無しを見た。涼しげな仮面からは、何の考えも読めない。


「少年が警察に出頭したとして、私を雇った財閥連中の息が掛かった警官に必ず殺される。それよりは――」


 雷鳴が遠くなってゆく。


「君、壬祇和(みぎわ)の剣を極めてみないか?」


 激しい雷が一つ、何処かに落ちて音無しの目の色が変わった。


「強くなれば、本当に守りたいものを今度こそ守れるかもしれないよ」


 音無しは逡巡(しゅんじゅん)する。せざるを得ない。


 闇子の仇に弟子入りするということは、自ら彼女との出会いと死別までのすべてを勝手に水に流してしまうような、一方的な無責任さと傲慢(ごうまん)さを感じるのだ。


 やりきれない。それは人の情というものから距離を置いた行為といえるのではないか。


 まるで自分まで闇子を殺した共犯という気さえしてくる。


「条件は二つ。私を師匠と呼ぶことと、師匠の言いつけは絶対に守ること」


 彩子は指に挟んだ煙草で、宙にクルリと小さな円を描いた。闇に二つの赤丸が残像を伴いながら溶ける。


「俺はその剣を、また人を殺すために使うかもしれない」


「うん、いいよ。もともと剣術なんてものは、人を斬るためにあるようなものだしね。君が極めた剣は、君の好きに使うといい」


「……宜しくお願いします。師匠」


 音無しの中で、闇子が振り返った気がした。あの大きな一つの瞳が自分を見つめているような、責められている視線を感じる。


 それでも強くなりたいと思う。誰でもない自分のために。


「意外だな。実は断られるかと思ったんだ。私は君の友人の仇だろう? 何も感じるところは無いのかね」


「俺は特に何も感じません」


 闇子と音無しという名を忘れて第二の人生を歩き出そうとしている自分は、やはり薄情で軽蔑するべき人間なのだと思わずにはいられない。一方で、そんな行為を肯定している自分もいる。


「結構。宜しく蘭丸。今日からは此処が君の居場所だ」


 渚 蘭丸は雷の降る、煙草の煙が目に染みる夜に命名された。





 雷が収まると、深夜には無音になった。


 彩子が「寝る」と言って座敷を出て行ってからも、蘭丸は眠れないでいた。


 (まぶた)の裏に闇子の瞳が浮かぶのだ。


 それは拗ねているような、責めているような視線で蘭丸を見ている。


 「酷い人だね」そんなことを言われている気がしてならない。


「私のために泣いてもくれないなんて」


「涙の流し方を忘れてしまったんだ」


「リボン……褒めてくれなかったね」


「何の話だ?」


「やっぱり音無しは、顔は綺麗なのに性格は悪いな」


「本当、どちらが人だか分かりゃしない……」


「死を望みながらも(かたく)なに拒否し、刀を振るうたびに少しずつ人から遠ざかっていく。それが貴方だよ」


「そうだね。君がそう言うのなら、きっとその通りなんだ」


 自分の目の前に、次の嵐が現れるまで。


「救われないね」


「救われないよ」


 単眼の残像に向かって呟く。


 瞳は(わら)ったように歪んだ後、ゆっくりと閉じられた。


「おやすみ、闇子。君は俺を一生許さなくていい」


 蘭丸は布団から日向(ひなた)の匂いがすることに、(ようや)く気づいた。

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