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左団扇奇譚  作者: 音叉茶
第四章『蛟を祀る一族』
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雨に差す紅

「雨に差すくれない」と読んでください。

 風が吹いた。


 風は不吉を運びながら鳥居を潜り抜けて、銀髪と青い髪に触れて過ぎていく。


「折角の勝負や、何や賭けまへんか?」


「すでに互いの命を賭けてるでしょ」


「僕が勝ったら蘭丸くんが欲しいなぁ」


 紫は亜緒が蘭丸を連れて来るものと思っていた。連れが鵺だけというのは予想外だ。


花一匁はないちもんめをする気はないぜ」


 蘭丸も一緒であれば、亜緒としては確かに心強いだろう。しかし、蘭丸は原則フリーの妖退治を生業なりわいとしている。


 万が一、亜緒が死んでも妖刀の所有者として妖を斬り続けなければならない。


 彼ほどの腕前なら今後、雨下石しずくいし家や紅桃林ことばやし家から直接依頼を貰うこともあるだろう。


 紅桃林家に弓引く行為は蘭丸の今後にとって、損にはなっても得は無い。


 それに元々、この死合い(※この世界では命を懸けて勝負するという意味。試合とは無関係)は雨下石家と紅桃林家の私闘である。蘭丸が貧乏クジを引く必要は無いのだ。


「刀、抜かんでもええの?」


 紫の手は既に打刀うちがたなを握っている。亜緒はその事実に気づくのが遅れた。


 間髪無く振り下ろされる刀を辛うじて鞘ごと受ける。


 豪奢なこしらえが耳障りな音と共に砕け散った。


 亜緒が普通に鞘から刀を抜いていたなら、その間に命を落としていただろう。


「反射神経はまぁまぁやね」


 紫の体内には二十の武器が仕込まれており、予備動作を必要としない。


 突然どんな武器が現れるか知れない怖さがある。


 紫と死合うとはそういうことだ。


「珍しいなぁ。亜緒くんが刀使うなんて」


 亜緒に喋る余裕は無い。紫の間合いから離れるので精一杯だ。


 砕けた鞘を投げ捨てると薄い刀身に大きな切っ先という『ニッカリ青江』独特の形状が現れる。


「またエライ名刀を持ってきたなぁ」


 亜緒は刀の価値を知らない。護身用に用意しただけのことだ。


「僕だって、剣術の心得くらいはあるんだぜ?」


 それらしく刀を紫に構えてみせる。


 亜緒が剣術を学んだのは子供の頃の数年間だけだ。


 構え一つ取っても、紫から見た亜緒の剣は児戯に等しい。


「ほな、そん腕前、見してもらいましょか」


 紫が急速に間合いを詰めてくる。





 神社の裏手では鵺と沃夜よくやが相まみえていた。


「この勝負、万が一にも紫様の勝ちは揺るがない」


 夜露を震わせるような低く通る声に、鵺は何も返さない。沃夜もまた、返事など期待してはいないふうだ。


「だから、貴女には此処で大人しくしていて貰いたい」


 いつの間にか鵺の周りには数えても意味が無いほどの蛇が集まっていた。


 シュウシュウと音を立てるもの。下をチロチロと出しては戻すもの。ジッと鵺を見ているもの。


 様々だ。


 鵺が一睨みすると沃夜を中心に雷が落ちた。太い雷光と轟音が天から落ちて辺りを焼く。


 それだけで周りの蛇は一匹残らず消し飛んでしまった。


 しかし、落雷の中心に居たはずの沃夜には火傷一つ無い。袴にすら綻び一つ見当たらないのである。


 美丈夫は何事も無かったように黙し、深い息を一つ吐いて言う。


「なるほど。とても分かり易い答えだ」


 鵺は爪を鋭い刃のように伸ばすと沃夜へと斬りかかった。


 一薙ぎの斬撃は外したが、沃夜に構わず亜緒の元を目指す。


 亜緒に危機が迫っているのを感じたからだ。


 しかし今、鵺の目の前には振り切ったはずの沃夜が居る。


 場所も神社の裏手から移動していない。


 妙だと思った。


 今度は尋常ならざる跳躍力で表側まで一気に跳ぶ。が、着地したのはやはり元の場所だ。


 ――空間が捻じ曲げられている。


 鵺は沃夜のほうを見た。


鏡面界きょうめんかい……という結界を御存知か?」


 当然、知っている。鵺は何百年もこの世に存在しているのだ。或いは何千年かもしれない。


 鏡面界は封印結界の一種で、対象を一定の場所に閉じ込める術だ。


 術者本人も結界内に留まることで、より安定した強力な限定空間を作り上げることが出来る。


 結界から出る方法は一つだけ。鏡面界を張った術者が自ら結界を解くこと。


 術者である沃夜を殺してしまったら、鵺は永遠に合わせ鏡のような閉鎖空間から出ることが叶わないのだ。


「紫様の勝負に決着が付くまで大人しくしているか。私を殺して永遠に合わせ鏡の中を彷徨うか。選べ。祀られるモノよ」


 昔は高名な術者が強力な大妖を封じるために鏡面界を張り、結界内で自ら命を絶ったという。


 今では僅かな古書に名を探すことの出来る禁断の呪法である。


 沃夜が薄く鋭い笑みを浮かべた。彼の役目は紫と亜緒の決闘に鵺を介入させないことだ。





 紫から踏み込んで、二つ三つ亜緒に刀を打ち込む。


 果敢に見えるが、明らかに手を抜いている。それどころか、斬撃は亜緒に傷を付けないよう気遣ってさえいた。


「そういうん、文字通りの『付け焼刃』言うねんで?」


 紫は詰まらなさそうに動きを止めた。このまま斬り捨てても雨下石 亜緒に勝ったことにはならない。


「まぁ、そうだよね」


 斬り合いで亜緒が紫に適うわけが無い。


 持っていた刀を紫めがけて投げつける。最早、無用の長物だ。


 迫る線形の殺意を、しかしあっけないほどの所作で紫は手の中へと収めてしまう。


 刀の扱いと慣れに天と地ほどの差がある。潜ってきた修羅場の数もおそらくは……。


 亜緒が二、三歩ほど距離を取ると、間も無くして二人の間に二体の鬼が出現した。


 前鬼と後鬼。


 前鬼は亜緒よりも数倍大きく、巨躯で筋肉質。対して後鬼は紫よりも貧相な体格で背も小さい。


 二体で一対の鬼は瞼を縫い付けられており、普段は亜緒の着物の裏に潜んでいる。


「僕の敵を殺せ!」


 目を封じているのは盲目的に亜緒の命に従わせるための呪法だ。


 前鬼が拳という暴力を紫に振り下ろそうと考えた瞬間、真っ二つにされてしまった。


「サスガに妖を斬ったとされる名刀。素晴らしい斬れ味やね」


「ああっ! ズリィぞ。青江は僕の刀じゃねぇか!」


「亜緒くんが僕に放って寄越したんやないの」


 死角から疾風の如く襲い掛かる後鬼も、紫の一振りで屠られてしまった。


 後には鬼が描かれた裏地の布だけが、二つに裂かれて不満気に風に吹かれている。


「見鬼の僕に鬼を仕掛けるなんて愚策やで?」


 紅桃林家の人間は代々見鬼を持って生まれる。本来は鬼退治に特化した家系なのだ。


 それが妖退治にまで首を突っ込んでくるから、雨下石家とややこしい話になったりする。


「蘭丸くんを僕に渡してくれれば、今回は大人しく引いてもええよ?」


「いやに蘭丸に拘るじゃないか」


「僕は美しくて強いものが好きなんや。深い意味はあらへん……」


「蘭丸は善人だ。今時珍しい馬鹿がつくくらいのね。だから、僕のような悪人がついていなきゃならないだろ?」


 紫が分からないという顔をする。


 亜緒が悪人かどうかは置くとして、蘭丸と一緒に居る理由にはなっていないような気がする。


 もっとも、言葉の半分くらいは思慮を無視した思いつきを口にするような男である。いちいち真に受けていたら話にならない。


 それに会話の進行を故意に曲げて時間を稼いでいる可能性もある。


 雨下石 亜緒が油断ならない男であることを、紫は重々に承知だ。


「亜緒くんには大事なもんがありすぎるんや。鵺、妹さん、蘭丸くん、他かて何人かおるんやろ? そら、僕らん業界ではわざわざ殺ってくれ言うてるようなもんやで」





 夜の向こうから、この勝負を人の身でただ独り眺めている者が居た。


 雨下石 群青。最強にして最凶の退魔師。人も妖も、彼に会わないが吉とされる雨下石家の当主。


「なんだ。紅桃林の小僧、肝心なことは馬鹿息子以上に分かっているのじゃないか」


 闇が拡がる大広間に行灯を一つだけ灯し、高みの見物を決め込んでいる。


 キセルを一口吸った口元から、白い煙と黒い笑いが辺りに溶けてゆく。


 彼には場所も距離も、遮蔽物や時間さえ関係ない。


 正真正銘、掛け値なしの千里眼。見たいものも、知りたいことも、全て居ながらにして分かってしまう。


 それはもしかしたら不幸なことかもしれないし、そうでないかもしれない。


 群青が行灯を一睨みすると、炎が一気に燃え上がり行灯そのものまで消してしまった。


「過ぎた炎は器まで焼くものだ」


 暗闇の中で、良く通る声の形が何処かへ転がり落ちて無くなる。


 広間には再び夜の静寂が戻った。


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