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 一体何なのだろうかと部屋を覗き込んだが、まるで空気になってしまっているかのように、誰も僕のことなど居ないふりをし、話を進めていた。僕は沈黙と空腹に耐えられず、「夕飯は、」と姉の向い側に座る母に尋ねたが、「あんたはあっちに行っていなさい!」と酷く汚い声で追い払われた。家族に特別な用など無く、僕は言葉に従ってリビングに入り、そこに置いてあるせんべいの箱とお茶を持って二階に上がった。部屋に置いた小型テレビにゲームを繋ぎ、せんべいを食べながら途中までやりかけたゲームをスタートしたところで、母の悲鳴のような声が響いた。キンキンと耳障りな声なので、僕はゲームの音量を大きくして聞こえないふりをしていた。いつまで経っても話し合いは終わらず、空腹の限界を感じ、部屋から出てリビングに入った。夕食はまだ無く、隣の部屋では未だに話し合いが続いているようだった。冷蔵庫を開けて中を見ると、納豆と卵があったので、ご飯をつぎ、目玉焼きを作り、少し物足りないと思いつつも夕食として済ませた。部屋から首を出して耳を澄ませると、先ほどまでの激しい叱咤はなくなってはいたが、低い声は未だ響き、話は続きそうだった。テレビをつけて見たが、特別面白い番組もなく、風呂に入ってさっさと自分の部屋に籠った。布団頭から被っても人の声が聞こえ、耳を塞ぎ小さくなっていた内に、いつしか僕は眠っていた。

 翌日、姉に何があったのかを聞こうと思ったが、誰もが言葉を濁して本当のところを僕だけには伝えない。家の中で、僕だけが話のなかから追い出されている。僕は、まだ知能も自我も無い子供として、意見を言うことすら許されていない。

 後にどういうことか分かったのは、姉が専門学校に推薦で行くことが決まったその日だった。姉は数ある仕事の中で画家になることを選び、両親は当然、優秀な姉がそのように不安定な道に行くことを心配し、拒絶していたのだ。考えてみればそれは愚かなことで、優秀だからと言ってもそれが好きなことでなければ続かないし、好きでも無い事を一生続けて、何が楽しいというのだろうか。否、現実的に考えたとき、夢を追うことを学校側は進めるが、生きていくにはお金が必要であり、夢だけの為に生きることを社会は認めない。それが許されるのは、死ぬ気で努力した者と、隠れる事の無い才能を持った者、そして初めから富んだ者だけだ。

 「どうせすぐに後悔して帰ってくるわよ。ほんと、時間の無駄だわ」

 頑なな姉に面と向かって文句を言わないかわりに、両親の愚痴は何一つ言い返せない僕に向けられた。表情が見えないので、言葉と本心が一致しているのか、本当のところを察することが出来ない。だから僕は、親の言葉をそのままに受取り、罵詈雑言に塗れた日を過ごした。そして結局、自分も絵を描くことが好きで、将来もずっと絵を描きたいと思っていたことを一度も口に出せないまま、両親の指定する進路のための塾に通うようになった。

 僕はいつも人に流されて行動していた。まだ自我が確立する前だったのだ、そう言い訳すれば良いか。否、拒絶することにより、家族から孤立することを恐れていた。何しろ、僕は何一つ取り柄もない人間なのだ、それを悟られないように自分を誰にもさらけ出さない。飾ることのない自分、昔なら、大輝や佐藤にはそのままの自分を示していた。けれど、彼らにすら、自分の全てを見せないようになっていった。

 冬、雪の降った次の日に、姉はこの家から、この街から出て行った。

 引っ越しの荷物を運ぶ車の中で、僕は見たこともない街、人ゴミに恐怖すら覚えた。顔のない多くの大人の中で、姉はこれから数年、いやもしかしたらこれから先も暮らすことになると思うと、母の否定の気持ちもわからなくはなかった。車の中で、姉は僕に自分の部屋を自由に使って良いと伝え、それきり黙って僕のことなど最初からいなかったようにキャンバスを眺め続けていた。

 車で何時間もかかる遠い街に姉を置き去りにし、僕は両親とともに牢獄のように暗い家に帰って行った。姉はよくしゃべる方で、僕はといえば家族とどのように会話すれば良いのか分からず、静かに人の話を聞く質だった。家は一人欠けただけだというのに静まりかえり、息がつまりそうだった。いや、それだけなら自分が声を出せば済むことなのだが、母は僕に姉の部屋を使ってはいけないといい、いつ諦めて帰ってくるのか、どうせ駄目に違いない、才能がないのだからと愚痴を毎日浴びせた。父は景気が悪くなったからと、いつも仕事で家に居らず、母のうっぷんのはけ口は僕だけに絞られた。耳当たりの良い言葉でも不快だというのに、人を呪うような憎言を毎日聞いていると頭がおかしくなりそうだ。これ以上母の言葉を聞きたくないと外に出ようと思うが、身体が重く頭が痛くて外に出ることが出来ない。かといって家にいれば、永延聞かされる姉と父への愚痴ばかり溢れている。

 春休みの間中、僕は母の愚痴を聞き続けていた。羽野や数人の女子が遊びに行こうと電話をしてきても、具合が悪いからと断り続けた。ようやく春休みが開け、学校が始まると僕は解放される喜びを噛みしめていた。しかし、学校が始まって少しは母の愚痴から逃げ出せたかと思えたが、学校は学校で苦痛が待っていた。新しいクラスには大輝も佐藤も居らず、まして、僕から話しかけることのできる知人の一人も一緒ではなかった。集まったのは、成績不良、素行の悪い生徒ばかりで、新しく来た担任は厳しく集団活動、仲間を大切にすることを目標とする先生だった。いつも授業ではグループを組ませるのだが、僕は誰の中にも入ることが出来ず、一人になった。すると、先生が「だれか、こいつを入れてやれ」と無理やりむせ香る芳香剤にまみれた女子グループに入れるので、いっそ一人の方が慣れていると叫び出したかった。望んでそのクラスになったわけではない、赤の他人同士を無理やり仲良くさせようとするのが無謀なのだ。所詮、一年程度の付き合いで、親密になどなれはしないのなら、当たり障りなく付き合ってゆく方が妥当だろう。


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