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左団扇奇譚  作者: 音叉茶
第三章『隠れ鬼』
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家族

 この世界は金環日食のような太陽のせいで、昼間から逢魔時のような薄暗さが人々を支配している。


 空に茜が差すことも無く、黒い太陽が稜線に落ちると辺りは尚闇に染まり、人々は昼間以上に灯りを求め出す。


 行灯の数を増やしたり、殊更に笑い声を上げて賑やかに振る舞い心身から闇を遠ざけようとする。


 それは民間ならではの妖を近づかせないためのまじないのようなものであった。


 効果があるのかどうかはさておき、精神を高揚させるための笑いや会話はこの世界に住む人々にとっては必要不可欠な習慣として根付いて久しい。


 変わって雨下石家では市井しせいとは真逆の考え方で成っている。


 闇に慣れ、馴染み、制する。


 『無間の間』を支配する闇は行灯の橙で薄まっているとはいえ、やはり闇だ。


 そこには笑いや賑やかさとは縁遠い静寂を尊ぶ者達が揃っていた。


 もっとも、この場に現れる妖がいるとすれば飛んで火にいる何とやらというヤツであるが。


 茶を点てる音が響き、抹茶の香りが闇を削る。


 丁度ノコギリが皆に茶を振舞い、話は本題へと移る頃合いだった。


 花入れには雪柳の白が灯りを吸ってぼうと光っている。


「鵺が猫耳少女となってしまった以上、私はある計画を実行に移さなければならなくなった」


 群青が鵺を呼んで膝の上に載せると、亜緒の顔にはあからさまな嫌悪の表情が浮かんだ。


 陰影の中でそれに気づいたノコギリが水色の瞳を不愉快そうに揺らして、茶を点てる音に雑が加わる。


「鵺は人の通う学校に興味があるかい?」


 亜緒、蘭丸、それとノコギリは自身の耳を疑った。


 あまりにも突飛な質問からは、鵺を学校へ通わせたいという群青の願望が透けて見えたからだ。


 鵺も微妙な表情を群青に向けている。決して肯定的なそれではない。


「私はそれほど驚くような意見とは思わないけどね」


 大きめの手提げ袋が群青から鵺へと渡る。


 手提げの中身を確認すると鵺の瞳に憧れの輝きが宿った。


 彼女? の望むものがその袋の中には入っていたからだ。


 袴は無地の臙脂えんじ色。

 着物は西陣御召にしじんおめし

 赤い矢絣やがすりの柄。


 ノスタルジックな雰囲気を醸す女袴は、どうやら制服のようだ。


「これ、着てもいいのか?」


「もちろん、学校へ行くならこの服は鵺のものだからね」


「あいわかった。鵺は学校とやらへ行ってやってもよい」


 鵺は興奮しているのか、しきりに黒髪から突き出た猫のような耳をピクン、パタパタと動かしている。


 先日のノコギリが着ていた女袴が余程羨ましかったらしい。


「はい、決まりね」


 鵺と群青の間には当然、亜緒よりも深い絆が存在する。


 亜緒にはそれが理屈を超えてどうしようもなく気に入らなかった。


 二十歳を超えた反抗期というのも妙な話だ。


「待ってくれ、父さん。鵺を学校へ通わせるなんて無茶だ!」


 亜緒が群青に初めてマトモな口を利いた。彼にしては珍しく感情を昂らせている。


「だって、そのほうが面白いだろう?」


「鵺はまだ人の世というものを知らなさ過ぎる」


「だからこそさ。学校というのものは社会の縮図のような場所だからね」


「それにしたって――」


「亜緒君は鵺離れが必要かもなぁ」


 群青の一言にノコギリが小さく笑った。


 嘲るようなその仕草に、亜緒は面白く無さそうにそっぽを向く。


 物心付く頃には、亜緒にとって鵺は一番の家族で友達で理解者だった。


 亜緒と鵺の間にも一言では片付けられない絆というものが存在する。


 複雑な関係と感情を「鵺離れ」の一言で済ませて欲しくはない。


「亜緒、心配するな。鵺は学校へ行ってみたいと思う」


「鵺がそう言うなら……」


 渋々と亜緒は引き下がった。


「大丈夫だよ。編入させるのはノコギリが通っている子芥子こけし女学院だから。悪い虫も付きようがないさ」


 その言は亜緒を安心させることはなかった。


 おそらくは鵺に対して情の薄いノコギリが、鵺をサポートするとは到底思えないからだ。


「これはね。鵺の霊格をとした亜緒君への罰でもあるのだよ?」


 それを言われたら、亜緒には一言も無い。


 今の鵺の現状は亜緒に全ての責任があるのだ。


 それは禁忌であり、本来殺されても文句は言えない。


「父様、鵺の霊格を堕とした罰って、たったそれだけですか?」


 果たしてそれは本当に罰なのか。


 罰らしくない罰に、ノコギリは不満たらたらな様子だ。


 学校で鵺に気を遣わなければならない自分が一番貧乏クジを引かされているような気さえする。


「それじゃあ、亜緒君にも学校へ通ってもらおうかな」


 群青は愉快そうな声で笑った。


 群青の言葉は無茶苦茶である。が、絶対でもある。


「学費、経費、その他諸々の出費はこちらで出すから経済的な問題は心配しなくてもいい」


 此処では皆、多かれ少なかれ群青の支配下にあるようなものだ。


 それだけの実力と影響力を備えている。


 ただ、鵺だけは例外だ。


 鵺だけが群青に意見出来るし、我を通すことが出来る。


 此処はそういう家だった。




「父様は鵺を元に戻せないのですか?」


 亜緒たちが帰った後に、茶の道具を慣れた手つきで片付けながらノコギリが群青に問う。


「今の鵺も悪くないじゃないか」


 答えになっていない感想を口にしてはぐらかす。


 群青は肝心なことは何も喋らない。


 人の誰よりもこの世が視え、時には理さえ曲げてしまうこの男には問題の行き着く先が分かる。


 問題そのものが呼び込む結果だけが在るから、質問も答えも彼には然程さほど意味が無い。


 それが面白ければそのままにするし、気に入らなければ変える。


 群青にとって世界は刺激を得るための道具でしかないのだ。


「父様は兄様と鵺に甘過ぎると思います」


「鵺の件、私は完全に許したわけでは無いよ? いずれ亜緒君には相応しい場所で相応しい罰を受けてもらうさ」


 言いながら群青は目隠しをゆっくりと解いてゆく。


 やがて現れた素顔は精悍な輝きと精彩の活気に溢れた美丈夫だった。


 亜緒から惚けた雰囲気を抜いて、成長させてニヒルさを加えたような顔立ちは父というよりも兄といったほうがシックリとくる。


 そして、やはり印象深いのは、切れ長の目元の奥に輝く深いアズライトのようなまがを孕んだ瞳の青。


「そういえば、君のクラスで自殺した生徒がいただろう」


「はい」ノコギリがやや機械的に答える。


「どうして彼女は自殺したのかな?」


「さぁ?」と、今度はやや芝居がかった声音で返事を返す。


 群青はノコギリのことを「君」と呼ぶことが多い。


 特に二人きりになると、殆どがそうだ。


 ノコギリが本名を呼ばれるのを嫌うという理由からでは無い。


 ただ単純に、群青にとってノコギリは「君」以上でも以下でもない存在ということだ。


 ノコギリの名前コンプレックスは可愛いとか可愛くないとか、そんなレベルの話ではない。


 父に大事を持って呼んでもらえない名であるからだ。


 雨下石家に相応しくない黒髪と薄い水色。


 そこには根が深い血の問題が横たわっている。


 故に自分の名前が嫌いなのだ。


「君はクラス委員だろう? クラスで何か問題でもあったんじゃないのかい?」


 死んだ女生徒は、わざわざ校舎のバルコニーから飛び降りているのだ。


「父様、自殺なんて今時の女学生の流行りみたいなものですわよ」


性質たちの悪いクラス委員だね」


「性質が悪いのは父様の方ですわ」


 自殺した女生徒の顔も名前も原因も、群青はすべてを知った上でノコギリに聞いているのだから。

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