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そんな折、僕ら四年生が担当になっていた花壇の傍で、灰色の鳩が死んでいた。そう言えば、よく平和の象徴などと胡散臭い白い鳩の話をよく聞くが、生まれてから一度も真っ白な鳩を見たことが無い。それなのに、絵で鳩を描けば皆、白い鳩を描くが、実際に見ているのはどれも灰色の奇妙な色合いのものばかりだ。きっと、平和というものはほとんど無きに等しいものだから、白い鳩が平和の象徴などと嘯いているのだろう。そうして、なんて、滑稽なことだろうか、平和の象徴の鳩が、僅かな血を流して、平和な学校の土の上に落ちて死んでいた。
皆が気持ち悪がって避けている中で、大輝はそれを抱きかかえた。死骸というのは、触れれば呪われると流行っていたので、その行動に女子たちが小さな悲鳴を上げた。子どものうちは気味が悪いものかもしれないし、そう言った呪いが本当にあるのかもしれない。しかし、蚊やハエを潰したり、刺身を平気で食べていたというのに、今さら呪いも何も馬鹿らしいことだ。
「どうするよ、」
大輝が他の男子に聞き、僕は彼に近づいて鳩を見下ろした。死んでいる、何処から判断して死んでいるとしたのかよく分からないが、首がだらんと地上に向かって垂れている鳩は確実に死んでいる。
「大輝、うめなきゃ」
ゲームのように生き返らせよう、そのような発想は毛頭ない。僕の知り得る限りの知識において、死んだものは土に埋めるということだけが念頭にあった。大輝は鳩を見て、「そうか」と呟いた。佐藤が倉庫からスコップを持ってきて、森を指差し立っていた。クラスメイトの大半は、不気味だから興味がないからか遠巻きに眺め、数名の好奇心の生徒が一緒についてきていた。森の入口、椎の傍に穴を掘って大輝が鳩をそっと置き、他の男子が土を掛けて埋葬は済んだ。大輝はそのまま他の男子と何処かへ姿を消し、僕はその鳩の埋まった土を眺めていた。
「鳩、何で死んだんだろうね」
同じように残っていた佐藤が言った。それは僕に対して聞いたのか、それとも単純な独り言かわからない。
「・・・ガンだからだろう」
「え、どうしてわかるの、」
「だって、みんなガンで死ぬんだろう」
佐藤は不思議そうな顔をしていた。そのときの僕には、佐藤がどうしてそんな顔をするのか、その理由がわからなかった。僕は生物の死は全て癌によるものだという思い込みがあったのだ。その発想に到る原因としては、おそらく、祖父の死因が癌であると何度も聞かされたからだろう。近しい者の死としては、祖父しか経験していないからか。それは、よくよく考えなくともおかしいもので、大人になれば鳩が傍の壁にぶつかって死んだのだと答えただろう。第一、僕だって蚊を潰したことぐらいあるのだから、命というものが殺す殺されるという中で終わることも知っていた筈だ。それなのに、死とは癌だという発想がしばらく消えなかった。命の終わり方を知るには、僕はまだ幼く、無知だった。無知であることを知っていたが、それに対して学ぼうという気概もなく、単なる無知だった。
学校が居心地の良い場所とは言い難かったが、長期休暇で家に居ることをますます嫌いになっていた。嫌でも家族と向き合わねばならず、成長したからと外へ出かける機会も増えた。家族で水族館に出かけた事実は楽しそうに思うが、大半は楽しいふりを両親に見せていた。そのうち、多くののっぺらぼうの中で、父と母を見つけだすことが出来ずに何度も迷い、また、僅かでも態度が悪いと「せっかく連れてきてあげたのに」と彼らが呟く声が聞こえた。そのため、望まぬ形だが、姉と手を繋ぎ、家族を見失わないようにしていた。姉の顔だけは、家族の中で唯一確かに存在するものだった。水族館の中で特に苦手なものは、イルカやアシカのショーで、人の教えた通りに動く彼らを見ていると耳の奥が騒めいた。餌を与えられて、実に楽しそうに泳ぐ彼らと、この僕と一体何が違うだろうか。僕へのお土産に、両親はイルカのガラス細工を買った。本物と違い、ガラスのイルカは青のプールと同じ色をして、光に透かすとプールの中から空を見上げた時のように白い光が揺れて見えた。 家に帰り、僕はガラスのイルカを放り投げては受け止め、また放り投げた。放り投げるたびに、イルカがショーと同じように飛びあがっている姿が重なった。ガラスのイルカを放りながら、僕は砕けろ、砕けろと心に念じた。砕けてしまえば、何かが変わるように思っていたのか、僕はそれを放り続けて、つい無意図的に手から離れたイルカは、テーブルの角に当たって僕の膝の上に落ちた。それを見ていた母が、「何やってるよ!せっかく買ったのに」と文句を言ってきた。膝の上で真っ二つに割れたイルカを眺め、僅かに嘆息した。いっそ粉々に砕けてしまえば良かったのに、イルカは半分に割れただけでその姿を残している。母は僕からイルカを取り上げ、接着剤で割れたイルカを復元させた。それだけで頭と胴体が外れなくなったが、そのイルカはもう、先ほどのように透明な青色ではなく、白く、けして消えることのない線を残してしまった。イルカは母の手により戸棚の上に追いやられ、僕に同じことを二度とやってはいけないとの戒めとして残された。戸棚のイルカを眺めながら、僕は何度も砕けろ、砕けろと念じてみたが、それはすでに先ほどまでのイルカではなく、中途半端に死んでしまったガラスのイルカだった。陰鬱とした気持ちを発散させる方法として、その日、去年のカレンダーの裏一つ一つに絵を描いた。黒いペンだけで、海とイルカ、光、太陽、月、描いて、描いて、そうして僕は黒くなった自分の掌を眺めて、描くのを止めた。




