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悶々とした夜を過ごし、それでも、どうにも自分だけでは解決出来そうもない。どうにでもなれと羽野に断わりを入れてから、佐藤に相談に行くと決めた。面倒なので、詳しいことは話さず、羽野に佐藤と話しても構わないかと聞くと、彼女は目を丸くし、小首を傾げて驚いた顔をしていた。
「わざわざ私に言わなくても、直接行けばいいのに」
「・・・そうだけど、でも、女子は彼氏が他人と話をしているだけで、嫉妬するものだろう」
ずっと思っていたことを素直に尋ねると、羽野はクスクスと笑って僕の肩を軽く叩いた。
「ミキちゃんって、本当に素直ね。そんなこと、いちいち気にしないわよ。それに、もともと、親友、だったんでしょう。それなら、尚更ね」
「そうなのか」
「誰がミキちゃんに変なこと教えたのかな。まあ、そういうところ、可愛いと思うわ」
可愛いと言われて、僕には嬉しいものではない。一先ず、羽野に嫌われていないようで良かったと安堵した。どうやら、僕が思うより、女は了見の狭い存在では無いようだ。確かに、人口の半分は同性なのだから、これに一々嫉妬をしていては疲れ果ててしまうだろう。これからは、少し彼らに対する考えを改めようと思えた。
早速、昼休みに佐藤を捕まえて、誰にも聞かれないように渡り廊下まで引っ張った。誰もいないことを確認し、佐藤にも体を低くするように促した。二三度深呼吸をして鼓動を落ち着かせ、勇気を振り絞り言葉を吐き出した。
「お、女の子に好かれるには、どうすればいいと思う、」
僕の言葉に、佐藤の身体の動き一切が止まった。どうしたのだろうと思う間もなく、佐藤は辺りに響くケラケラと甲高い声で笑い出していた。あまりにも失礼だと思い、「真面目に話しているのに」と少し声を荒げ抗議した。
「ごめんごめん。いや、うん。久しぶりに話しがあるというから、どんなことかと思ったら、」
辛抱堪らんとばかりにまだ笑うので、僕は顔を真っ赤にして佐藤を軽く睨みつけた。
「真剣に相談してるのに、」
「ごめんってば。そんな相談だとは思わなくて」少しわざとらしい咳払いをして、佐藤はようやく笑うのを止めた。「それで、どうしてそんな相談をしたんだい。まさか、女子からいじめられてるってわけじゃないよね」
急に真剣な表情をしたので、その緩急に今度は僕の方が噴き出しそうになった。
「違うよ、まあ、そこそこだけど。そうじゃなくて、僕、気になる子がいて、それで、どうしたらいいかなって」
「・・・へぇ、ミキが珍しいね。それなら、俺じゃなくてさ、ゆきに、羽野さんに聞いた方が良いと思うけど」
羽野に言えるはずがないではないか。安奈と同じ性別なのに、そんなこと、とても相談できるはずがない。きっと、気味悪がられ、彼女らに軽蔑と嫌悪を向けられる。だから、佐藤にしか話せないのだと、僕はぐっと唾を飲み込んだ。
「僕は多分、その子が、好きなんだ」
「・・・そっか、」
改めて口に出すと、胸がすっと冷たくなった。先程のまでの高ぶった気持ちが、どうしてか急激に薄らいでしまう。自分の感情なのに、芯が揺らぎ、不安に目眩がする。それを打ち消すために、僕は語気を強めてさらに続けた。
「佐藤たちみたいに、なりたい」
正直に言い切った。言葉に出すと本当のことになるようで、めまいは収まり、気持ちの切り替えは出来たようだった。僕の言葉に、佐藤は考え込んでいる様子で、しばらく黙って口元を手で覆っていた。姿形は小学生の時と変わっても、癖やそう言った本質は、そう簡単に変わらない。いつものように、佐藤は人のことだと言うのに、真剣に考えてくれる。そういう質だから、人に好かれるのだろう。けれど、きっとそういう善人は、損な人生を歩んでいるように思えた。本人が損得を考えているとも思えないが、そういう真面目な善人は、ろくでもない人間にいいように扱われているのではないか。大げさだろうが、自己犠牲を図る人間は、傍から見れば憐れだ。
「・・・友人に、ではないよね」
「うん。僕は、あの子に、恋してるんだ」
「恋、ねぇ」
先程からずっと、佐藤は言葉を紡ぐことを戸惑っている。おそらく、その時の佐藤は、すっかり彼女に参ってしまった、惚気けた僕に気づき、真実を告げて傷つけないための言葉を考えていたのだろう。僕は自分のことばかりで、考え込む佐藤に対し、安奈の知っている限りの情報を伝え続けていた。ただ、彼女のことをほとんど知らないために、見た目の情報ばかりに偏っていたように思う。
「・・・ミキはさ、その子と付き合って、恋人になりたいのかい」
この感情の行き着く先、僕の結論はもちろんそうだ。安奈の顔を思い浮かべて、僕は彼女が僕の恋人になったらと空想し、それはきっと気分が良いと考えていた。
「そうだね。うん、そこまでになれたら、きっと良いんだろうな」
叶わない願いだとしても、望んでいることなのだから、それは素敵な事ばかりに違いない。そうだと言うのに、目の前の佐藤の顔は、ますます曇っている。僕にはその理由が、到底理解出来なかった。彼なら、昔のように、一緒になって考え、喜び、悩み、打開策を打ち出してくれると信じていた。だから、その予想に反した表情に困惑した。
「佐藤、どうした、」
「ミキはさ、付き合うってこととか、恋人とか、分かっているのかな、」
「・・・だから、それって、佐藤たちみたいなものだろう」
正しい答えを提出した筈なのに、どうにも彼の表情は曇ったままだった。僕は何が間違っているのか考えようとしたが、胸が冷たくなるばかりで、思考が鈍り、確信以外のことが考えられない。
僕の考えが変わらないことに、とうとう佐藤は脱力し、大輝のように僕が小さな子供だと知らしめるためか、頭を軽く叩く様に撫でた。僕には正しい答えが出せない、彼は諦めてしまった。手が触れるたびに、先程まで高まっていた心臓が、冷たく鈍く流れてしまうようだった。
「ごめんな、俺には、どうすればいいのか、わからなかったよ」
佐藤の声は、低く、そして冷静だった。
「・・・でもさ、友人になるなら、そんなに難しく考えなくても、ミキが前に俺にしたようにすればいいよ」
意外な案に、僕ははてと首を傾げた。
「佐藤にしたように、」
彼は笑って、「それだけで十分」ともう一度頭を撫でて、手を離した。それだけと言うが、僕は特別佐藤に何かをしたわけではない。佐藤と友達になったのは、たまたま佐藤が一人だったからで、僕が何かしたわけではない
「よくわからないけど、それで、いいのかな、」
「ああ、ミキなら大丈夫だ」
もっと確認したいことがあったのに、チャイムの鳴る音に阻まれた。昼休みが終わってしまうので、僕は腑に落ちないまま、慌てて佐藤と別れ教室に戻った。教室では、羽野が一体どんな相談をしたのかと、好奇心に満ちた目を向けてきたが、僕は曖昧に笑って誤魔化した。
佐藤のように、何か安奈と親しくなるきっかけをつくろうにも、あまりに彼女との接点が少なすぎた。修学旅行の前にもう少し親しくなろうと、休み時間の度に、隣の組みを訪ねた。だが、どういうわけか、いつも彼女の姿が消えている。結局、僕は安奈と大した話も出来なかった。だが、悲観しているわけでもなく、修学旅行をきっかけにすれば良いと楽観していた。幸いに、最初のバス以外は座席も隣で、部屋も同じなのだから、ゆっくりと会話出来る機会はいくらでもあった。




