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左団扇奇譚  作者: 音叉茶
第四章『蛟を祀る一族』
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雨下石 亜緒の憂鬱

 闇の真ん中でぼうと光る薄明かりがあった。


 広くて暗い座敷の中。障子には大蛇の影がのたうつ。


「どないした? 何かあったんか?」


 紫は自分の夢の中に殺子さちこの気配を感じて闇の中へと声を投じた。


 殺子が入ってくると、夢は急に曖昧さを失いリアルさが増す。


 意識も明瞭になり、覚醒したようになる。


「ごめんなさい兄様。雨下石 亜緒に私たちの目的を見透かされてしまいました……」


 殺子は闇から出ずに返事を返した。


 合わせる顔が無いといったふうで、声には元気が無い。


「さよか。気にすることないわ。バレたところで何も変わらしまへん。亜緒くんを本気にさせるのが目的やったんやから」


 半端なことでは本気にならない。沸点が無いような男である。


 本気になった亜緒と真剣勝負をするのが紫の望みなのだから。


不知火しらぬいあやめました」


「あらら」


 紫は着崩れた紅藤色の着流しを直しながら、ついでのような声を上げた。感情が乗らず、軽い。


 不知火は紫の体に武器を仕込む役目を持つ紅桃林ことばやし家の施術師せじゅつしだ。


「兄様の秘密を雨下石 亜緒に知られるわけにはいきませんでしたから」


「それは、ちょっと早計やったかもわからんね」


 突然火が現れて、紫は銜えたキセルに赤を灯した。


「おそらく、亜緒くんは不知火から秘密を聞き出す手段を持ってへんかったやろ」


 紫の言葉に殺子は唇を噛んだ。やはりハッタリであったのだ。


 殺子は夢の中で至極単純に情報を手に入れることが出来る。それは駆け引きを知らないということでもあった。


「そないなことより、殺子が久しぶりに夢の中へ来てくれたんや。もっと傍にぃ。顔が見たいわ」


 殺子は返事を逡巡に代えて答えた。


 きっと懐疑と嫉妬で表情は歪んでいるに違いない。


 ――紫と沃夜よくやの関係は誰よりも深い絆で結ばれている。


 雨下石 亜緒が放った言葉は、未だ鎖のように殺子の思考を縛っていた。


 自分と兄の仲を裂こうと画策する彼の嘘であると自身に言い聞かせても、懸念は勝手に頭の中を動き回る。


 これは雨下石 亜緒がかけたしゅだ。そして、こんな呪に振り回される自分には疑念があったということでもある。


 殺子は心の何処かで「もしかしたら」と兄をいぶかしんでいたことになるのだ。


 いっそ、この場で『抗えない質問』の能力を使って兄から本心を聞いてしまえば惑わされずに済むのだが、殺子はこんな下品な質問で兄を汚すようなことは出来なかった。


 それに聞かずとも確信がある。


 何度か訪れた紫の夢の中で、殺子は沃夜の姿を見たことが無い。


 二人が恋仲であると云うならば、夢の中に一度はその姿を認めても良いはずだ。否、確認できなければ変である。


 障子に映る蛇の影が激しく暴れ始める。


 紫の夢には必ず何処かに蛇の影が存在する。


 それが何を意味するか殺子には分からないが、蛇は殺子を何故か苛立たせるのだった。


「亜緒くんは他に何や言うとったかな?」


「本気で兄様を殺る……と」


 紫は殺子の言葉にニヒルな笑みを浮かべると、キセルに口をつけてから紫煙を闇に向けて吐いた。





 亜緒が目を覚ましたとき、最初に視界に入ったのは見慣れた天井だった。


 直ぐに体中に痛みを感じて自分がどうなったのかを思い出す。


 紫に対して無茶な符術を使用して死にかけたのだ。


 あのときに亜緒は紫を殺すつもりで仕掛けたのだから、自分が死んだとしても文句はいえない。


「よくもまぁ、生きていたものだ……」


 無意識に思いが口に出た。


 もしかしたら、自分は既に死んでいるのではないかと思ったからだ。


 どうやら、何とか生きてはいるらしい。


 ゆっくりと布団から体を起こすと、寝間着の下は治癒の呪言が書かれた包帯と呪符だらけだった。


 鵺の的確な処置が無ければ本当に死んでいたかもしれない。


 右手を見ると枯れたダリアの花が渇いた音を立てながらあった。


「ちょっと、虐めすぎたかな……」


 未熟さの腹癒せを殺子に押し付けた不甲斐無さを少しだけ反省する。


 自己嫌悪なんて大袈裟なものではないが、情けなくは思う。


 紫の亜緒に対する執着と殺意は同族嫌悪だ。


 亜緒と似たような環境で育った紫は、自分と亜緒を意識して比較している。


 どちらが強いか。


 どちらの苦しみが重いか。


 安穏と暮らしてきたほうが死ぬべきだ。


「僕は紫と戦いたくないんだけどなぁ……」


 そもそも戦う理由が亜緒には無い。


 それに紫は強い。


 亜緒は勝てる相手としか戦わない主義なのだ。


「そないはさせまへん」


 いつの間にか部屋の影に白い蛇がいた。


 ただの蛇ではない。紫の使いである。


「僕と戦う気があらへんなら、本気になるまで亜緒くんの大事な人を殺さなあきまへん。そんなん、嫌やろ?」


 蛇は紫の声で紫らしい言葉を吐く。蛇を通して自分の意思を伝えている。


「お前、妖に限らず殺すの好きだもんな」


「今宵の丑三時、子供の頃に遊んだ神社で待っとるさかい。必ず来てや」


 他者の気配を感じ取った蛇は紅い目を光らせながら闇に帰った。


 入れ違いで鵺と蘭丸が入ってくる。


「やっぱり、亜緒起きてた」


 鵺と亜緒は特別な絆で繋がっているらしく、離れていても状態などが分かるらしい。


 亜緒の目が覚めたというので、蘭丸も一緒に様子を見に来たのだった。


「兄様、具合はどうですか?」


 聞き慣れない声が一つ、座敷の空気を振るわせる。


「ああ、何という痛々しいお姿!」


 ノコギリの声音には歓喜が溶けているようにも聞こえた。


「嬉しそうだね。ノン子……」


「そんなことありませんわ。包帯だらけのお姿をお守り差し上げたいとか全然思ってませんから」


 ノコギリは着物の袖で微笑む口元を隠す。


「鵺……」


 水色の瞳の端に袴姿のネコミミ少女を映しながらノコギリは安堵した。兄の身体に大事はなさそうだ。


「ご苦労様でした」


 ねぎらいの言葉にネコミミを寝かせて俯く。鵺は亜緒を護れなかったことを悔いているのだ。


 怪我は不相応の呪符を安易に使用して自爆した亜緒に責任があるのだが、鵺は雨下石家の跡取りを護る本能を持つから簡単には割り切れない。


「紫とやりあったそうだな」


 満身創痍の亜緒に視線を落としながら、蘭丸はため息をついた。事の詳細は鵺から聞いたのであろう。


「まぁね……」


 先に手を出してきたのは紫のほうなのだが、亜緒にもその気が無かったわけではないから言い訳は出来ない。


「蘭丸は僕と紫、戦えばどっちが勝つと思う?」


「知らん!」


 鵺を祀る雨下石家の嫡男と、みずちを祀る紅桃林ことばやし家の当主。もっとも、紫は当主になってからまだ日が浅い。


「あの男には関わるな。危険な感じがした……」


 それだけ言うと、墨黒色の着流しを纏った剣客は部屋から出て行ってしまった。


「これは私たち雨下石家に対する宣戦布告ですわ!」


「大袈裟だなぁ、ノン子は」


 亜緒の笑顔の裏にはノコギリを巻き込みたくないという思いが隠れている。


 紫の狙いは、あくまで亜緒一人だけなのだ。


「兄様、父様から伝言を預かってきてますわ」


 亜緒の顔色にあからさまな嫌悪の色を確認すると、笑いを堪えながらノコギリは指で目尻を吊り上げ、群青らしい口真似で言う。


「紫の小僧には死んでも勝て。負けて命があっても私が亜緒君を殺すからね……ですって」


 しっかりと特徴を捉えているノコギリをサスガに娘だと思う息子であった。


「兄様が負けることなんてありませんのにね。父様ったら心配性」


 ノコギリの頭の中では既に亜緒が紫を這い蹲らせている光景が出来上がっているのだろう。


 屈託無い笑顔で鈴のように笑う。


 その影で、親父なら本気で自分を殺るだろうなと亜緒は確信する。


 そういう家であり、そういう父である。


 どうやら亜緒とノコギリでは、群青に対する認識にだいぶ開きがあるようだ。

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