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左団扇奇譚  作者: 音叉茶
第五章『化け猫』
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エピローグ

 独りになって、もうどれくらい経つだろうか。


 気が遠くなるくらいの時間が流れたような気もするし、まだほんの少ししか経っていない気もする。


 鍋島なべしま 小夜子さよこは途方に暮れながらも、小さなあゆみを止めることなく思考の糸に手を伸ばした。


 此処ここは一体、何処どこなのか。自分は何故なぜ、此処に居るのか。思い出さなければならない大事な部分が抜け落ちてしまっている。


 洋風建築の廊下。何も映らない曇った窓硝子ガラス。薄暗い満月灯まんげつとうの明かり。分厚い扉の部屋、部屋、部屋。


 歩けども変わることの無い光景は、まるで出口の無い迷路のようだ。


 心細いけれど、飼い猫のミルクがそばにいてくれるから寂しくはなかった。


「この家からは、どうすれば出られるのでしょうね」


 ミルクに話しかける。猫から返事が返ることはないから、半分以上は独り言だ。


 絨毯じゅうたんを踏みしめる柔らかな靴音に混じって、ふと旋律せんりつが耳に触れた。


「ピアノの音……」


 あどけなさが残るつぶらな両の瞳に光がともった。


 誰かが曲を弾いているのか、音盤おんばんを聴いているのかもしれない。どのみち、音の先には誰か人が居るということだ。


 小夜子は四分の四拍子を辿って足を速めた。猫も少女の弾む足取りに続く。


 辿り着いた先は広いホールだった。伽藍がらんとした場所で洋装の青年がピアノを弾いている。


 バッハのゴルトベルク変奏曲。


 小夜子は青い髪のピアニストにゆっくりと近づいていった。足音を立てないように。演奏の邪魔をしたくない。


 アリアのダ・カーポで演奏を終えると、ピアニストは静かに振り向いて口を開いた。


「こんにちは」


 オーボエを思わせる声に、小夜子ははにかみ・・・・ながら軽く頭を下げる。


「あの……何処かでお会いしましたかしら?」


 湖面こめんを思わせるような、深く澄んだ青色の瞳に小夜子は見覚えがある気がした。


「いいえ。初めてですよ。影でない貴女あなたに会うのは」


 眼帯を付けていない小夜子。


 波のある美しい髪。白磁はくじの肌に細い体。あどけなく濡れた瞳の黒は、両目ともに可憐で愛らしい。


「私、この曲のアリアが大好きなんです」


「これは子守唄だからね」


「もう一度、弾いてくださいますか?」


「弾いてあげましょう」


 亜緒あおの繊細な指が鍵盤の上に置かれる。


 小夜子は優しい旋律に耳を傾けた。


 猫を抱く。眠くなった。


               《化け猫、了》

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