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翌日、その日も捻子は昼休みに屋上に来ていた。今日は残念ながら空を楽しめれる気分ではなかったが。
「また、けが人が増えたみたいですね。…なんだか、一日に休む人が更に増えたような気がします」
『≪力≫についての検討はついたの?』
朝霧に問われ、捻子は言葉に詰まる。その反応に喉の奥で笑ってみせた朝霧に捻子は眉を寄せて尋ねた。
「朝、本当は≪力≫が何なのかわかっているんじゃないですか」
昨日と同じ手すりに腰を下ろしたまま、朝霧はコテンと首を傾げた。
『学校を飲み込めるほどの力ではないことは確かだろう?そんなことを言ったら君も巻き込まれを受けているだろうしね。大体、君も感づいているんじゃないかな?』
「……呪詛、のような≪力≫ではないかと思っていますが、」
しかしその≪力≫が呪詛の類だとしても先輩を呪ったりするだろうか。そう考えたのを見透かしてか、朝霧はゆったりとした袖を振った。
『昨日話していたじゃないか。縦社会が激しいところなのだろう。どんな扱いを受けていたのか知らないが、おそらく呪い殺したいと思うほど残忍なものなんじゃないかな?』
いやぁ怖い怖い、朝霧は呟く。お弁当をつつく手を止め、捻子は朝霧の顔を見上げた。彼は自分を見下ろしてニヤニヤと人の悪そうな笑みを浮かべている。その様子に吐息さえこぼれた。
「朝に言われたくはないと思いますよ…」
『心外だな』
わざとらしく肩をすくめる動作に捻子は紡ぎそうになった言葉をおかずと一緒に飲み込んだ。それから手早く弁当箱を片付ける。
「聞き込み、少しでもしないといけませんね」
頑張らないと。そう活き込みながら、捻子はドアを開けた。
「あ」
「捻子君」
弁当箱を片手に、今まさにドアを開けようとしていたらしい朱円の姿があった。
「またここでお弁当食べてたのね」
「ええ、まぁ。…そういえば、朱円さんって何部でしたっけ」
クラスの者には話を聞いて回ったが、朱円は今日遅刻をして学校に来ていた。どうやら病院に寄ってきたらしい。そのため聞き込みが済んでいなかったことを思い出した。それを聞いた朱円は、
「バレー部だよ」
「…!」
球技。朱円はドアを越えた先に広がる晴天に「おお」と感嘆を漏らした。
「今日も良い天気だねぇ」
ペタリと座り込んでお弁当を広げだした朱円に捻子は口を開いた。
「すみません、聞きたいことがあるんですけど」
「なに?」
「最近、バレー部で何か…争い事とかありませんでしたか?」
「………争い事……特になかったと思うけど………」
自分達の推測が間違っているのだろうか、捻子はまるで暗中模索のような感覚に唇を噛みしめた。焦って、焦って仕方がない。今はけが人だけで済んでいるけれど、もし――。
よっぽど酷い表情をしていたのだろう、朱円がふふっと笑みを浮かべた。
「捻子君、空を見てみなよ」
「…空?」
「綺麗だよね、今日も。最近いい天気だから、青空すごい映えてて、素敵」
暫く二人、無言で空を見上げていた。少したって、朱円が言葉をつづける。
「落ち着いた?」
捻子は少しだけ照れたように笑って、頷いた。朱円は風で揺れるツインテールを片手で押さえた。
「ありがとうございます。俺、やらなくちゃいけないことがあるので、これで失礼しますね」
「うん。またあとでね」
冷えた頭で彼女にもう一度お礼を言う。そうだ、考えるのも大事だが今はとにかく行動するべきだ。
「俺たちがやらずに誰がやるんだ、ですよね、朝!」
『…………。』
「……何か言ってくださいよ?!」
×××
放課後、いつもの通りサークルの部屋に向かうとまだ誰も来ていなかった。珍しい。ほどなくして紀磨が顔を見せ、捻子しかいないその様子に同じような反応を見せた。
「あんたしかいないの?珍しいわね」
「それ、さっき俺も思いました。」
二人がいても言葉を発しなければ静かな空間だった。……本当に、静かだ。鳥の囀りが聞こえる。
「…捻子はさ」
「何ですか」
紀磨は靴を脱ぐと椅子の上で膝を抱えた。半ば顔を埋める形となる。それからボソリと呟いた。
「このままでいいの?」
何がですか。
もう一度問おうとするより早く、紀磨は続けた。
「ほんとあんたってバカよね」
「何でそこで罵倒されるんですか俺」
全く、と捻子は苦笑する。
「俺、決めてるんです。今は無理でも、いつか向き合うために。そのために生きるって。やっぱり辛いって思うときはあるけれど…それでも」
胸に炎が燃えているのが分かる。それは今も消えていない。
「向き合わないと、俺は前に進めない。」
それでも自分にはまだ向き合う覚悟がない。そして、向き合うための罪を証明できない。
『―――例え何かを犠牲にしても?』
温度を伴うことがない冷たい声。それを背中から浴びて、喉がひきつりそうになる。けれども捻子は頷いた。
「犠牲を出さないで、です」
『お人よしめ。…だけど、君次第では犠牲をさっそく出すことになるかもしれないね?』
「え?」
朝霧の言葉に捻子は疑問を浮かべ――紀磨がカタンと椅子を蹴り倒して立ち上がったのは同時の事だった。
「紀磨…?」
「……ッ捻子!!!全速力で、外―――」
『間に合わない』
淡々とした声が捻子の鼓膜に響くと同時に、
――ドサッ、と音がした。
どこから?何が、…落ちた?今の音、重さがあった。少なくとも、例えば砂の多く入った袋が落ちたような音ではなく、もっと。
――ヒゥ、と空気が細く出入りした。
この教室は一階にあるわけではない。紀磨が顔を歪ませて、それでも身を翻して駆け出した。
「紀磨……!」
「捻子、今――未来を視たわ!!!」
紀磨もまた、≪力≫の所有者だ。そして彼女の≪力≫は未来を視る、≪未来予測≫と呼ばれるもの。その名の通り、数分先の出来事を読み取る。
「屋上に向かうわ!もう1人落ちる前に!!!!」
――やっぱり、人、だったんだ。
ぎり、と捻子は拳を握りしめる。それから紀磨、と声を上げて自分も屋上に向かうべく走り出した。後には静寂の中佇む朝霧の姿だけが残った。開け放たれている窓から緑の葉が紛れ込み、そよ風は朝霧の髪を揺らす。
『犠牲を出さない、か。』
朝霧は窓から見下ろした。そこには人――だった何かが赤い水の中に蹲り、周囲が賑やかになりだしていた。ふと彼、捻子が一瞬チラリと向けた瞳――
分かっていたんですか
そう尋ねるような瞳を思い出し、朝霧は嘲るように笑った。
『気付かなかったのは捻子、君だよ』
誰よりもきっと、君は近くに居たのにね。