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助けて、欲しかったの。
屋上のドアは鍵がかかっていた。何度か紀磨が鍵穴を鳴らすがびくともしない。苛立ったように彼女は袖口からナイフを一本取り出そうとし―
「紀磨、どいてください!」
瞬間≪未来予測≫が発動した。自分が斬られる未来、それを変えるために体を伏せる。
―一瞬風の音がして、次の瞬間には鍵穴ごと扉が斬られていた。
「……ッ、捻子!!あんたね!」
危ない、と言おうとして、薙刀を携えた捻子の様子がおかしいことに気が付く。どうしたの、と声を上げようとしたとき。
「……どうして、ここに?」
捻子の口から零れ落ちた言葉。彼の視線を辿ると、少女が立っていた。間違いない、未来をみとった彼女だ。紀磨は咄嗟にナイフを構える。なんせ彼女はほぼ間違いなく、この一連の出来事の主犯なのだから――しかし捻子はいつまでたっても彼の武器である薙刀を構えようとしなかった。
「こんにちは、捻子くん」
「朱円さん…」
捻子が破壊されたドアの瓦礫を踏み砕いて歩を進めた。ところでこれは誰が弁償してくれるのだろう。紀磨もまた彼女の元に近づくべく、警戒しながら前に進む。捻子の知り合いらしい彼女の様子は極めておとなしく、少なくとも「このような」状況を引き起こしたとは思えなかった。
「朱円さん、貴方が、これを?」
「…勘違いしないでね。あの人は、自分から飛び降りたんだよ。私のせいじゃない」
眉を寄せてやんわりと否定する少女。しかしそこで彼女は「でも困ったなぁ」と小首を傾げた。残念ながら既に紀磨が見た≪未来予測≫は外れている。紀磨と捻子がこの場に足を踏み入れた瞬間に。彼女が、どう動くのか。
「朱円さん、と言ったかしら。貴方の力は何?どうしてこんなことしたの?」
すると彼女は意外にも素直に返してくれた。
「私の力は≪朱店≫っていうの。多分捻子君たちが予想していた通り。対象の人に怪我をさせる、引き寄せる≪力≫だよ。さっきの子は、私を殺そうとしたの。ここから突き落とそうとしたの。だったら、やり返されてもしょうがないと思わない?」
同意を求めるように伝えられた言葉に紀磨は思わず足を止め、ぞっとした。その瞬間、捻子が身を翻すと紀磨の前に立ち、薙刀を振るった。ギン、と金属と金属が重なる音がして何かが転がるのが目に入った。――小さい、ナイフ。どこから飛んできたのか、と考え朱円がこちらに投げたのだと気が付いた。
「朱円さん…」
おそらく彼女自身のスペックはあまり高くないのだろう。しかし彼女の≪力≫が補助して朱円自身の能力を上げているのだ。朱円は投擲の姿勢から体を戻した。
「貴方を殺そうとした、どうして」
「私ね、バレー部で虐められてた」
「「!」」
朱円はぎゅっと掌を握りしめ、胸の前で祈るように目を瞑った。そして彼女の独白が続く。
「辛くて、苦しくて、どうしようもなくて、そんなときに私の≪力≫が味方してくれたの。初めてだった。私の≪力≫が役に立ったこと。捻子くんと会ったのはいつも昼休み終り頃だったね。あの時もね、汚れた服とかどうにかしないといけないときでね。」
誰もいないと思ってたからびっくりしちゃったの、と呟く少女の声は強く、見た目に反してか弱さを感じさえさせなかった。
「虐め………。」
もうやめましょう。捻子は紡ぎたかった言葉を何とか飲み下した。そんな言葉、いえない。既に一人、彼女は殺めてしまったのだ。例え彼女自ら下したわけではないとしても、確かに彼女が原因の一つとなっているのだ。
今更、遅いことなのだ。
「捻子君、私ね。止めてほしかったんだよ」
とめる。
口がカラカラで、気持ちが悪い。
「こんなこと、するなって……けど不思議だよね、貴方といると心がすっと楽になるの…貴方の傍でだけは、私も平常でいられたんだ。…でも、でもね」
もう結局、だめだったんだな、って。
そこで彼女はくしゃりと顔を歪めた。一瞬にして、泣きそうな表情になった。朱円は歩を下げる。一歩、一歩。何を意図するのか察した紀磨は足を踏み出そうとした。すると朱円が鋭く忠告を上げた。
「来ないで!今、近づいたら……私、自分の喉笛、切るよ?」
ナイフ。
切っ先を自分の喉元に当てて、彼女はまた一歩後ろに下がる。その様子に紀磨は声を荒げた。
「バカなこと考えるのはやめなさい!確かに貴方はだめだった…間に合わなかった、かもしれない…だけど、それでも貴方がその道を選ぶことに何の意味もないのよ!」
「優しいね、紀磨ちゃん。ふふっ、捻子君が一緒に居る子だけあるなぁ。でも、ごめんね。私、…責任取らなきゃだもんね?」
こんな、こんなこと、して。
悲鳴のように紡がれる言葉に胸が痛い。紀磨はどうにもできず、ギリッと唇を噛みしめた。何か、方法は、何か。
――捻子の目に紫の花弁が映った。
ヒラリ、ヒラリ、と途切れることなく舞い散る紫。そして自分と朱円のちょうど中間あたりに、長い衣のポケットに両手を入れ、こちらを試すように見つめてくるその瞳。
『君が、気付けなかったから。そしてそれは変えることなどできやしない。なんせ過ぎてしまったことだからさ』
また一歩、朱円が後ろに進む。もう何歩も行けばそこは手すりだ。そして―――下は、地面。
『また君は、罪を負うことになるわけだ』
おめでとう
言葉にならず、唇だけがそう紡がれるのを捻子は見る。知らず手に持った薙刀に力が入った。
「………、嫌です。」
「ありがとう、捻子君。君と居れた時間すごく短かったけど、とっても楽しかったよ。」
朱円の後ろには青空が広がっている。
―落ち着いた?
彼女の優しい声が蘇る。ゆっくり、捻子は深呼吸をした。
「さよなら、捻子君」
朱円の目尻から涙が零れ、手すりに指先が辺り、脚が地面から離れる。
その瞬間、捻子は叫んだ。
「――『君の願いの代償を』!!!」
目の前の少年が笑みを深く刻んだ。それから何かを受けるかのように、目を細める。
『≪幻の揺らぎ≫』
「『俺の誓いに背負わせて』――彼女を、俺は見捨てたくない…!!」
二人の声が重なった。