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うすらと微笑さえ湛えた彼は炎に炙られているのにも関わらず、長い袖の下から白い指を差し出した。
こんな、つもりじゃなかったのに。
声が出ない。懺悔が頭の中でいつまでも、炎と一緒に燻っていて。そして彼の微笑が今もなお、頭の中から離れることはなかった。
×××
第一章静寂
この世界には≪力≫と呼ばれるものが存在している。それらがいつからあったのか…歴史を遡ってみても当時の記録が残っておらず、専門家の調査を通しても未だ解明されていない。誰もが使える≪力≫は自分の中に眠っており、人それぞれである。この≪力≫を武器に戦争を続けてきた国も多々あり、けれど救いなのはこれが世界を揺るがすほどの大きな強さを持つ≪力≫は存在していないと言われていることだろう。例えば氷を創り出す、しかしそれは世界全てを巻き込むだというような大きな能力ではない。あくまで少し変わった特徴のようなもの。それが≪力≫である。
当たり前に誰もが携え、扱う≪力≫。しかし次霜捻子は≪力≫が悲劇を呼ぶこともあるのだと知っている。
捻子は今年の四月高校に入学をした。頭はそれなりに良い彼だったが偏差値は低めの高校を選んだ。選んだ理由はこの高校にはサークルがあり、そのサークルで自分が求めるものが得られると考えたからだ。同時に同じ高校に通いサークルの一人でもある従兄に勧められたからでもある。
「…というわけで、けが人がとても多いことは異常よね」
トントン、とホワイトボードをペン先で叩きながらサークル「冷音部」の部長、境蓮姫は言った。冷音部は現在六人で活動をしている。まず部長、蓮姫。
「異常も何も、どうして周りが異常と気付かないのかわからないよなー」
そうぼやいたのは椅子に全体重を預け、スカートの先から出る脚を組む少女、桜営舞信だ。それに対し同意をするように頷いたのは彼女の隣に腰掛けていた内宮紅鈴。彼は先ほど述べた捻子の従兄に当たる。
「問題は…それが一体何の≪力≫のせいなのか、だね」
にこりと笑んで呟くのが副部長である春日前。彼らは全員捻子より年上であり、基本的に彼らがこのサークルを仕切っている。その様子を一番後ろの席から見ながら捻子は最近起こっているこの不思議な連鎖を思い出していた。
事件の発端は一週間前のことだ。最初に気付いたのは蓮姫だったと思う。保健室に行く生徒や欠席の生徒が多いこと、そしてそれが自分のクラスだけではないことに違和感を覚えたようだった。昼休み、屋上で蓮姫に放課後はサークル活動の際に借りている特別室集合ね、と告げられた後、捻子は空を見上げた。昼食を取るのは食堂や教室など多々あるが時にこうして屋上で食べることもある。どうやら蓮姫はわざわざ伝えに来てくれたようだった。お礼を伝えると蓮姫は屋上を去っていく。それを横目に見ながらも、捻子の視界には澄み切った青が広がっていた。彼女が去った屋上には捻子以外人はいないようで静かだった。少しだけ吐息を零す。
「…≪力≫関係、ですか…」
『その可能性は高いよね』
囁くような声が聞こえてきて捻子は瞬きをした。すぐ、後ろから。囁き声の方向を見ると少年が屋上の手すりに腰を掛けていた。捻子は少し長めの髪を首元で括っているが少年の髪は捻子のそれよりも更に長い。頬に揺れる二つの髪束と頭上辺りをシュシュで留められたテール。それらが音もなく揺れている。
「朝霧」
来賀朝霧は捻子の言葉に微笑みを浮かべて足をぶらつかせた。少しだけ捻子は目を細めてみる。すると彼を通して空の青が見えた。朝霧には、体がない。だから人の気配はしない。
「どう思いますか?≪力≫といってもたくさんありますし」
『さぁ……ね。でもただの物好きだよね。』
またそうやって、と捻子は重たげなため息をついた。この少年はどうも気分屋過ぎる。自分にとって好転と行く時にしか意欲を見せない点では何だか人間らしいともいえるのだが。体がない、人の気配がしないといっても彼は間違いなく人間であり、心がある。いやこの場合は心しかないというべきなのだろう。彼は一年前のある出来事で体を失った。それゆえ今はまるで霊のように彷徨っている。更に厄介なのは彼を見ることができるのは捻子だけだということだ。
「とりあえずこんなこと見過ごせません。何か原因を突き止めないといけません」
『相変わらず正義感の強い奴』
どこかバカにしたような言い方をした後、ん、と屋上のドアが開いた。ゆっくり開くドア、その奥にいた少女と目が合う。
「あ……」
見たことがある。同じクラスの少女だ。確か名前は。
「朱円さん」
「こんにちは、同じクラスの…捻子くん、だよね。ふふっ捻子くんもここでお弁当?」
軽やかなステップを踏んで近づいてくる少女に捻子は「はい」とやんわり微笑んで応えた。その捻子の隣に座ると朱円は弁当箱を広げる。ふと時間を見るともうあと五分で昼休みが終わるところだった。暫くするとチャイムの音も聞こえてくる。
「委員会か何かだったんですか?」
「ん?違うよー」
おにぎりを咀嚼しながら朱円は否定する。それから彼女はいたずらっぽく笑った。
「それより捻子君こそ、こんな人気のないとこでご飯なんて…いつもの彼女はどうしたの?」
「…彼女?…紀磨はそんなんじゃありませんよ」
少し強い口調で言い放つ。それを聞いた朱円はくすくすと笑い声をあげた。隣のクラスの望月紀磨。よく言い合う仲であるためか付き合っている、などと誤解をされやすい。しかし実際にはそのような関係はなく、そもそも中学で同じ学校だったというだけで。
「たまにはこうして一人で、屋上で食べるのが好きなんです。」
正確には一人じゃないけれど、と思わずチラリ後ろを顧みたがそこには朝霧の姿はなかった。別に二十四時間共にいるわけではないから構わないのだが、どうせ彼が居たところで口出しもせず展開を人の悪い笑みを浮かべてみていることだろう。容易に想像がついてしまう。朱円は
「わかるなぁ、すごい今日綺麗な空だね」
澄み切った青空。それに手を伸ばすように、朱円は目を細めた。
「そろそろ移動しないと、授業に遅れちゃうね。うーん、ご飯食べきれなかった」
やっぱり五分じゃ無理だったなぁとぼやく朱円に捻子は仕方ないですよ、と微笑んで、教室に向かうために立ち上がった。