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 その先生は、女子には「女らしさ」、男子には「男らしさ」を異様なまでに求める先生だった。例えば、僕が他の男子と同じように胡座をしていると、僕だけに「女子が胡坐をかくな、みっともない」というのだ。

 「どうしてダメなのですか、」

 「みっともないだろうが」

 「男子だってあぐらをかいてますよ」

 「女子はスカートだろう。みっともない」

 先生は暴力こそ挙げなかったが、唾が散るほどの大声で注意する。他の女子にも、スカートの丈が短い、男子が進んで参加しないと「男が女子に負けるな!」と喚き立てる。僕はスカートに胡座は駄目だと判断し、それならばとスカートの下にハーフパンツをはいて胡座をかいたが、それも先生には気に入らなかったようだ。

 「だから、女子が胡坐をかくな」

 「でも、ハーフパンツはいてます」

 スカートを上げて見せると、先生はまた唾を散らせて怒鳴った。

 「スカートの下にそんなもの履くな、みっともない。女子はしおらしくするものだ」

 注意しながら、女子とは、女らしさとはを僕に語った。けれど、そんなの僕の耳に入っても抜けていく。何しろ僕は、女子ではない。しかし、男子は男らしく裸足で走れというような感じも、少し違う気がした。男だからこう、女だからこうというのは、それぞれの性格、体格、家族、それら一つずつとっても違うものなのだから、彼の言う様に、乱暴にすべてを二つに分けるのはどう考えても不可能に思った。

 「ミキ、お前ついてねぇな」

 剣道を見学しているときに、クラスのことを大輝に話すと彼が同情の眼を向けた。どうやら、僕以外の生徒にも担任は人気が無いようであだ。

 「あの先生、苦手だ」

 「先輩が言ってたが、あいつは、いつも真っ赤な顔でどなり散らしているから、平家ガニって呼ばれてるんだとさ」

 「ふーん」

 僕は大人の顔色も分からないので、そういうものなのかと聞き流していた。

 「何の話してるんだ、」

 休憩中だったので、他の部員が珍しく話に入ってきた。顔も名前も覚えていなかったが、垂にはネームがついているので、声を掛けてきたのが「河合」という名だと分かった。

 「こいつさ、平家ガニのクラスになってんの」

 「あー、それはお気の毒に。まあ、一年の辛抱だと思って耐えたらいいよ」

 河合は僕に笑いかけた。僕は大輝以外の剣道部とろくに話したことが無かったので、苦笑をして誤魔化した。早く河合が何処かへ行かないかと思っていたが、大輝と話が盛り上がったようで、僕の隣に座って動こうとせず、視線を何処に向ければよいか分からないので俯いていた。休憩時間が終わり、大輝と河合が試合稽古に戻って行った時には、肩の力が抜けて溜息が出た。昔は誰に声を掛けられようと何も感じなかったが、しかし、今では知り合い以外から声を掛けられると、恐怖すら感じるようになっていた。人間は、大人に近づくと臆病になっていく生き物なのかも知れない。

 部活が終わり、僕はいつものように大輝と一緒に帰るつもりで、入口で待っていた。すると、先ほど会話に加わってきた河合が大輝と一緒に出てきて、三人で帰ることになってしまった。僕は姉のこと、母のことを大輝に話そうと思っていたのに、河合が一緒では何処まで話せるのか分からず、嫌な気持ちになった。

 帰り道の間中、河合は僕と大輝のことを聞いてきた。僕のことを聞いたって何も面白くないだろうと思うが、大輝と同じ部員なので無視するわけにもいかず、当たり障りのなさそうなことを答えていた。

 「二人はさ、付き合ってるの、」

 この質問は、実は他の女子にも聞かれたことがある。僕は中学生程度に恋愛など分かるはずがないと思うのだが、すでに「お付き合い」をしている生徒もいたので笑い飛ばすわけにもいかず、いつものように「友人だよ」と大輝の方を見て答えた。

 「ふーん。でもさ、小学校の時に、大輝が好きって噂になってたよね」

 どうやら、河合は僕と同じ小学校だったらしい。六年間同じ学校に居て、顔を覚えていないというのは失礼かもしれないが、口に出さなければわからないので曖昧に笑った。

 「好きだよ。嫌いだったら、友達になんかなれない」

 「いや、そうじゃなくてさ」

 同じ学校だったなら、馴れ馴れしいのは分かる。けれど、今まで話した記憶がほとんどないのに、こんな風に親しげに自分のことを聞かれるのは息苦しい。大輝に助けを求めようと彼を見たが、端から興味がないのか欠伸をして空を見ながら歩いていた。

 「ほら、恋だよ。そういう好きっていうのは、」

 河合の目が、からかう女子の目と同じように細くなり、揺れた。

 「・・・何言ってるんだ。好きといえば、それだけだ。恋とかそんなのない、好きは好き、それだけだろ」

 まるで女子のようなことを聞く。僕が恋をしたことがあるのか、大輝のことが好きなのか、佐藤のことが好きなのか、からかうように聞くのだ。僕は大輝も佐藤も好きだ、好きでなければ友達などと思うはずがない。故も訳もない。

 「マサ、こいつはガキだからそんなん聞いたって時間の無駄だ」

 ようやく大輝が会話に加わり、僕は安心して彼の影に隠れた。

 「いやいや、お前が思ってるだけで、案外違うかもしれないだろ」

 河合の顔が僕の目の前にぬっと現れたので、思わず大輝の肩を掴んで後ろの下がった。どうやらその行為を単に「恥ずかしがり屋」だからだと勝手に解釈していたようだが、僕は彼の頭に向かって、「どうでもいいだろそんなことっ」と大声で罵ってやりたいほど憤慨していた。

 家に帰る信号機の手前で、河合は道が違うからと僕らと別れた。僕は心の中で彼に向って舌を出し、青になって歩きだした大輝のあとをいそいそと追いかけた。

 「河合って、僕らと同じ学校だったの、」

 「お前、本当に物覚えの悪い奴だな。5年から入ってきたんだから、覚えてる筈だろう」

 「知らないよ」

 僕は機嫌が悪かったので、乱暴に答えた。大輝は肩を竦め、犬と同じ乱暴な手で僕の頭を撫でてきた。背が低いから仕方がないかもしれないが、小さな子どもと同じ扱いを友人にはしないものだ。結局、友人というにもおこがましい親分子分の関係らしい。普段ならもっと腹が立つはずだが、そのときは気持ちが少し和らいだ。

 「クラスがそんなに気に食わなかったか、」

 「・・・だって、佐藤も大輝もいない」

 「新しい友達作れよ」

 「女子とは話が合わないし、男子は僕が女子だって近づかない。一人でも平気なのに、先生が無理やり、だれかと仲良くさせようとする」

 顔を上げると、大輝の呆れた時に見せる表情が出ていた。自分が情けなくて、気持ちを変えるために、別の話題に切り換えた。

 「姉さんが街に行ったの、知ってるだろ」

 「ああ、まあな」

 「母さんが、いつも愚痴を言うんだ。僕に言ったって、何とか出来るわけじゃないのにさ」

 「・・・よくわからんが、大変だな」

 大輝にとってはどうでもいいことに違いない。けれど、心のこもっていない言葉でも、同意を示してもらえたことが嬉しかった。

 「そう暗い顔すんな。なんとかなるさ」

 「なるかな、」

 「なるなる」

 空っぽの声で、しかし大輝は自信を持って答えた。それだけのことで、僕は悩んでいたことが馬鹿らしくなり、心が少し安定した。

 自分だけでは心の平安を保つことも出来ない。周囲の態度で勝手に心を歪ませ、一度歪むと自分をコントロール出来なくなって、心が暗くなって行く。どうしようもないほど、深く、暗い。自然に足が重くなり、自分のペースでしか歩こうとしない大輝と距離が開きだした。走ろうと思うのだが、何もかもどうでも良い気がして、いっそこのまま立ち止まって、全ての動き止めようとさえ思った。しかし、周囲から迫る闇に、体は震えて、恐怖に額から汗が噴き出した。

 「おい、ミキ!」

 大輝が少し前で止まり、僕を待っていた。車の音も聞こえない道で、大輝の声は矢のように鋭く、追い立てられるように足を速めて彼の隣りに並んだ。

 「本気でへこんでるな」

 平気だと笑って答えようとしたが、声が出なかった。

 「よっし、それなら久しぶりに、次の休みに、映画見に行こうぜ。佐藤と俺とお前で、な、」

 この時期に何の映画をやっていたのか考えていたが、特別面白そうなものは思い至らなかった。しかし、大輝がそう言うのなら、彼の見たい映画でもあるのだろうと考え、それが気晴らしになると思い「そうだね、うん」と了承した。約束すると、ふっと足が軽くなって、身体の重みが消えたような気がした。

 月も見えない曇り空の下では、街灯と家の明かりだけが自分の存在を照らす。もし、この暗闇を一人で歩かされ続けたらな、その内に発狂して心臓が止まるまで走り続ける気がした。独りが平気だと思っていたが、僕は自分が思うよりもずっと心の弱い人間で、こうして大輝が一緒に帰っているからこそ、恐怖を感じないで居られた。

 誰かがいなければ、人は生きられないのだろう。それなら、少なくとも僕はまだ平気だと思っていた。


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