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一年が終わり、二年になってさくらとクラスが変わってしまった。さくらならすぐにでも新しい友達が出来るだろうし、弓道部の仲間が居るので無理無く馴染めることだろう。僕の方は、新しい友人を作れるような気がしない。春休み明けに見た生徒の顔の半数が、形を消して、皆が各々の派閥を作り集まっているので、気軽に声を掛けに行くことはできない。だが、皆が良い人なのは確かで、団体行動をしなければならないときには、僕のようなものを一人であぶれさせないように、うまい具合に人を使い分けさせていた。昼になるとさくらのクラスに行って彼女と一緒に弁当を食べ、そのときが学校の中で一番穏やかに過ごすことが出来た。
春といえば、獣たちが発情期に入る季節であり、それは人間も同様で、不審者が多く出るのも春であり、年頃の若者たちがそわそわと異性を気にし出すのもこの季節からだった。クラスの男女の両者ともに色気付き、恋人が出来たことをそれとなく醸し出していた。けれど、それは所謂他人事であり、僕とは関わり合いのないことだと切り捨てていた。だが、厄介事とは向こうからやってくるようで、部活動で僕以外全員女子だけになると、修学旅行の告白宣言のような雰囲気で誰が誰を好きかを話し始めた。興味などない、誰が誰を好きだろうと、それは個人の趣向の問題で、他人が知っていようといまいと変わるものでも変えなければならないものでもない。何が楽しいのか、話はいつもよりも盛り上がって、興味など無かったが、無視するわけにもいかず、笑顔を作って誰が誰を好きなのかと興味があるふりをしていた。どうやら、同じ部活内で好きな人がいる者、好きな人と同じクラスになれた者、中学生の同級生が好きだと言う者、掲示板で知り合って告白したいと思う様になった者など、みな一様に好きな人がいるようだった。僕にも話を振られ、普段ならば「大輝」だと答えていたところだが、これもまた面倒なことになりそうだったので、安奈のことを思い浮かべながら、「他校に行った同級生」だと笑みを作って答え、後は聞き役に回った。最初の内は他人に打ち明け話を求めるが、結局は自らの話題を聞いてもらいたくて堪らないのが彼女たちの性格だと分かっていた。
恋をしている内は、まだ良い。明るい話題の内に終了するので、空気が凍りつくような心配はない。だが、問題なのは想いを拒絶されたときの、あの粘着質な悲哀は我慢ならない。周囲に迷惑なのだから、恋などしないで過ごしてもらいたいものだが、子孫を残すために恋だの愛だのという幻想は、残念ながら人間から離れない、本能の一部と化してしまっている。
部活の中の一人が、クラスメイトに告白して、面倒なことに振られてしまった。告白した相手の名前は知っていたが、名前がわかっているだけで顔も性格も何も知らない一男子生徒に毛ほども興味はない。しかし、他の女子たちは知っていたようで、「あんなやつ、こっちから振ってやったらよかったのに」とねちねちと罵詈雑言を履き散らして仲間を慰めていた。僕は彼がどのような人物なのか知らないので悪口が出るはずもなく、面倒臭いと内心では思いながらも笑顔を作って彼女に「また、恋をしたらいいよ」と他人と同じような言葉で慰めた。
一時間近くは泣いていただろう、ようやく泣きやむと、僕を見ながら同情してもらいやすそうな、切なそうな笑顔を作っていた。
「あたし、ミキになりたいわ」
あまりにも馬鹿馬鹿しい言葉に、僕は刹那身体の動作が全て停止したが、すぐに笑顔を取り繕って彼女を見下ろした。
「どうして、」
僕になりたいなど、正気の沙汰ではない。
けれど、彼女は僕の顔を目で指しながら、俯いて他の友達に縋りつきながら言った。
「だって、いつも笑顔で、人生楽しそう。何を言われても平気だし、悩みも無いのが羨ましい」
この女は、何を血迷っているのだろう。冗談でも信じられないが、まさか本気でそう思っているのだろうか。そうだとしたら、なんて腹立たしいことを言うのだろう。けれど、僕はそのときあまりにも呆れ、怒ることも出来ず、普段のように笑みを崩さず、「私になっても、良いことなんてないと思うけどね」と明るい声で答えた。
表層だけで、他人を推し量ることは出来ない、高校生にもなればそのことに気づかないものだろうか。僕がどうして笑みをいつも浮かべているのか、いつも何で苦しんでいるのか、中身は知らずとも押して測ることもしないで、決めつけるのだろうか。
「絶対良いわよ、だって、なーんにも悩むことないでしょ。うらやましいわ・・・」
嗚呼、どうやら彼女は、本当に僕が悩みの無い人間だと決めてかかっている。遠まわしに否定しただけでは、彼女はおろか他の者にも伝わらない。果たして、悩みのない人間がいるというのだろうか。「人間は考える葦である」、どこかの偉人が、そんなことを言っていた。人が思考し続ける限り、結果を予測しその理論通りに物事が運ぶことばかりであれば、悩みは無いかもしれないが、まずそのようなことはあり得ない。何らかの障壁にぶつかり、理想と現実との差から悩みが生じる。毎晩、なかなか寝付けぬほど頭の中は思考し続け、悩み、苦しんでいる。けれど、苦悩は口に出さなければ、一生他人には伝わらない。親でさえ僕が思考をしない畜生だと決め込んでいるのだから、同様の生活をしてない赤の他人に察せられることなど出来る筈が無かった。
無性に、僕は泣きたくなった。そんなわけは無いだろうと、女の顔を殴りつけてやりたかった。けれど、いつからか涙は堪えるものになり、怒りは胸の内に追いやられて、張り付けた笑顔のまま「僕はバカだから、すぐ忘れるんだよね」と乱暴に答えることしか出来なかった。
彼女を含めて、他人から見れば僕は何も考えていない、莫迦で無知な人間以下の生物と認識されているのだろう。誰も、僕にも悩みがあると否定するものはなく、皆彼女と同様に僕を羨ましいと言って会話を濁したのだから、周囲の評価はこのようなところだろう。
そうか、だから僕は親に軽蔑され、大輝にも嫌われたのだろう。こんな人間、面白味も無ければ、学ぶこともない。僕は軽蔑されて当然だったのだ、成績が上がるように努力したところで、愛想だけを良くしたところで、軽視されるような態度をとり続ける人間に誰が目を掛けるだろう。僕なら、そんな人間とは距離を置いて関わり合いにならなかったに違いない。
そう考えると、さくらは本当に希少な存在だ。こんな僕を対等な友達として接してくれている。彼女は人が良すぎるのだろう、きっと、そのお人好しなら、多くの人に愛されることだろうが、同時に、もし彼女を裏切るような者が現れたら、どれほど深く傷つくものか、想像するに難くない。それが僕にならないことを望みたいが、いつどんな失言をするかわからないので、もしかしたら今でも彼女を傷つけているのかもしれない。それを確かめることも怖くて出来ず、結局考えあぐねているだけで平生の生活リズムを変えずにいた。




