ただれた顔のアナタ
とある少年の成長譚。
眠らせておくれ、綺麗な水で。
僕は一冊の本を大切にとってある。
昔、万引きしたものだ。
肌身離さず持っている。
今朝は鬱陶しい程の晴天で、僕は顔をしかめてドアを開けた。しかし、彼の少女、彼女の少女、僕の少女にとっては日和はとても喜ばしいものだろう。
朝早く起きた僕は、一羽の小鳥を買おうと財布を確かめる。そして、気付く、彼の少女はこんなものより、僕の盗んだ本の方が多分、喜んでくれるであろう。
「しずる、どうしたの?」
後ろから声をかけられて不意に大切な本を落としそうになる。
「おばあちゃん。どうした?」
僕の一日の始まりを邪魔するのは、いつだってこの老女だ。「小鳥に接吻をするのを忘れたね?」
この人は餌やりの仕方をこんな風に表現するのだ。
「餌なら、しおりがもうやったよ。真夜中にね」
「しおりは相変わらず、服飾に力をいれて居るのかい?一緒にランニングするという約束だったのに」
…そんなこと彼の少女に聞けばいいじゃないか。僕は所持金を確かめるとペットショップへ急いだ。
『彼女の少女』として、飼うつもりだ。
「お前は金は持っているが、その本については誰にも話してくれないのね」
老女は溜め息をつくと僕を追い越し、街道を目指して走って行った。僕は何となく外へ出る気が起きなくなってしまって、小鳥の入っている鳥籠を引っ掛けから取りあげると、鳥籠の中へ手を突っ込むと、
「こら、雄のメジロ、少しだけジッとしていろ」
このメジロは昔、逃げ出して怪我して帰って来て、僕を心底心配させたのだ。
しおりはその事について、こう述べている。
「誰かを許す時、固い結び目はほどけ、過去は解放される」僕はその名言について何も言い返せ無かった。
その時、僕はまだ小学生で財布も持っておらず、老女の庇護の下、父と母に会うことも許されて居なかった。
やはり、気を取り直してペットショップに行こうとする。
だがしかし、それには父と母の居る、母屋を通らなくてはならない。
どうしたものか。日本家屋の長家だてを一歩出ると、いつの間にか雨が降っている。
傘は持って居るがどうしたものか。
やはりおばあちゃんに一言行って道案内をして貰ったら良かった。
外へ出ると、玄関先にしおりが体育座りでうずくまり、何時もの黒いボンネットを直していた。
「どうした?しおり?お腹でも痛いか?」
「いいえ、少しだけ哀しい事があっただけ。財布は持った?一緒に参りましょう?」僕は疑問符を浮かべると、しおりに手を差し伸べ、手を取り、供に歩き出した。
花壇にはしおれたアンスリウムと何故か、割れた植木鉢が置いてあった。
どうして、割れているのだろう。
「しずる?雨が激しくなってきたよ。やっぱり家に居てゲームでもしようか?」
「いや?母屋におばあちゃんが行ったはずだから、それを追い掛けて行けば街道に出て、少しだけ遠回りになるけどペットショップに行けるはずだから」「私はあなたのお母さんに手紙を出そうと思っているの」
そう言ったしおりの頬は少しだけ涙で濡れている。
「どうした?しおり、手に怪我をしているぞ」
「別に」
二人は黙って住宅街を一心不乱に無言で歩いていく。
雨が上がって、雲間にアメージンググレイの階段が出来て居るようだ。
僕はそれを指差し、こう言い放つ、
「天国って本当に有るものなの?」
「何を不躾に聞いているの?小鳥を飼うお金ちゃんと持った?」
僕の質問には答え無いままだ。
長い沈黙の後、彼女はこう言った。
「時として理解出来ない事こそが最高の理解と言える」そして、ペットショップに着くと、彼女はインコを見定め始めた。
「やっぱり色鮮やかの方がメジロと一緒に居て、面白いかもね」
「それはないわ、しおり」
ペットショップの籠に入っている色鮮やかの鳥を見ていると、体が水を欲しがっているように感じられる。「しおり、何か飲もうよ」
そうそうに店を出ると僕たちは雨あがりの空を二人で見上げた。
暑い時…寒い時。
声に出して言うと状態を体に改めて確かめさせる効果があって、汗をかいたり、震えたりして体が勝手に体温を調節してくれるらしい。
ピーチクパーチクとああも目の前で囁かれてはこっちも、水を啄みたくなるものだ。
しおりは平然と眼帯の位置を直している。
「しおり、コカ・コーラ飲む?」自販機で僕はジュースを買ってくると、彼女に渡す。
「しずる。舌先だけ辛い飲物なんて私、許せないの。雨水で空っぽになる空みたいな気分が好き」
僕はずっと聞けなかった事を聞いてみる。
「そのファッションさぁ、友達にからかわれたりしない?」「小鳥さんみたいに私にもヒラヒラした。色があったら良いのにね。家の学校、校則に厳しくてさぁ」
「それだけか?」
「…実はね。あなたの家の玄関にある植木鉢にあったサボテンをね。学校に持って行こうとしたの。そしたらね。友達の一人がね。『あんたバッカじゃないの?』って言ってきたの」
僕は黙って、彼女の左側に座る。
目を見て話したいけれど、眼帯が邪魔で彼女の表情が分からない。
「じぁあ、その哀しい事って、僕にも責任があった訳?」
「いいえ、私はあなたみたいに人の物を盗んだりしないから平気よ」
僕は少なからずショックを受ける。
「なんで…?そんな事を言うんだ?お前に僕の何が分かるって言うんだ?」
しおりはスッくと立ち上がると、ペットショップにまた入って行く、僕の手を無理やり引いて、店内を真っ直ぐ行くと、メジロを指差し、
「この小鳥さん眠って居るでしょ」しおりは見えないように眼帯外すと、
「これなら、しずるの家に居るあいつとも気が合うかもよ」
「これ、お前たち、小動物を私に内緒で購入しようなんて百年早いわよ」
振り向くと、祖母が仁王立ちして立っていた。
ジャージ姿にポニーテール。汗を吹きながら、手には水筒を持っている。
「あ、おばあちゃん。こんにちは」
彼女たちは案外気が合うので、鳥籠を一緒に覗き込む、メジロの寝顔を見つめている。「ふわふわだわー」
「そうね。大人しいから、しずるも、この品種なら逃がしたりしないでしょうね」
僕は内心、そわそわし始める。
どうして、しおりにはこの本が盗品だったと分かったのだろう。おばあちゃんに聞いたのだろうか?
しおりは財布を取り出すと、無言でお会計まで店員を呼びに行く。
祖母は彼女の黒いゴスロリ服の裾を引っ張ると、
「ちょっと、待って、財布なら、しずるも持っているわよ」
「しおり、しずるの言うことは余り信用しない方が良いわよ。この子はね、小鳥の餌やりもロクに出来ない、ロクデナシだから」
しおりは頷くと、無言で一枚の手紙を祖母に渡した。
「…これ、雨に濡れて、しわくちゃだけど、渡して良いもの?」
「私が書いたものよ。しずるを自由にしてあげて」
おばあちゃんはニコリと笑うと、ジャージのポケットにしまい込む。
ランニングタオルを首にかけ直すと、その場を去って行った。「何だよ、あの手紙、僕に直接わたせよ」
「いやよ。だってあなた。お金持っていないのだもの」
僕らはその小鳥を購入すると、少しだけ微笑みながら帰り道を急ぐ。
しおりは徐に眼帯をしずるに渡すと、腫れた目を始めて僕の前へさらけ出した。
「さっき…どうして泣いていたの?」
「知らないわよ。雨でそう見えただけじゃ無いの?」
僕は彼女ともっと一緒に居たくなる。
何故、僕の事を盗っ人だと気付いたのだろうか。
先だって歩く彼女の背中を見ながら、僕は盗んだ本をもう一度読み直してみる。
金色の表紙に手の平に収まる、とても小さな本だ。
しおりはクスクス笑いながら、道に落ちている石ころを蹴っ飛ばす。「コレを家まで、送り届けたら、私が植木鉢壊したの許してくれる?」「……」
家に着くと、早速『彼女の少女』と名付けた、メジロを鳥籠に移し替える。
しおりは少しだけ悲しそうな目でそれを手伝おうとする。
「しおり、手をサボテンで怪我しているのだろう?」
「良いのよ。そんな事気にしなくても」
僕らは少しだけドキドキしている。真夜中にコイツへ餌やりをしている彼女の気持ちは、まるでロデオにでも乗っている心持ちなのだろう。
片目である彼女にとってはかなり困難なことだろう…。
その時、不意に自宅の電話が鳴り始める。
「どうする?しずる?」「これ実家の電話番号だよー」
僕はしおりの顔をジッと見つめる。
彼女はニッコリと微笑む。彼女が付いていれば安心だろう。
勇気を振り絞って、受話器をとる。
「もしもし…?元気にしている?」
「あぁ母さんか、まぁなんとかやって生けているよ。おばあちゃんと一緒なら生活出来るもの」
「お前は甘えん坊。私達の飼っていたメジロは元気?」
「あぁ元気だよ」
僕は少しだけホッとする。
どうやら本を盗んだことはしおりの手紙には書いて無かったようだ。
「お父さんにも読ませて良いものなのコレ?」
僕は受話器を持ち替えると、手の汗を拭う。
どうしたものか。
「…変わらないなら、読み上げるわよ」
母は朗々とこう綴った。
「いかに老いるかを知ることは知恵の極み、生という偉大な書物のもっとも困難な一章」
僕は衝撃を受ける。
その節は僕が盗んだ本の一番最後のページに載っていた。一節である。
「…ちょ、ちょっと待ってくれ、しおりに変わるから」
しおりは電話に出るのを拒否する。
「私達、一緒にこの二羽のメジロを育てましょうよ。それでおひらきね」
舌先で嘘を付く少女が伝えたかった事は、着飾ると言うことは人前に出ると言うことで、暗に主役に注目して欲しいと言うことで、因みにこの主役二人は、清純な関係です。