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 大浴場に入る時間は決められていたが、一人だけ先に入っても見つからないような気がして、僕はカバンの中から服を取り部屋を出て行った。制服さえ着ていなければ、修学旅行生だと誰が気づくことだろうか。

 「おい、ミキ。何やってんだよ」

 驚いて振り返ると、トイレから出てくる大輝の姿があった。女子に見つからなかったことに安堵し、僕は大輝の傍に駆け寄った。

 「何処に行くんだ、まさか旅館を抜け出すとか考えてないだろうな」

 「うん、少し考えたけど、しないよ」

 「それなら何してんだ」

 「お風呂だよ。先に行けば、女子と一緒に入らないで済むと思ったから」

 僕の答えに、大輝はクツクツと喉を鳴らした。その笑い方は、夕方によく見かけるカラスの鳴き声に似ているような気がした。

 「バカだな、今だと他の客と一緒になるだろ。まあ、女子と一緒に入るよりそっちがいいか」

 「ああ、」

 まるで、その時になってようやっと、この世に自分たち以外も存在していることを知ったようだった。始めから分かっていたことなのに、僕ら以外がこの宿に泊まっていること、生活していることが失念していた。女は、テレビの中や学校の女子以外にもいるというのに、おかしなことだ。

 「どうだ、やめるか、」

 「でもさあ、」

 「・・・まあ、この時間ならあんまり人いないだろ」大輝はいつものように意地悪く笑っていた。「なあ、ちょっとついてこいよ」

 大輝の命令に従わないことは、たぶんほとんどない。彼は僕の親分であり、生活する上での指針である。同じ学年であるというのに、ほとんどの物事で大輝は僕よりも優れている。彼は廊下で生徒を眺めていた先生の所まで駆け寄り、僕の肩を掴んで先生の前に立たせた。

 「あら、どうしたの、」

 「具合が悪いから、先に風呂に入らせてもらって、早く寝たいんだそうです」

 僕は敢えて何も言わず、女の先生が額に当てる指を眺めて、そして先生の顔を見た。これだけ近くに顔があっても、その眼も鼻も唇もぼやけて、黄色の肌がのっぺりと張り付いているだけだった。もしかしたら、僕の眼が悪いだけなのかも知れないが、隣の大輝を見るとその黒い瞳が笑っていることは見えた。

 「熱は無いみたいだけど、疲れたのかしらね」

 「・・・はい」

 「他の子には私から伝えておくから、行ってきていいですよ。けど、他のお客様もいらっしゃるから、静かにね」

 先生の手が離れ、僕は一歩下がりながら「わかりました」と返答した。大輝は「なら俺も気分が悪いから先に入ったらだめですか」と笑いながら先生に言い、「それだけ元気なら大丈夫でしょう」と窘められていた。僕はどうしたものかと大輝の背中を見ていた。

 「何してんだよ、ほら、さっさと行けって」

 「・・・あ、うん。ありがとう」

 「いいから、ほら」

 照れているのか、大輝は右肩を上げ、手を振って僕を追い払う仕草をした。そこに居る理由はなかったので、頷いてすぐに僕は走って二階の大浴場へ向かった。平日だったので宿泊人数も少なく、僕は少しだけ安堵した。中にはあったのは、皺の寄った身体に、たるんだ肉、顔があってもなくても、うすぼけたそれらは妖怪の様に不気味だった。どこで服を脱ぐかと探していると、更衣室の奥に個室のシャワー室を見つけた。ここを利用したなら、たとえ時間通りに風呂に入っていても、それほど不都合なかったかもしれない。シャワー室の傍で服を脱ぎ、自分の身体も他人の身体も見ないように眼を伏せて、さっとシャワー室に入った。身体の疲れを取るなら、もちろん風呂に入る方が幾分も気持が良かったのだろうが、他人の裸の中でくつろぐことなど到底できない。髪と身体を洗い、一通りの汚れを洗い落とすと、すぐに着替えて女湯から逃げ出した。

 部屋に戻るのも嫌だったが、これ以上我がままを言うわけにもいかない。階段を上って行くにつれて、けたたましい子どもの声が響いてきた。これは他の宿泊客への迷惑になるだろう、そう思っていると先生たちが、部屋一つ一つに顔を出して静かにするように言いまわり始めた。ちょうど良いことに、さきほどの先生を見つけたので、注意するあとに従って自然な形で部屋に戻り、すぐに敷き詰められた布団に入って眼を閉じた。

 「ねえ、大丈夫、」

 声だけで、羽野だとわかった。名前は知っているが、女子をどう呼べばいいのかわからず、目だけを布団から出して、「疲れただけだから」と羽野に伝えた。

 「今日、ずっと元気なかったみたいだけど、風邪だったの、」

 具合が悪いと分かっているのなら、話かけずに寝かせてもらいたいものだ。さらに、羽野には悪意が一切ないので、余計にきまりが悪い。具合が悪いわけではなく、彼女らとの会話に興味が無かっただけだと正直伝えるものではないし、風邪だったと伝えると余計に気をつかわせてしまう。

 「・・・ちょっと、修学旅行が楽しみで、寝不足だったんだ」

 嘘か真かなど関係なく、それが真実味を帯びていればよい。さらに、それ以上追及されない的確な答えであり、必要以上に心配されない自己責任であるればなおのこと。僕の答えはその場では正解だったようで、以後は誰にも声を掛けられず済み、十分な睡眠を取ることが出来た。他の女子は夜中まで話し込んでいたらしく、まだ眠り足りない様子だった。



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