表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/55

2

 けれど、あの悍ましいことを契機に、外へ遊びに出かけることが減った訳もなく、その次の日も外へ出かけて大輝と二人で遊びほうけていた。だが、しばらくして、近くで幼児の遺体が発見されたというニュースが大人たちの口に登ったときから、僕は極力外に出ることをやめた。いや、それも関節的な要因だという方が正しいか、兎角、僕は外に出なくなった。大人たちも事件が事件だけに、初めの内は僕が外へ出たかがらないことを咎めたりしなかった。

 死んだ幼児が、あの時の幼女と同じであったのかは分からない。ただ、頭に浮かんでくるのだ。僕を殺したあとで、男は幼女を捕まえて、すっと僕よりも細く白い首筋に手を当てて、夜の闇のような黒髪ごと握りつぶしたのだ。紅もつけていないのに紅い唇は、すぐに色あせず、綺麗に閉ざされていたのだろうか。そうして、死んだ幼女と同じに、僕の死体もどこかに捨てに行こうとしたのかもしれない。幸か不幸か、大輝によってそこから連れ出された。いっそ、出て行かずにその場に留まれば、こんなことにはならなかったのか。どんな思いでいても、この思考を誰かに伝える能力はなかった。そもそも、襲われるのは女子だけと言う世間一般の勘違いの中、僕がこんな目に合ったことを信じただろうか。僕と同じ目に遭った子供は、思うより多いかもしれない。だが世間一般にはそういう被害者がいるという念頭が無いので、本当の数を確かめるすべはない。

 幼児の死体が見つかった後にも、僕は大輝に手を引かれて外に出かけていた。外の世界は、久々の快晴に恵まれていたと思う。天気とは裏腹に、どういう訳だか、僕の世界は変わっていた。いや、物体は何も変わっていないが、どう説明すれば良いのか、大人たちの顔がすっかり無くなってしまっていたのだ。

 「ダイくん、のっぺらぼうだ」

 「のっぺらぼう、」

 「ほら、みんな、のっぺらぼうだ」

 言いながら、側の顔のない妖怪を指差したが、大輝は首を傾げて同意しなかった。妖怪は僕らに気づいたのか、口のない顔でケラケラ笑い、僕の頭を撫でて通り過ぎて行った。じっと噛み付くようにそれを見送り、大輝の方にどうだとばかりに振り返った。

 「ね、のっぺらぼうだよ」

 これほど近くで見たのだから、間違いようがない。それなのに、大輝は首を横に振っていた。

 「ミキちゃん、ちがうよ。のっぺらぼうっていうのは、カオがないヨウカイのことだよ」

 「だから、のっぺらぼうだった」

 「ちがうって。あのひとカオがあっただろ」

 不思議なことに、大輝には妖怪の顔が見えているようだなので、僕驚いていた。そんなことはないと躍起になり、先程の妖怪の後を追いかけ、妖怪が小さな床屋に入ったことを確認すると、彼を促して窓から中を覗き込んだ。

 案の定、先程の妖怪には顔がなく、やはり、のっぺらぼうだと勝ち誇った気分でいたが、すぐ側の床屋の店主を見上げ、声のない悲鳴が上がった。どうしてか、見知った店主の顔までも消えていた。背格好が特殊なので、間違いようがない。鏡には、店主と男の輪郭が、人の顔のようなものが映ってはいた。それなのに、現実の二人には顔が無くなっていたのだ。

 その日から、僕は大人の顔を失くしてしまった。その恐怖をどう伝えれば良いのか、いや、そもそも信じてもらえるとも思っていない。そんなことがある筈はない、あってはならない。

 まざまざと思い知り、恐怖から、僕は大輝の隣でわあわあと泣き、失禁した。情けないと自分でもわかっている。それをしたくないとも思っている。それなのに、身体は言うことを聞かない。大輝は醜態を晒す僕の手を引き、彼の家に連れ帰った。僕が失禁すると、母にこっぴどく怒られると知っていたからだろう。ちょうどおばさんもいなかったので、はばかること無く服を脱ぎ捨て、冷たいシャワーで汚れを洗い流した。汚物にまみれた僕の服は、いつもと同じに大輝がタライに洗剤の粉とお湯を注いで、汚れを気にすることなく鷲掴みにして洗ってくれた。たぷたぷと服が水に交わる音が響いたが、僕はそのことに気づかないふりをした。知らないふりをするのは、同情や侮蔑を避けたい自尊心からだろうか。

 身体と服を洗い終わると、同じようにドライヤーとバスタオルで湿気をとって、まだ生乾きの同じ服を着た。その後再び外に出る気になる訳もなく、大輝とともに人生ゲームをして遊んでいた。外に出て動き回るより、このボードゲームの方がずっと性分に合っていた。何しろ、わざわざ動かずとも、思考の中で旅の疑似体験が出来るのだ。僕は結婚し、子どもを産み、離婚して石油を掘り当てたところで、予想しない人が僕の迎えに現れた。

 「ミキ、帰るわよ」

 母でなく父でなく、学校の制服を着た彼女がそこに立っていた。大輝は彼女が苦手で、少し照れたように顔を赤らめながら、僕に視線を向けていた。今にして思えば、大輝にとって彼女が初恋だったのかもしれない。少なくとも僕の知人は彼女を見ると、その顔に惚れこむ者が数名はいた。もちろん、僕にとって、彼女はただの年が上の女に過ぎなかった。

 「もうちょっとで、ゴールなのに」

 「そんなの良いから、早く来なさい」

 「どうして、」

 出来るだけ外に出たくなかった。確かに、家に帰るには外に出る必要があったが、出来るだけ人に合わない時間になってから帰るつもりだったのだ。彼女は腕を引き上げ、嫌がる僕を無理やり立たせた。少し睨んでみたが、彼女の表情が普段とは違い、蒼白であることにようやく気付いた。

 「おじいちゃんが死んだの」

 それが、僕の体験した初めての他人の死だった。あれよあれよという間に、僕は黒い服を着て、辛気臭い人の中に放り込まれていた。寺で葬式が行われ、知らない他人が棺桶に白い花を持って行った。僕は誰かに手を引かれて、同じように花を持って歩いていた。棺桶なのだから、祖父の顔がそこにある筈なのに、他の大勢の大人と同じく、慣れ親しんだはずの祖父の顔はなく、記憶に残っているのは多くの白い花の塊ばかりである。考えてみれば、ただ一人の人間の死の為に、これから実をつけるだろう花を摘んで、この一瞬の為に燃やしてしまうのだ。大昔、死んだ王さまと一緒に生きた奴隷が墓に埋められていたようだが、現代でも似たようなことが行われているということか。見栄えは良いが、道連れという事実に僕の心は暗かった。

 それからしばらく、僕の記憶は曖昧模糊、失われてしまっている。記憶が再び復活するのは、小学校の入学式からだ。小さな田舎町だったので、入学する人数は少なく、大輝と同じ学校に通っていた。しかし、僕は親の都合から他の子たちと違う幼稚園に通わされていたので、知り合いと言える者は大輝だけで、酷く困惑していた。だが、絶望していた訳ではない。大人の顔は皆、のっぺらぼうで解らなかったが、同じ年頃の人間の顔は解るので、恐怖はなくむしろ学校に囲われていることに安堵する気持ちが強かった。その頃では、僕は自分の親の顔すら形を保たず、記憶とぼやけた写真の中でしか確かめることが出来なくなっていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ