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左団扇奇譚  作者: 音叉茶
第六章『迷い家』
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渚 彩子

 馬車から降りると春の風に長い黒髪を巻き上げられて、女性はわずらわしそうに額に手を当てた。


 涼し気な目許は、しかし垂れ気味で何やら眠たそうにも見える。


 執事に案内されて玄関ポーチに着くまで、彼女は目立たないよう二回の欠伸あくびをした。


 女性の名前はみぎわ 彩子さいこという。


 黒い武道袴を纏った腰には刀が差してあり、彼女が特別な社会的地位を持っていることが分かる。


 二十歳を少し過ぎた体はしなやかで細く、女性特有の肉体的丸みには欠けるが、剣客らしい鋭さは充分に感じられた。


 大人しそうに見えるが、何処か刃物のような近寄りがたさをもった人物だ。


 執事が重そうな扉を開けて、彩子を洋風建築の豪邸へと招き入れる。


 客人を応接室に通すと、執事はうやうやしく一礼してから出て行った。入れ替わるようにメイドが入ってきてコーヒーカップをテーブルに置いて去ってゆく。


 彩子はソファーに座って、花飾りの描かれた高価そうなカップの中の黒い液体を見て溜め息をついた。


 馬車に長く揺られていたせいだろうか。気分が優れない。


 それに、どうにも最近流行はやりの洋館というものは落ち着かないのだった。


 この邸宅の持ち主は外国からの貴賓きひんを相手にパーティーなり仕事の話なりをするのだろうから、そのほうが都合が良いのは分かる。が、彩子の好みとは関係が無い。


 今日、彼女はさる財界人に仕事を依頼されて此処まで来た。いや、連れてこられたというのが正しい。


 本来なら依頼する側が彩子の家へと足を運ぶのが筋であるし、礼儀をわきまえない輩からの仕事は受けないことにしている。


 だから今回の依頼は断るつもりだったのだが、政治家や財界人と揉め事を起こすと後々厄介そうなので嫌々ながらも迎えの馬車に乗ったのだ。


 権力の椅子に座った人間というのは、他人を思い通りに出来て当然と思うものらしい。


 などと、部屋の高価そうな調度品を一頻ひとしきり眺めては思った。


 誰も居なくなったのを良いことに、広い部屋で大胆に伸びをしてから大きな欠伸を一つ作ったところで依頼主が現れた。


「本日はお呼び立てして申し訳ない。私は大倉 一朗と申します。壬祇和みぎわ一心いっしん流師範、渚 彩子様」


「いえ、鬼退治の依頼となれば、妖刀持ちを呼ばれるのはいたし方ないことかと思います」


 彩子は品の良い髭を蓄えた眼鏡の紳士に愛想笑いを送った。


 おそらくは偽名であろう目の前の男は、本当の依頼主でさえないだろう。


 彩子に依頼をすることを命じられた代理人。代理人の代理人かもしれない。


 いずれにしても、付け髭に伊達眼鏡の安っぽい変装は彩子の気にさわった。


 これだから権力者相手の仕事は嫌なのだ。あちらは信用していないくせに、自分のことは信用しろと言ってくる。


 男は高級そうな舶来の葉巻を勧めてきたが、彩子は遠慮して袖から紙巻煙草を取り出して口にくわえた。


 ゴールデンバットは明治から続く庶民的な煙草だ。


 気分を害したであろう男をよそに火をつける。


 マッチを擦った燐の匂いと、やはり庶民的な紫煙の香りが彩子の口元から天井へと立ち昇ってゆく。


 礼儀を知らぬ相手に、礼で応える必要は無い。


「それよりも早く仕事の話をしましょう。私は見た目ほど暇ではないのですよ」


 偽名の代理人は憮然ぶぜんとしながらテーブルへ一枚の写真を投げた。そのぞんざい・・・・な態度が彼の素なのだろう。


「現在、世間を騒がせている鬼です」


 鬼の噂は彩子も聞いたことがあった。


「どう見ても年端の行かない子供にしか見えませんが」


「本人は音無し――と、名乗っていますけどね。出生、本名、出身地、すべてが不明です」


 男は彩子の言葉などお構い無しに話を進めてゆく。それでも彩子に気にした様子は無い。


「天涯孤独というヤツですか」


 興味も無いといった口調で煙草を吹かしながら、一応は写真を手に取ってみる。


「ところがね。じつはそれも怪しい」


 男の言葉から敬語が消えた。


「捨て子なら捨て子で、育ての親なり孤児院なり調べれば何かしら出てくるものなんですが、彼に限っては本当に何も分からない」


「ほう……」


 当然、戸籍も無いのだろう。


 便利に使って、用が無くなれば消す。殺しの道具としては最適だ。


 彩子は少年の立場を理解したが、同情する気は起きなかった。彼が人を殺したのは間違いない。


「それにしても綺麗な少年だ。貴方が彼と口にしなければ、少女と見紛みまがうところでしたよ」


 つまり、依頼人は鬼と面識があるということだ。でなければ「彼」と言い切れるはずがないし、写真も見るからに怪しい隠し撮りだ。


「油断はしないほうがいい。先生が負けることは万が一にも無いでしょうが、彼は素早い動きで闇にまぎれる生まれながらの暗殺者だ」


 やはり、依頼人は標的を知っている。


 男はさっきから滑りまくっている口に、気がついてもいないようだ。


「貴方の話を聞いていると、まるで人殺しの依頼を受けているような気になってしまいますね。コレは鬼なのでしょう?」


 彩子は指に挟んだ写真をヒラヒラと揺らしてみせた。


「も、もちろんソレは人ではなく鬼だ。だから先生に頼んでいるのは鬼退治なのです。妖刀『電光石火でんこうせっか』の渚 彩子様」


 これは用済みになった少年を、鬼として始末しろという断れない依頼なのだ。


 ――私も随分と安く見られたものだ。


 彩子は妖は斬るが、人は斬らない。しかし、この少年は多くの命をあやめてもいる。最早もはや、人と呼ぶには適切ではないのかもしれない。


「分かりました。この鬼を斬りましょう」


「おお! 引き受けてくれますか」


 言いながら男は、懐から金の入った封筒を出して彩子の傍に置いた。幾ら入っているのか見当もつかない厚さだ。


 この手の連中は金を受け取らない者はかえって信用しない。


 彩子は遠慮なく封筒を受け取ると、写真に煙草を押し付けて焼いた。


「な、なにを! 貴重な写真だぞ」


 慌てぶりから察するに、焼き増しはしていないらしい。


「顔は覚えました。コレはもう必要無いでしょう」


 終始、詰まらなさそうにしていた彼女の表情が初めて笑顔に変わった。


 やいばが見え隠れしているような不敵な笑みは、非礼な代理人を黙らせるのに充分であった。



* * * *



 森の外れの草原。


 春らしく、霞んだ風景の中に少年と少女がいる。


 一方は欧羅巴ヨーロッパ磁器人形ビスク・ドールのように硬質な美しさを持ち、もう一人は何処かをにらんでいるような剣を持っていた。


 一方は和服、一方は洋服だが、どちらも黒尽くめなので兄妹のようにも見える。


 しかし少女が単眼の異形と知れば、隣に座る少年も何やら人間離れして人の目には映るかもしれない。


 異端いたんといってもよい二人であった。


 音無しが闇子やみこを訪ねるのは、出会った日から数えて今日で三度目だ。


 彼が闇子に会う理由の一つに「落ち着く」というのがある。


 最近、人の中に居ると、どうにも身の置き所が無い気がするのだ。


 純白の布についた一点の漆黒の染みのように、居場所無い感覚。分かるだろうか。


「今日の音無しは血の匂いがするな」


 会話の始まりを告げるのは、いつも闇子のほうからだ。音無しはその言葉を受ける形というのが多い。


「昨夜、人を斬った」


 何の感情も乗っていない声が淡々と風に乗った。暗殺が生業なりわいなのだから、殺した相手に情をかけていては仕事にならない。


「……私の存在理由は、世の中に闇をより深く広くバラ撒くことらしい」


 闇子の言葉は脈絡無く会話の流れを断ち切るが、すぐに話題が元に戻るので一種独特の話し運びになる。


 何らかの目的があって創造主はホムンクルスを創るのだから、闇子には生まれながらの役目があるのは当然だ。


 それにしても、妙な存在理由だと音無しは思った。


「人を斬ることが音無しの存在理由なのか?」


 しばらく返事を返せなかった。闇子との間に少し距離を作る。彼女に血の匂いが移りそうで、怖かった。


「俺は人を殺すことで金を稼いでいる。軽蔑してくれていい」


 ようやく口から出た言葉には、居心地の悪そうな息苦しさがあった。


 さげすまれて、そして嫌って欲しかったのかもしれない。


 人間はホムンクルスと違って、存在理由そのものを自分で探して見つけなければならない。


 それが人殺しだなんて、自分があまりにも惨めに思えた。


「何故、軽蔑しなければならない?」


 闇子の声にも感情の重みというものが無い。彼女の息遣いに混じって、単眼の大きな瞳に映る世界を自分も見ているような気がした。


 ホムンクルスには、心はあっても魂は無いという。とても空虚な存在なのだと聞いたことがある。


 ならばお互いが抱えるどうしようもない空白を、埋められないまでも半分に分けて、そのまた半分の半分でも理解することができたら――。


「何処の誰が殺されても、私には関係ない。でも音無しが死んだら、二、三日は泣くかもしれない」


 危険な共依存は幻想のまま壊れた。


 音無しはうずくまった。勘違いもはなはだしい。


 誰かに何かを期待すること自体、叶わないからこそ此処にいるというのに。


 音無しには闇子が死んでも、涙を流せる自信がない。


「これじゃ、どちらが人だか分かりゃしない……」


 独り言は頼りなく揺れる二人の影に転がって落ちた。

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