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 一年が過ぎて、二年になると僕は大輝と同じクラスになった。その頃から、次第に周囲の僕に対する姿勢が変わり始めた。まず、僕が「僕」という言葉を使うことを両親だけでなく、先生も注意するようになった。のっぺらぼうの大人が、僕をもっと女に近づけようと裏で手を組み支配している。

 息が詰まりそうだった。けれど、実際の僕はそんなことで死んだりしないし、抵抗する気概も持っていない。表情が分からない以上、彼らの言葉通りのことをなるべくするしかない。だが、僕は「僕」で、いきなり「私」に変えることは出来なかった。自分を、誰かを裏切っているような気がして、それでも逆らう気も無く、先生と両親、つまり顔のない大人の前だけは「私」と言葉を使い分けるようになった。それが気に食わなかったのだろうか、切っ掛けは些細なものであったような気がする。珍しく、学校で大輝と大喧嘩をした。昔も喧嘩をすることはあったが、小学校に上がってからは、取っ組み合う喧嘩は無かったので、どうしてそこまで感情が爆発したのか、自分でも不思議に思いながら喧嘩をしていた。大輝は僕の髪を引っ張り、僕も同じように髪を引っ張ろうとしたが、髪を引っ張られると酷く痛むことが分かっているのに、大輝に同じことをする気にもなれず、僕は髪ではなくズボンを引っ張って対抗した。

 しばらくして先生が仲裁に入り、僕は大輝と引きはがされ、二人並んで生徒指導室に連れて行かれた。泣きたいほど痛かったが、僕も頑固になっていたので、大輝が泣かない以上僕も泣くまいと唇を噛みしめて耐えた。先生は事情を話しかけてきたが、僕はなぜ喧嘩したのかどうかも忘れていた。僕が黙りこんでいるので、仕方なく大輝が事情を説明していたが、本当にそんなことで喧嘩をしていたのかどうか、疑わしい気がした。先生は僕の頭を撫でて、「痛かったでしょう、もう戻っていいわよ」と慰めたが、大輝だけは反省文を書かされて残されることになった。喧嘩は僕と大輝の両方で行ったことなのに、どうして大輝だけ残されるのか分からず、胸の奥にしこりが作られてゆくようだった。僕も残ろうと思ったのだが、先生が背中を押して教室から追い出し、中へ戻ってしまったので、どうすることも出来なかった。教室に戻るように言われたが、とてもそんな気にならず、僕はその場に蹲って、頭蓋骨にまで響きだした痛みに涙を流した。その時泣いたのは、痛みだけで泣いたのか悔しさから泣いたのか、いや両方だった。授業を一時間潰して大輝が先生並んで教室から出てきて、ようやく涙が止まり安心した。

 「ずっとここに居たの、」

 「・・・はい」

 先生の声音だけでは、怒っているのか、ただ質問しただけなのか、判断できなかった。

 「駄目でしょう、ほら、授業に出なさい」

 「わかりました」

 先生に頭を下げ、僕はすぐに大輝の隣に並んだ。それは挨拶するときに頭を下げることと同じように、僕には反射的に身についたごく自然な行動である。しかし、先生にはそれが理解出来ないのだろうか、表情は見えなかったが身体の動きが少し変だった。

 先生は用事があるのか、一人の生徒だけに構う余裕はないからか、職員室に戻って行った。僕は大輝の隣を歩きながら、廊下からいなくなる先生の長い髪を眺めて、先日読んだ絵本に出てきたヤマンバの様だと思った。

 「ミキ、ごめん」

 大輝はいつからか、「ちゃん」を付けずに名前を呼び捨てにするようになっていた。僕も同じように呼び捨てにするようにしていたが、とっさになると昔からの呼び方が染み付いているのでそっちが出てきた。

 「僕もごめん、ダイくん。ズボン、のびた」

 「いいよ。これくらい」

 言いながら、大輝は鼻をすすった。彼も泣きたかったのかもしれない。けれど、僕がいつも先に泣くので、その機会を失われてしまった、そんな気がした。

 「おまえ、顔まっ赤だ。ながしで顔あらってからもどろう」

 「うん。大輝もはな水が出てる」

 ケラケラと声を立てて笑うと、大輝は左手の拳を振り上げ、「おまえに言われたくない」と同じように笑った。その左手に髪の毛が絡みついているのが見え、僕は大輝に髪を引っ張られたことを思い出したが、不思議に痛みを忘れていた。そして、大輝の手に髪の毛がずっと残っていたのは、彼が左手のこぶしをずっと開かなかったからなのだろう。怒っているようには思えず、きっと、彼は悔しかったのではないかと思った。それでも僕に八つ当たりをしないのは、やはり兄貴分としての意識が働いていたのだろう。そう考えると、僕と彼は友人というより、やはり親分子分の上下関係の方が強いのだろうか。

 教室に戻ると、突然女子が優しくなって僕の方に近寄って来た。さらに、僕をダシにして大輝、男子を批判した。どうしてそんなことになったのか、僕にはわからない。けれど、そうなってしまうと、僕はほとんど強制的に女子の輪の中に取り入れられて、息が苦しくなった。男子も女子も変わりはしないのだが、彼女たちと僕はやはり少し違って、見ているテレビも好きなゲームもマンガも、同じようで、違っていた。その違いは成長すればいずれ大きくなるのだろう、大きくなると、それはいずれ僕の中に還ってくる。だから、ゆっくりと女子からも男子からも遠ざかるようにした。そうすれば、誰とも争わずに済む。

 一年生の時と同じように、学校では極力一人で過ごすようにして二年、三年が経った。孤立していても虐められない方法は、無となることが重要である。虐められている生徒には、良い意味でも悪い意味でも特徴が強かった。その点、僕は誰とも会話をせず、表情も変えず、言葉通りに行動する無に徹していたので、からかうという対象にすらならなかった。



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