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大輝は学校でも家でも、僕への態度を変えたりはしなかった。彼はあくまでも僕の親分であり、僕は彼の子分であって、何より友人だった。何かを相談するとき、彼に頼れば、一人ではどうにもならないことも自然と何とかなった。例えば、トイレの問題だ。学校でトイレに行かないように努力をしていたが、それも限界があり、休み時間に彼に頼ると何処で知ったのか、予想外の穴場を教えてくれた。そこは、旧校舎にある図書室と技術室の間にあるトイレで、一つしかないが、男女共同の和式便所になっていた。あまり綺麗ではないので、使用する生徒もほとんどいない場所だった。これならば、僕が男だろうと女だろうと気にすることなく、安心して使えた。一体全体、入学した数日でどうしてそのような場所を見つけることが出来たのかと尋ねると、休み時間の度に毎回学校の探検をしているのだと言っていた。冒険というものが好きな彼らしい発想で、僕も休みになると彼と一緒に学校を歩いて回った。
けれど、一月も過ぎると粗方見終わり、その冒険ごっこも退屈になって、僕は大輝の子分として外に出てドッチボールをするようにした。その頃はまだ、僕以外も男子と女子という分かれ目が曖昧で、僕が男子の中で駆け回ることを誰も何も言わなかった。僕も何も気にしていなかったが、もともと運動が出来る訳ではなかったので、そのうち疲れてしまい自然と外に出て遊ぶ回数が減り、大輝と学校で遊ぶことがほとんど無くなった。性格が違うのだから当然のことで、けれど、彼から離れると、僕は急に一人ぼっちになったような気がした。
あまり外で走り回らないように遊ぶとするなら、大人しい女子たちの中に入らなければならないが、すでにそこには他者を入れないコミュニティが作られており、話かければ仲良くしてくれるのだが、その中に自然に入って遊ぶということは暗黙の中で否定されていた。
僕は教室の中で孤立し、一人だと誰かに言われることが怖くなって、小学校に隣接する森の中に隠れるようになった。森への出入りは自由だったが、本当は入れるのは四年生になってからだったので、僕は奥までは入らずに外が眺められる木々の間で寝そべっていた。誰も僕のことを何も言わない、誰にも言われることが無いという状況であると、独りであることに対し罪悪感も嫌悪感も不思議と生じなかった。感情というのは、自分が思っている以上に、周囲の影響が多大であるとその時僕は知った。
一人で過ごす方法を見出したので、居心地は悪くなかったが、体育のある日はいつも憂鬱だった。僕は男なのだから男子の所で着替えようとするが、周囲は僕を女と思っているので、望まぬ流れに女子の着替える教室に追いやられた。別に女子の裸を見ても、単なる人間の身体に過ぎないとわかっているが、そう言った気恥しさから嫌なのではなく、僕が女に振り分けられていること自体が気に食わなかった。よく、テレビで男女平等だとか大きな声で叫んでいるが、男子と女子は小学生の段階から、いや、早ければ幼稚園の段階からスカート、ズボンという姿だけでなく、教育態度も指導も何から何まで分けられているこの現実に、男女平等などと叫ぶのは、河豚の毒のない部分だけを食べるときに似た、妙な錯覚を与えているように思う。
女に振り分けられて生活しているからと言って、僕が女になるのとはやはり違う。女になろうとしていないのだから、僕が女になるのが難しいのかもしれないし、そのカテゴリーの中に入れてもらえないから、僕が女になれないというのもあるのだろう。
学校が休みになる夏は、それでも小学に上がる前より良いものだった。家族の中で苦痛を覚えても、外に出かけてしまえば問題ない。毎日学校に行くことで、外に出ることに抵抗は少なくなっていた。なにより、大輝が毎日のように学校のプールに誘い、飽きてしまうと彼の部屋でゲームをして過ごした。宿題も一人で済ませるより、二人で半分ずつ分け合うので仕事も早い。
ただ、楽しんでばかりもいられず、盆になるといやいやながら家族で祖母の家に泊りに出かけた。あまり良いことがなかったようで、いったいどんな風に過ごしていたのか、記憶は時々曖昧になり、思い出すことができなくなる。おそらく、誰の顔も分からず、酷く居心地が悪かったに違いない。その頃になってようやく、6つ離れた彼女が僕の姉というものであることを改めて理解した。今までも彼女は僕の姉だったのだが、きょうだいという感覚が無く、ただ同じ家に暮らしている血の繋がった誰かとしか思っていなかった。何がきっかけか、いや、きっかけなどないのだろうが、そういうものなのだと受け入れるしかなかった。
従兄弟たちは皆僕よりも年上で、成人に近い彼らの顔を見ることが出来なくなっていた。声の調子で、笑顔で迎えてくれているとわかるのだが、そこには顔が無く、肌色の顔の中から声が聞こえる気味の悪さだけを覚えている。もともと従兄弟たちと遊ぶ機会はほとんど無かったので、僕は祖母の家にある図鑑を眺めて時間を潰していたようだった。姉のように畑に出て手伝いをするような奇特な性格ではなく、扇風機の回る部屋の中で時間を過ごしていたぐうたらであったそうだ。いつも母に小言をぶつけられていたので、記憶が無くとも僕がどのように過ごしていたかは容易に推測できる。
学校も始まり、秋になると寒さに僕は外に出ることが嫌になって、また教室で過ごすようにした。けれど、一年近くたつと尚更、僕の入る隙間など無くなり、逃げ出すように校舎と校舎の間をぐるぐると歩きまわって休み時間を潰した。そうしている内に、僕は人の少ない図書室で過ごせば人の眼を気にしなくて済むことに気づき、昼休みは図鑑を引っ張り出して、飽くことなくそれを眺めるようになった。初は動物図鑑を眺めていたが、その内、宇宙に関する図鑑だけを眺めるようになった。星の名前を覚えようという知的なことをしていた訳ではない、この星は綺麗だとか、この星へ行くにはどのくらいかかるのだろうか、宇宙は暗いけれど、どうして暗いのだろうか。とても実生活の役に立たない、図鑑を見ながら空想に更けた。そうして一人で過ごしていると、ますます孤独になっていったが、けれど、それは学校のクラスに限ったことなので、大して気に病んでなかった。




