彼女はどのようにして死に至ったのか?
ノコギリのクラスの四時限目は亜緒が教壇に立っていた。
教室に入ってくるなり腹の虫を盛大に鳴かせてしまい、生徒たちの失笑を買ったのだ。
しかし、その和気藹々とした雰囲気はすぐ緊張に変わった。
「人は何故自殺をしてしまうのか? を、今日は考えてみたいと思います」
教室がざわめきだす。
このクラスでは一ヶ月ほど前に生徒が亡くなったばかりなのだから無理も無い。
事実イジメはあったし、薬師寺 範子は事故ではなく自殺だったという噂も真しやかに囁かれていた。
「はい、そこの頭良さそうな君!」
亜緒に指名? された北枕 石榴は静かに起立した。
艶のある長い髪が滑らかに揺れる。
「君はどう思うかな?」
伊達眼鏡をかけた青い髪のエセ教師が不敵に笑っている。
「結局のところ――」と、彼女は意見を述べ始めた。
「どんな理由であれ、自殺なんてしてしまう人間は弱いのだと思います」
「うん?」
石榴は自殺者イコール弱者であるということを強調した。
「そんな人間が社会へ出ても皆の足を引っ張った挙句に結局死を選んで、さらに迷惑をかけるだけだと思います」
「はーい、ハズレ! 間違いでーす」
亜緒が笑顔で石榴の主張を否定する。
「僕は強いとか弱いとかを聞いているのではありません。人は何故、自殺をするのか? を聞いています」
亜緒が掌を上下させると石榴は渋々と着席した。
「結論から言うと、自殺というものは己の中にある矛盾を正すための行為だということです」
生徒たちは皆、ワケが分からないといった表情を近くの席同士で見合わせた。
ふざけた偽名の教師は話を続ける。
「先ず、自殺というものは、肉体が死ぬよりも先に心が死ぬという事実に着目してください。何らかの外的要因によって心が殺されると云ってもいい」
それが自殺の第一段階だと亜緒は言う。
「そのためには『心』と『思考』は別物だということを皆さんに理解してもらわなければなりません」
「心と思考は同じものではないのですか?」名も知らぬ生徒が手を挙げる。
「心と思考をセットにしたものを『精神』と呼ぶので間違いではありませんが、やはり心と思考は別物と云えます」
亜緒は少しだけ考えるような仕草を作ってから、また口を開いた。
「心は受信機で、思考は発信機。こんなふうに例えると分かり易いかな?」
何人かの生徒がなるほどといったように頷く。
「心はいろいろなことを感じ取って楽しんだり傷ついたりする。思考は体に命令することで行動を促す」
心と思考。受信機と発信機。
「ここまでは良いかな?」
亜緒は伊達眼鏡のブリッジを人差し指でついと上げた。
「さて、何らかの原因によって受信機が壊れたとします。心が何も感じ取ることが出来なくなった状態です。それでも発信機のほうは生きています。思考して肉体に命令は出来る状態です。ここで人は違和感を覚えます。心と体の乖離です。矛盾と云ってもいい」
――心は死んでいるのに、何故肉体のほうは生きているのか?
「この矛盾を解決するために思考は自らの肉体を殺すよう発信するわけです。肉体のほうも死ななければ辻褄が合わない……と。これが自殺の行動心理です」
教室の中に暫し沈黙が降りる。
「先生、何を仰りたいんですか?」
石榴がイライラとした口調で亜緒に疑問を投げた。
「あれ? 分かりませんか? イジメは殺人だと云いたいのです」
生徒の誰もが口をつぐんだ。
心当たりのある者は言葉無く、見ぬフリをした者は黙して考えた。
もしかしたら、何か行動を起こせたのではないか……と。
「先ほど弱者という言葉が出ましたが、弱いことと悪いことはイコールではない。何も強者だけが世の中を動かしているわけでは無いし、何を持って強者と定義付けるのかも曖昧だ。僕の考える強者とは傲岸不遜に振る舞う者ではなく、自身の弱さに立ち向かえる勇気を持った者、持とうとする者だと思います」
亜緒は鵺の席の後に視線を当てていた。
そこにはもう居るはずのない生徒が立っている。
「もしも僕の話で罪悪感に苛まれる生徒がいたとしたら、自身を見つめ直して変わろうと努力をしてみてください。同じ過ちを繰り返さないよう自分を戒めることは、紛うことなき強者の行いなのだから」
授業終了のチャイムが鳴って、学院は昼休みに入った。
亜緒の授業は多感な女生徒たちから賑やかな昼休みの話題を少しだけ奪ってしまったかもしれない。
日常を彩る会話の中に、どうしても少しの影が差してしまう。
それでも多少なりと刺激を受けた生徒もいたようで、授業の内容を話題に乗せている者たちもいる。
そんな中、鵺とノコギリは教室内の空気など御構い無しにマイペースだ。
「皆、兄様の言霊に良いように毒されちゃって……」
「鵺はどう思います?」気になったので一応聞いてみた。
「鵺には関係の無い話だった」
答えは予想の範疇だった。心とか肉体とか自殺とか、鵺には本当に無縁のものだ。
「ところで鵺、アナタどうして起立も礼もしないの?」
これも気になったささやかな疑問だった。
「起立? 礼?」
「授業の初めと終わりに皆、お辞儀をしているでしょ?」
「アレ、鵺もやらないとダメなのか?」
「あーったり前ですわ! 此処は雨下石の家ではありませんのよ。どこまでお姫様気分でいるつもりですか」
ノコギリは呆れた。よくもこれまで注意を受けずに済んだものだ。
鵺はそんなノコギリに取り合いもせず、青い四葉のクローバー柄のランチクロスに包まれたお弁当を机の上に広げた。
卵焼き、アスパラガスのベーコン巻き、タコさんウィンナー、炒めた野菜の色とりどりが白いご飯に映える。
「あら? パンの耳じゃないのね」
鵺がマトモなお弁当を持ってくるとは思っていなかったから、ノコギリは重箱に二人分の昼食を詰めて持ってきたのだ。
ひけらかして羨ましがらせてから鵺と分けるつもりだった。
初めから鵺の分も用意しておきながら、一旦見せ付けてからというのがノコギリらしい。思考が捻くれている。
「亜緒と蘭丸が早起きして作ってくれた」
「な、なんですって!」
ノコギリが驚愕する。亜緒が玉子も満足に割れないことを知っているからだ。
しかも、あのグウタラが早起きしてまで慣れない料理に取り組む姿を想像すると、さらに嫉妬の一つもしたくなる。
「鵺、私のお弁当と交換しない?」
ノコギリは引きつった笑顔を作って取り引きを持ちかけてみた。
兄が悪戦苦闘しながら作った料理を味わってみたい。純粋な興味が湧く。
「交換しない」
鵺の返事は素っ気無い。
「こっちのほうが美味しいし、ボリュームもありますわよ?」
ノコギリの弁当は雨下石家お抱えの料理人が毎朝用意してくれるもので、栄養のバランスは申し分なく、味についても保障付きである。
「亜緒と蘭丸の心が籠もっているほうが、鵺には美味しい」
そういう機微が分かるようになったのは、成長と云えるのかもしれない。
同時に鵺らしくないとも云える。
「でも兄様の作った料理なんて、たかが知れた味なのでしょ? だったら――」
ノコギリと鵺の会話の最中、一人の好奇心旺盛な生徒が鵺の耳にそっと触れた。
瞬間、耳はピクピクと生徒に向いて応える。
「あ、あの……」
生徒は不思議そうに鵺に話しかけた。
「その猫のような耳は何ですか?」
「ファッション!」
ネコミミについて聞かれたら、そう答えるようにと亜緒から教えられたのだ。
それで誤魔化せるからと。
「髪飾りみたいなものですのね」
「ファッション!」鵺は食事をしながら無機質に返事を返す。
「何処でお買いになられたものですか?」今度は別の生徒が質問する。
「触っても宜しいですか?」さらに別の生徒。
「その黄玉のように綺麗な瞳も?」
「ファッション!」
気がつけば鵺の周りには、ちょっとした興味の人だかりが出来ていた。
返事をする間も与えない質問の流れ、耳に触れる指、頭を撫でる掌が鵺をがんじがらめにする。
もう食事どころではない。
騒動の隙を突いてノコギリが鵺の弁当を摘まみ出す。
「コラ、止めろ。それは鵺のだ!」
「良いじゃありませんの。減るものでも無し」
「弁当は減る。食べたら減っていく!」
鵺の訴えは当然、聞こえてはいるがノコギリには届かない。
「お、美味しい! 兄様ったらやっぱり才能を隠していたのね」
卵焼きからアスパラのベーコン巻きへとノコギリの箸は次から次へと伸びてゆく。
「コレも美味しーい! 私ったらまた一つ兄様の秘密を知ってしまいましたわ!」
「やめろ! 馬鹿ノコギリ!」
「私は桜子ですわ。ノコギリなんて名前は知りませんことよ?」
ノコギリは鵺のお弁当を頂いて機嫌が良い。
しかし、亜緒は蘭丸が作ったお弁当をランチクロスで包んだだけなのであった。




