51
その日から、僕はなるたけ、人と会話をすることを避けるようにした。受験生という理由も相まって、僕の行動は誰の目にもさほど奇異には映らなかったようである。さくらが僕のことを心配したが、彼女にすら僕はあまり語りかけることはしなくなった。当然だが、河合ともほとんど会話しなくなった。塾の時に、何度も話しかけて来ていたと言うのに、その変わり様には少し驚かされる。いや、僕が避けていた所為なのかもしれない。
高校最後の夏がきた。受験の為の勉強にほとんど費やされたのだが、久方ぶりに実家に戻った姉に誘われ、気分転換にと美術館へ連れて行かれた。どうやら、姉の作品が特別企画に展示されているため、それを見せることが本当の目的のようであった。
多くの人の絵の中で、なるほど、姉の絵も確かに飾るに値する重厚さがあった。とても、僕には描くことの出来ないもので、努力と才能の差が歴然だった。僕は姉に感想を聞かれ、どう答えれば良いのか迷いつつ、「綺麗だね」と答えた。どうやら、彼女の望む感想とは異なっていたようで、「他には」と更に尋ねられた。他にも何も、僕にはこの絵を見た時の喪失感の方が上回って、この絵自体に感想などほとんど抱いていない。だから、「すごいね、」と笑いかけてから、少し小走りで他の絵を見に行った。
人の顔は、テレビでも写真でもわからなくなっていた。けれど、絵に描かれた人の顔は、まだわかっていた。だからだろう、その優しい顔と恐怖に震える顔を眺めて、僕は頭が重くなる。人はどの様な状況の時に、どの様な顔をするものなのか、絵を見つめ続けていると、頭痛を通り越し、痛みに涙が溢れてしまいそうになる。顔を両手で塞ぐと、見えない凹凸が指に触れた。しかし、傍の鉄柱に映る僕の顔を、僕の目は認識しようとしない。もしかしたら、そのうちに、顔だけでなく、他のものも見えなくなるのではないだろうか。そうなったとき、耐えられるだろうか。
いっそ、感情など無くなってしまえ。こんな些細なことですら動揺するものなど、苦しいだけだ。無くなってしまえ、こんな脆いものなど、消えてしまえ。人の感情など、見えなくなってしまえ。
勉強は続けてきた。だが、これが本当に僕の身についたのか、それはわからない。ただひたすらに、人の望むまま勉強を続けて、一体僕は何処に隠れているのだろう。
試験が近付いて、担任が僕のことを心配したのか、わざわざ面談の時間を割いた。一体何が不満なのだろうか、僕は出来る限り、人の望む未来の姿に似せて行動してきたのだ。それなのに、どうして、意志を確認させたいのだろうか。
「お前は、本当は、何をしたいんだ」
問われて、簡単に答えが出せる筈が無いだろう。僕のしたいことは、未だ良く分からない。昔は画家になりたかった、今もその気持ちは残っているが、姉の真似をするようで、いや、それ以前に基礎すらなっていない上に、圧倒的な努力不足でそれは不可能だ。もう一つ、物書きになりたいという思いもあったが、これもまた、才能の世界で、自分でも文章を読み直してみるが、面白いと思ったものが書けたためしがない、僕の力では、口に出すことすらおこがましい希望だ。
「聞いているのかい、」
先生が強く糾弾しようとも、どうしようも無いではないか。改めて、願いを言ったところで、叶わないものだと馬鹿にされるくらいならば、叶わないと思い知らされるくらいなら、最初から願わなかったことにしたいだけだ。
「もう一度よく考えなさい。ご両親に多大な負担を与えるのだから、生半可な気持ちでは失礼だよ」
そのような忠告を受けても、それならどうすれば良いのだと叫びたくなった。僕が望むよりも、その方が良いと主張し続けてきたのは周囲の大人たちではないか。それを今更、生半可な気持ちだと否定されて、僕に、どうしろと言うのだ。今更受験から逃げ出すわけにもいかない、もう、二進も三進も行かないというのに。
不安と恐怖、孤独、悲哀。僕は何も、考えないことにした。考えないようにしても、頭に思い浮かぶのだが、それでも考えないようにした。僕は他の人よりも頭の出来が悪いのだろうか、頭は一つのことしか出来ない。考えることと、学ぶことを両立させることなど出来やしない。




