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クラス分けで僕は唯一の知人である大輝と別れてしまい、まさに孤独、皆は同じ幼稚園に通っていたということで既にグループが作られており、入る隙間すらないような状態だった。

そんな僕にまず話しかけてきたのは、机を隣につけた男子だった。彼が僕に話しかけた理由としては、これからしばらく隣の席になるのだから、友好的であったほうがいいという打算か、単に親切心かは分からない。

「こんにちは、オレは佐藤基哉」

「・・・こんにちは」

互いに名乗り合い、その後一体何を話したのか覚えてないが、佐藤は人懐っこい笑みをずっと浮かべていたように思う。大輝以外、対等に人と話したことが無かったので、彼が本当はその時どう思っていたのか、退屈していたのか、下らないと思っていたのか判断する材料が少なかった。今でも解らないことに違いはないが、顔があるのにのっぺらぼうを相手にしているときと同じ程、表情の意図するところが分からず不安を感じていた。

最初に一人一人自己紹介をすることになり、僕は当然のように自分の名前を今まで通りに名乗った。けれど、皆はクスクス笑い、先生までも肩を揺らし笑っているようだった。

「『みきお』、じゃなくて、『みきよ』でしょう」

先生がみんなに僕の名前を訂正していたが、けれど、僕の名前は『みきよ』なんかじゃない。『みきお』。これは、僕が今まで生きてきた名前で、これから先も僕の名前が変わることはない。漢字で樹生、樹のように長く生きて欲しいと祖父が付けた名前だ。『みきお』と読み、けして、『みきよ』と読んだりしない。けれど、僕は何故か訂正することが出来ず、訳も分からず隣の子が「すわるんだよ」と耳打ちするので再び席についた。学校では、僕は「みきお」ではなく「みきよ」という扱いになっていた。けれど、名前など些細な違いだとしか思わず、むしろ、ようやく家族の監視から離れ、小学校に通うことが出来るようになったことに感動していた。新しく友人らしい友人は出来なかったが、アクのある性格ではなかったので、僕は誰かに苛められるということはなかったように思う。ただ、僕は自分でも気づかないくらい愚鈍な性格らしく、気づいていなかっただけなのかも知れない。

そういう訳なので、一見順風満帆、希望に満ちた学校生活が開始されたように思えたが、学校というものは僕を大いに戸惑わせるものが多かった。何しろ、トイレが男子と女子の二つに別れていた。どちらに入って用を足したらよいのか分からず、トイレの前で右往左往して結局その日、学校でトイレに行くことが出来なかった。大輝と他の同じ方向の小学生と同じように学校に帰らされているとき、トイレに行きたくて堪らず、反べそをかいていた。それに最初に気づいたのはやはり大輝で、その辺にしたら良いと僕を連れて人気のない小川の草原に連れて行った。外で放尿することは珍しくなかったので、大輝もついでにチャックを開けて放尿していた。けれど、僕も同じようにしようとするのだが、数か月前までは大輝と同じように合った筈のものが、僕から姿を消していた。

いや、記憶が繋ぎあってから既に失われていたのだが、僕は小学生になれば自然に無くなってしまうものだろうかと認識していた。

 絶望した。それは深く底すらない腐った池に、自身の身体も生きたまま汚泥となれ果てるようだった。簡単な悲劇だと思わないか、今まで男だった筈なのに、そうでないものに変えられていたのだ。自分が、自分でなくなっていた。

 「なんで、」

 僕は滑稽なピエロだ。大輝に事態を飲み込めるはずがなく、どうして僕が嘆いているのか、その原因も察せないようだ。記憶が飛んでいることを初めて大輝に話すと、彼は目を丸くさせて、「お前も、おぼえてないのか、」とようやく同じように驚いていた。

 「おれだって、よくおぼえてない。ミキちゃんはずっと熱が下がらないから、病院にいるってきいたよ」

 「そんなのしらない」

 全体、どういうことだろうか。僕は、確かに男のはずだ。何があったとしても、それは変わらないはずだ。

 「僕は、みきおだ」

 驚いてはくれたが、事情の飲めない大輝に分かる筈がない。確固たる記憶が薄らいでいる中で、けれど、意志だけは貫かなければならない。

 「僕は、おとこの子だ」

 「でも、母さんが、ミキちゃんはおんなの子なんだから、ガッコでたすけてあげなさいねっていつもいって、」

 「そんなのしらないよ。僕は、おとこの子だったろう」

 記憶が交錯しているようだった。確かに、僕は制服でスカートを履かされていた。それは昔から、姉のお古としてよく着ていたので、男子は履かないものだという認識はなかった。「僕は、おとこの子だよ。ダイくんとおなじだ」

 「そう、」

 「でもね、みんなはおんなの子にさせようとしているんだ。だけど、僕はおとこの子だ。スカートをはかされても、カミをのばされても、僕はおとこの子だよ」ぴんと来ないのか、残念ながら、大輝は首を傾げているだけだった。「ダイくん、これはインボーなんだ。だから、僕はたしかにおとこの子だけど、やっぱり、このことはしられちゃいけないんだ」

 この説得に、大輝はしげしげと感心し、頷いていた。親分である彼を納得させたのは、たぶんこれが初めてだった。

 「インボー、なんかすげぇな」

 子どもというのは、ずっと単純でそれでいて、妙に聡かったりする。この世界は僕の預かり知らぬ所でいつも動かされて、それは僕の都合や感情など構いなしに、悪意と善意の狭間で揺れ動いている。誰かが、誰もが、陰謀によってそうなるように作られている。

 一人でも僕が男だと知っている人物がいると、不安は少しだけ和らいだ。共有することで、自分だけの錯覚、幻想ではなくなる。それにしても、僕は気が狂いそうだったのだ。今まで許されたことが許されず、今までしたことのなかったことを強制され、僕は一つずつ壊されていた。自分が否定され、壊される感覚、それもどうしようもない流れに呑み込まれ、抵抗する間もなく、そうだったのだと錯覚させてくる。そう、それは錯覚から現実に変えようとするのだ。何とも恐ろしいことだが、僕はそれを表現し抵抗するだけの知識が無かったことだ。


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