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左団扇奇譚  作者: 音叉茶
第五章『化け猫』
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鵺は人に憑き、狐は家に憑く

 四角い油揚げを斜めに切って、その三角を開く。


 それから揚げを茹でて油抜きをし、水に取ってから水気を絞る。


 そしてダシ汁を入れた鍋で煮て、落し蓋をする。


 ここまで無駄の無い流麗な動きで要領よく仕上げる。


 あとは冷めた油揚げに酢飯を詰めるだけだ。


 蘭丸らんまるは特に料理が好きと云うわけではない。ただ、彼の日常には何故か芋の皮剥きどころか玉子も割れないといったやからが周りに居ることが多く、いつの間にか台所に立つ役割が回ってきてしまうのだ。


 家事全般は剣の修行と一緒に師匠から叩き込まれたので苦ではないのだが、多少の理不尽りふじんを覚えるときもある。


 例えば今だ。


「ぎゃあ、今日も稲荷寿司?」


「分かっているくせに、大袈裟に驚いてみせるな」


 やっと起きてきた相方は大きな欠伸あくびを一つしてから、青い瞳を大袈裟にてのひらで覆ってみせた。


 芝居がかった言動で昼飯の献立に不満を訴える。


 ここのところ、『左団扇ひだりうちわ』ではほぼ毎日が稲荷寿司だ。亜緒あおでなくとも嫌になる。それは蘭丸だって同じだ。


「松茸とは言わないから、せめて秋刀魚サンマとかさぁ。せっかく秋なんだし、たまには違うもん食おうぜ」


 黒く輝く太陽は人々から季節の移ろいさえも朧気おぼろげにしてしまう。


 だから、この世界の住人は視覚よりも味覚から季節の訪れを実感することが多い。


 食事は腹が膨れれば良いというわけではなく、旬のものは日常を彩るささやかなきょうなのだ。


 それは生活の中の歓びであり、毎日を生きるための活力でもある。


ぬえは肉が食べたい」


「いいねぇ。今夜は久しぶりに牛鍋でもするか」


 いつの間にか鵺も台所に入ってきて、旬を外れた贅沢な話題で盛り上がっている。蘭丸は二人を見ずに小さな溜め息を一つ落とすと、容赦の無いとどめを刺した。


「残念だが昼飯どころか晩飯も稲荷寿司だ。ちなみに明日も明後日も。否、この先ずっとだ」


 罪無き願望に現実というやいばを突きつけられて、亜緒と鵺は無慈悲な料理人の背中をしらけた視線で突ついた。


 本気で晩のオカズに肉が出てくるなんて思っていない。


 だったらいいなという話である。とはいえ、亜緒には下心の半分くらいはあったかもしれない。


「蘭丸、何も玉響たまゆらの言うことを律儀りちぎに聞いてやる必要は無いんだぜ?」


 鵺が一生懸命に細い首を縦に振って同意を表す。


「金も無いんだ。誰かさんが神社を瓦礫がれきの山にしてしまったからな」


むらさきか! 本来なら野郎が建設費を全額出すべきなのになぁ」


 蘭丸は現状の責任は亜緒にあると言っているのだが、当の本人に自覚は無さそうである。


 一晩で倒壊してしまった神社は、不可解な現象として新聞にも取り上げられた。


 結果、新しい神社を建てるという話になり、その費用の全額を雨下石しずくいし家が持つと約束した。


 しかし、どういうわけか建設費の請求が『左団扇』に回ってきている。


 群青ぐんじょうの嫌がらせなのだろうが、おかげで『左団扇』の抱える借金が途方も無い額にまで膨らんでしまったのだ。


 請求書を紅桃林ことばやし家に回そうともしたのだが、向こうは向こうで大変らしい。


 当主である紫が、沃夜よくやとともに行方知れずなのだという。


 紅桃林家は本家、分家を含めて上へ下への大騒ぎということだ。


「稲荷寿司から開放されたければ、あのはぐれ・・・稲荷に出て行って貰うんだな」


 酢飯を団扇で冷ましながら、蘭丸の声は他人事のように台所を転がっていった。


 その言葉に亜緒は考え込み、鵺は再び首を縦に振る。


「だって私、帰るところが無いんだよ~」


 壊された神社の主が、フラフラと泣き真似をしながら現れた。相変わらずのんびりとした口調で、あまり困っているようには見えない。


「なら、紫のところへ行け!」


 鵺には玉響の存在が面白くない。


「私、妖刀使い嫌いだしさぁ」


「妖刀使い!」


 蘭丸を指差す。


「こっちの妖刀使いは、お供えしてくれるから良いんだよ~」


 玉響は稲荷神の眷属けんぞくだ。本来名前は無いのだが、亜緒がしゅを持って名付けてしまった。


 鵺には名前が無い。


 「鵺」が名前のような気もするが、本来は「よく分からないもの」という意味だ。


 玉響が名前を呼ばれるたびに、その不思議な響きが亜緒から貰ったプレゼントのようにキラキラと輝いて聞こえて、何だか羨ましい。


 ようするに嫉妬のような感情を持て余しているのだ。


 蘭丸は出来たばかりの稲荷寿司を皿に盛って居間の座卓に置くと、皆が揃うまでに番茶を淹れた。


 玉響、亜緒、鵺の順で席に座ると、彼らの遅い昼食が始まる。


 『左団扇』を始めたころは亜緒と蘭丸の二人きりだった食卓も、今では随分と賑やかになった。


 鵺は初めから居たが、その姿は最早もはや猫と云うよりは人に近く、以前の名残は頭から生えている猫耳と金色こんじきに光る瞳だけだ。


 気紛れに出て行った猫の代わりに、何処かの宿無し少女が転がり込んできたという感覚が蘭丸には強い。

 一匹という認識が「一人」に変化したのは、やはり大きいのだ。


 玉響は稲荷神の眷属だという。こちらも見ようによっては人だ。二十代前後の巫女さんという外見をしている。


 狐の耳と尾は人には無い大きな特徴であるが、実は玉響の異質はそれらとは無関係なところに顕著けんちょだ。


 事実、耳と尾を隠しても、人とは思えない雰囲気をまとっている。


 長く長く糸を引くように降りてゆく黒髪。眼鏡の奥でダルそうに垂れたうつろな瞳。常に薄ら笑いを浮かべているような青白い表情。


 のんびりとした口調と愛想の良さが彼女の異質を散らしてはいるが、やはりたたずまいは妖側に近い。


 そこが人を素体そたいにしている鵺と大きく異なる点かもしれない。


 この風変わりな客人を、蘭丸は一方的な被害者だと思っている。


 亜緒と紫が神社を遊び場・・・に選んだことで、住む処が一晩で無くなってしまったのだから瀬無せないだろう。


 わざわざ稲荷寿司を作るのは玉響を気の毒に思うところもあるからだ。もっとも、安価で出来るというのが理由の大半ではある。


 紅葉もこれからという初秋の午後は、まだ夏の残り香が家の彼方此方あちこちに居座っていて妙な気怠けだるさが溜まっていた。


 それでも日々のペエジをめくるたびに、空気のぬるさは薄まって乾いてゆく。


 わずかな秋の気配を確かめながら、談笑の小さな花が咲き始める。


 食べ飽きたものでも空腹を抱えずに済むのは幸せなことだ。


「蘭丸ちゃんの稲荷寿司はいつ食べても美味しいねぇ」


 神様に料理を褒められるというのはなかなか無いことだろうから、蘭丸は素直に喜んでおく。もちろん感情が顔に出ることなど滅多に無い男なので、本人は黙って食事を続けているようにしか見えない。


「鵺はお肉のほうが美味しいと思う」


 鵺の茶々が入るのはいつものことだ。


「蘭丸、月彦つきひこの居場所を知らないか?」


 亜緒から唐突に出た話題は、食卓を囲む皆の表情を一色に染め上げた。


 食事中に妖刀使いの話とは、如何いかにも何か裏がありそうである。


生憎あいにくと知らん。奴に用でもあるのか?」


「ちょっと野暮用がね……」


 蘭丸は月彦と旧知の間柄であるが、詳しいことは殆ど知らない。


 月彦が秘密主義というわけではなく、蘭丸が他人の私生活や過去に興味が無いからだ。


 また、蘭丸自身、過去を詮索せんさくされることを嫌う。


「あの子は昔から根無し草なんだよ~」


 稲荷寿司に満悦の玉響が嬉しそうに口を挟む。ただ、その声はユラユラとして落ち着きが無い。


「玉響、月彦を知っているのか?」


 亜緒は命の恩人ならぬ恩神おんじんに意外そうな顔を向けた。


 妖刀使いが嫌いと公言しているわりには詳しそうである。


「月彦ちゃんは、群青ちゃんが生まれるずっと前から月彦ちゃんだったから。でも、何処どこに居るのかは知らない~」


 妖刀『月下美人げっかびじん』を持つかすみ 月彦つきひこは不老不死だ。


 一つ処に住み着くのは難しい。だから居場所を移動しながらの生活になる。


 彼に会おうとしたら、どうしても偶然に頼らざるを得ない。


「仕方が無い。気は進まないけど、ノン子に頼るしかないかな」


 亜緒の妹である雨下石 ノコギリは変わった道具を使用して千里眼を行なう。


 そのためには探し人の顔と本名が必要だが、今回はそのどちらの条件も満たしている。


「『響き』とやらで探せないのか?」


「妖刀使いの響きは感じ取り難いんだ。距離が離れ過ぎていても使えないし」


 そんなに便利なものでもないのさ。と、言い捨てて亜緒は食事を終えた。


 不服そうに番茶を啜る。やはり実家へ行くのは不本意なのだろう。


 もっとも、蘭丸は相方が雨下石家を忌避きひする理由も知らないのだが。


「ところで、鵺は学校へ行かなくても良いのか?」


 今日は平日である。蘭丸は鵺が制服である矢絣やがすりはかまを着て、当たり前のように昼餉ひるげの席に座っている毎日が気になっていたのだ。


「鵺の登校は気が向いたらで良いんだ」


 無言で食事を続ける本人の代わりに、亜緒が答えた。


 元々、雨下石家の持つ権力を使って無理に学院へと編入させたのだ。鵺に学歴は関係ないし、本人が飽きたら学籍も消える。


「何だか……」


 言いかけた言葉を蘭丸は番茶の一口とともに流した。


 味気の無い学院生活だと思ったのだ。友達、授業、放課後の他愛無たあいないお喋りも含めて、人生の中で数年間だけ許された貴重な時間である。


 蘭丸が亜緒と初めて出会ったのも学生の時分だ。


 しかし、出会いが鵺にもたらすものとは何か。


 友達は鵺を残して先に死ぬ。授業で得られる知識も役に立つことは無いだろう。かつて育んだ友情も思い出も、永遠を生きる存在にどれほどの意味があるのか。


 蘭丸の視線が自然と鵺へと向いた。稲荷寿司を頬張る、感情に乏しい表情がとてもかなしく映った。


 蘭丸の憐憫れんびんは人の視点である。鵺からすれば、また違った世界という名の価値観が見えているのだろう。


 願わくばその世界が、鵺にとって笑顔とともにあればいいと蘭丸は勝手に思うのだった。

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