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どれだけ虚しさを嘯こうと、結局朝が来る。当たり前のように朝が来ることに感謝すべきなのかもしれないが、そんなこと考える余裕などない。朝が来るたびに、時間が夜まで通り過ぎてくれないかと思っていたが、下から突き上げる母のけたたましい声で目を覚ます。両親が起こしてくれることが嫌だったが、そういう考えや当たり前に食事が用意されていることが甘いということが、まだ分かりきってはいなかった。
母のとげのある声、父のやる気のない返事、声と動作以外分からぬ僕には、二人はいつも不機嫌に思えた。毎日の仕事が嫌なのだろうか、僕が学校に行くのが苦しいと感じるのと同じなのだろうか。味の分からなくなった目玉焼きとご飯を食べて、顔を洗って制服を着て、鉄球みたいに重い鞄を持ち家を出た。学校が牢獄か、家が牢獄か、そのどちらとも分からない。いつもなら、大輝を待って学校に行くが、今日は何も言わずに一人で先に学校に向かった。生徒たちは違う道を行くことはなく、同じ方向に歩いている。それがとても寂しいことに思え、けれど、その道から外れることも出来ない。
大人と子供の境、全体としては未だ子ども扱いなのだが、前は許された小さな失敗や行動が、子供じゃないからと規制されて、次第に身動きが取れなくなって行くことを感じる期間の中に、僕はいた。嫌や嬉しいという特別な感情はない、僅かな凝りと疲れが肩に圧し掛かっているだけだ。
一人で歩いて、僕は寂しさに死ぬのかもしれないと思っていたが、思ったほど辛くはない。独りに絶望するわけで無く、ただ単純に一人という状態であるだけだった。時折、誰に対しても明朗快活な同級生が「おはよう」と声を掛けてくるが、それでも落ちぶれた貴族のように惨めな気持ちにもならない。中学に上がってから、一層独りになることが怖くなっていたのに、何のことはない、独りになったとて単なる状態でしかないのだ。
一人は状態でしかない、そう考えて過ごすと、クラスで独り給食を食べても何も気にならなくなった。いじめに遭っているわけではなく、誰とも気が合わずに一人で居ることに、何を後ろめたさと恐怖を感じることがあるだろう。無理をして親しくなろうとするから、歪が生じて食み出し、鼻つまみ者になる。こちらから一線を画して、胸を張り、まっすぐに前を見据えれば、誰にも後ろ暗く思う必要はない。実のところ、所謂親しくなることを諦めて、自らを慰め説得させることになったのだが、暗く沈み切ってしまうよりはまだましではないかと思った。幼いころ、諦めずに最後までやりなさいと言われていたが、最後まで踏ん張ったところで、自分の心が静まらないと分かっていたのだから、無理に肩肘を張る必要はないのではないだろうか。
真面目に授業を受けて、当たり障りのない人付き合いをこなし、夕方になって帰路につく。それを繰り返せば良かっただけだ、平坦で単調な日常を送れば、少なくとも、悲しむことも苦しむことも無い。課題をこなせば、誰に憚ることも無い。最低限のことだけならば、至極、真っ当に日常は流れる。
宿題を済ませ、僅かに小腹が空いたので、コンビニにお菓子を買いに出かけた。特別食べたいものも無かったが、キャンペーン期間中でガムが安かったので一つだけ買った。外に出て、さっそく一つ口にし、フルーツミックス味というのは全体的に薄くわけのわからない味で美味しくないと感じた。くちゃくちゃと、耳当たりの悪い音がし、噛むだけなので、口寂しさは治まっても腹の足しにならないことに気づいた。
帰る途中に、誰も遊んでいないマンション内の公園が目につき、敷地に入ってブランコに腰かけた。他に座れるものが無かったと言うのも理由だが、小学校にはあったブランコが、中学に入ると鉄棒だけで何の遊具もないことの寂しさから昔を懐かしく感じて座ったのかもしれない。他人がどう思っているのかは知らないが、僕は未だブランコや滑り台、空中シーソーなどが好きだった。中学と言うだけで、遊具が無くなり、体育で使われるものだけになって、一人遊びに適した遊具がないので、昼休みに外に出ようという気も起きない。ボール遊びは出来ても、先輩がボールとグランドを占領しサッカーで遊んでいるので、見えない階層権力に寄ってはじき出されるのが現実だ。ブランコを漕いでいると、公園の向かい側にある病院が目につき、その病院の駐車場に立つ時計に何とはなしに視線が集中した。思ったよりも時間は経っており、そろそろ母が帰ってくる頃だと思い、靴を地面にすり合わせてブランコを降り、家に向かって歩き出した。口の中のガムはもう味が無く、不快音を出すだけだ。飲み込むことが出来ないので、紙に包んで片付ければよいだけだが、自分が出したガムは、紙に挟まれて居るとしても持って歩きたくはない。道路にガムが吐き捨ててあるのは、そういう不快さだけを考えて、自分中心な考えで吐いて捨てているのかもしれない。そこまで無分別になる勇気はなく、家に帰るまでだと唾液の味になるガムを頬肉に張りつけた。




